リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

脳にやさしい、“無観客”の大相撲中継

time 2020/03/13

脳にやさしい、“無観客”の大相撲中継

大相撲春場所が異例の無観客で行われました。

今回、新型コロナウィルス(covid-19)の影響で、大相撲が無観客になっても、それでもお相撲さんも毎日2回体温測ったり、場所入りする前に手をアルコール消毒したり、移動中はマスクを着用したり、とかなり気をつけていますね。

すでに升席のチケットを買って春場所を大阪府立体育会館に見にいくのを楽しみにしていた相撲ファンの方がたや、相撲ファン相手のさまざまな商売の方々にはとても残念なことでしょう。

しかしです。

私は、この異例の、無観客相撲のNHKのテレビ中継を見て、あることに気がつきました。

私は、以前からお相撲のテレビ中継が嫌いで、ほとんど見たことがなかったのですが、今回たまたま初日に見た大相撲の初日に無観客相撲を見て、その静けさと厳粛さに思いがけず引き込まれて見てしまいました。

そして、自分がけっしてお相撲が嫌いだったわけではなかったってことに気づいてしまいました。

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今まで見たことのない新鮮さ!無観客相撲

大相撲ファンはお相撲さんの近くで、声を上げて応援したり、ナマで取り組みを見たかったっでしょう。

でも、私は思いがけずに無観客になった大相撲中継を見て、意外にも感動しております。

私は、普段はお相撲なんて見ませんし、ましてやワクワクもドキドキもしません。全く興味ありませんせした。

と、思っていました。

が、どうやら違ったようです。無観客なだけで、こんなに心惹かれるなんて。

それまで私は、太った人が裸になってぶつかり合うのが、何が面白いのかと思っていました。

自分はお相撲が嫌いなんだと思っていました。

しかし、無観客のお相撲を見て、本当にシンプルにお相撲さんの映像が脳に入ってくる感じで、とても心地よかったのです。

そして、音、無駄な観客の声やざわめきのノイズがなく、シンプルに、響くお相撲の音。

お相撲さんが肌をたたく音、まわしをたたく音、肌と肌がぶつかり合う音、声、息遣い、会場に響き渡る行事や呼び出しの声、ほんとシンプルに、「お相撲の音」と「お相撲の映像」が耳と目から脳に伝わっていくことのここちよさ。

「行事さんとか呼び出しの人ってこんないい声してたんだ、こんなに声が聞こえるんだ。」とそれまで気づかなかった発見の連続。

私はスポーツは集中力が続かないから、長くは見ていられないのですが、それでも短時間でも「本当のお相撲」に触れた感じで、なぜか感動してしまったのです。お相撲に感動している自分に驚きもしました。

あ、私、お相撲が嫌いだったわけじゃなく、お相撲の周りのざわめきや、さまざまな人の動きを目で見ることがつらかったんだ、ってことに、気づいてしまったのです。

脳脊髄液減少症の脳の特徴

脳脊髄液減少症になると、体の症状とともに、いろいろな脳の障害と思える症状がでます。でも、患者は、症状が辛い順に、頭痛とか「めまい」とか「だるさ」とかを主に医師に伝えがちです。

だから、痛くもかゆくもない精神的症状や、ましてや、他人からはもちろん本人自身にも自覚することが難しい「高次脳機能障害」については、ほとんど医師に伝えていないと思われます。

ただでさえ、脳脊髄液減少症の医師が少なく、患者は多くて、脳脊髄液減少症の現場ではとっくに医療崩壊がお起こっているような現場です。

何か月も待って、当日も何時間も待って、やっと自分の診察の順番が回ってきた時、限られた診察時間で医師に伝えることと言ったら、痛みやしんどさを伴う「身体症状」が主になってしまうのもあたりまえでしょう。

だから、脳脊髄液減少症になって起こる精神症状、特に高次脳機能障害については、医師にもほとんど伝わっていないでしょうし、表に出てこないと思います。

でも、実際には、脳脊髄液減少症になると、さまざまな高次脳機能障害がでます。聴覚過敏や視覚過敏、も耳と目の過敏症状というよりは、私は脳の過敏症状であり高次脳機能障害に近いものだと実体験から思います。

目に関しては、光に過敏になるほかに、色にも過敏になります。

でも、それ以外にもつらい目の症状があるのです。

たとえば、テレビのバラエティ番組によくありがちな、ゲストの背景が、原色でケバケバしい配色で、なおかつ、光がさまざまに点滅しているようなもの、背景にたくさんの人が映りこんでいるようなものだと、前にいる人たちの動きや話題が頭に入ってきません。

つまり、背景に雑音や色や人の動きなど、情報が多いと気が散って、肝心の、主人公というか前にいる人たちの話している内容や姿が頭に入ってこないのです。

脳脊髄液減少症患者と発達障害の人との「症状」に関する類似点

以前、NHKが発達障害についての番組を放送するにあたって、発達障害の人たちが、「テレビの背景の色を短調にしてほしい」といって、それに合わせて、うすいベージュのような色の背景で番組を放送していたのを思い出しました。

発達障害の人の気持ちが、私は脳脊髄液減少症になってよくわかるようになりました。

脳脊髄液減少症になってから、集中力も落ちるし、光や音には敏感になるし、雑踏でのランダムな人の動きを目にするだけでくらくらしてくるし、雑踏の中でのさまざまな人の話し声も、耳に入ると苦痛でしかなかったからです。

発達障害の人が、耳を塞ぎ、暗闇の小さなスペースに逃げ込む理由は、なんとなく理解できます。

脳脊髄液減少症の私の場合、普通の人間が平気な程度の、音や光や物の動きに、発達障害の人は、音にも光の変化にも、動きにも、

目や耳から入ってくる情報処理が、脳が追いつかず、脳がパニックになっているのではないか?と思っていました。

脳脊髄液減少症の私に起こっていることが、脳脊髄液減少症にのる、脳の後天的変化なら、発達障害の人たちは、生まれつきの脳の特徴なのかもしれず、それはもしかしたら、とても似ている変化なのかもしれないと思いました。

逆に考えれば、健常者として生まれ育った人が、脳脊髄液減少症になった時、身体症状のみならず、発達障害類似症状(掃除が苦手、空気が読めない、音や光が苦手、ゴチャゴチャした背景や、雑音が苦手)についても、きちんと研究すれば、脳に何が起こっているのか?がいつか解明できるのではないでしょうか?

脳脊髄液減少症研究が進み、それがわかれば、もしかしたら、発達障害の人たちの何か役にたつ情報も出てくるかもしれません。

無観客の大相撲は、ある意味「福祉相撲」

ここまで考察してきて思ったのです。

私は、お相撲が嫌いだったわけではなく、お相撲中継のあの、大人数のざわめき、土俵を取り囲む大人数のランダムな動きの映像、が嫌いだったのだと。

新型コロナウィルス(covid-19)の影響での無観客の大相撲中継がなければ、こんなことには全く今まで気づきませんでした。

世の中は、音も光も映像も、ルールも、すべてが、多くの健常者にあわせて作られていることにも、脳脊髄液減少症になって知りました。

たとえば、脳脊髄液減少症の私にとって、最適な音量、光の質などは、健常者のそれとは、かなりトーンが落ちるので、自分にあわせようとすると、健常者の家族からブーイングがきます。

講演会や会場など公共の場では、健常者の脳の心地よい感覚にあわせて、音や光のレベルが設定されています。

だから、光や音に刺激が強すぎて感じる脳を持った人や、同時に複数の多くの情報が脳に入ってくると、脳の情報処理が追い付かず混乱してパニックになってしまう脳を持った人用には、世間はすべてが作られていないのです。

そんなこと、私は脳脊髄液減少症にならなかったら、全く気づけませんでした。

必要最低限の情報だけの映像は、脳にやさしい

大相撲も、大相撲中継も、健常者向きに作られていたのですね。

テレビで音がうるさいなら、「消音」で映像だけ見ればいいでしょ?と言う人もいるかもしれませんが、「消音」だと、お相撲さんの肌のぶつかりあいとかの繊細な音まで消えてしまいます。

新型コロナウイルス感染症(covid-19)の影響で、やむなく行った「無観客の大相撲」ですが、私としては「怪我の功名」というか、「ひょうたんから駒」というか、

無観客の大相撲というものが、2つ以上の種類の音が入ってくると、集中できない私の脳にはやさしかったし、脳の情報処理能力が落ちた人間にとって、こんなにも必要最低限の情報だけをシンプルに丁寧に見る人に届けてくれる、「やさしい映像」になるなんて、思ってもみませんでした。

健常者にとっては、一見「残念」に思えるような「無観客大相撲」であっても、違う角度から見て考えてみると、意外な発見や効果があるということに、気づかされました。

「福祉相撲」は、なにも福祉のために、チャリティ的にするお相撲だけではないと思います。

観客のざわめきや、お相撲さんの背景の人の雑多な動きが苦手な「障害」を持った人には、

こうした静かなお相撲も、「障害を持った人にやさしい」「障害を持った人でも楽しめる大相撲」として、ある意味「福祉相撲」の一種なのではないでしょうか?

観客のいない静けさの中での取り組みの新鮮さと、厳粛さに興奮し、静かな中に響く、「お相撲の音と力士のテレビ映像」に短時間ながら集中できて、はじめてお相撲を楽しめた、私の貴重な体験でした。

新型コロナウィルス(covid-19) 騒動がなければ、当事者の私ですら、こんなこと気づけないのですから、悪いことが起こって困難の中で人々が必死に乗り越えようとするとき、悪いことや残念なことばかりではなく、それまでに気づけなかった新たな発見もプレゼントされるもののようです。

「福祉相撲」の一環として、たまには、今後も「無観客の大相撲」「無観客のスポーツ」も放送されてもいいのかもしれません。

まとめ

今回、無観客での大相撲での気づきを書いていたら、以前、サッカーの試合のテレビ放送の時、どこぞの国のラッパの音がうるさくてうるさくて苦痛でしかなかったl記憶も蘇ってきました。

健常者たちがスポーツ観戦で肩を組み、声を上げて応援し、音を鳴らして、大いにもりあがっている時に、「静かなスポーツ観戦希望」なんて言い出しにくいです。

だから、新型コロナウィルス(covid -19)の影響で、イベント自粛を政府が言っている今だから、こうして私も本音を書けたような気がします。

弱者の声って、こういう自粛ムードの時にしか出せないものだし、普通の時なんかに、こんなこと書いても、「何言ってんだ」で終わり、誰も弱者の声なんか振り向いてもくれないと思います。

今回の新型コロナウィルス感染症の蔓延は、3月11日にWHOが「パンデミック」を認定し、私も!今まで生きてきてこんな体験はなく、ストレスもたまりがちです。

でも、悪いことや試練が起こっても、そこから学びを得れば、今後に生かしていけば、今までより、よい世界が待っていると信じて、今を乗り越えたいものです。

 

 

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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