2020/07/04
関東ローカールの、フジテレビのザ・ノンフィクション「人殺しの息子と呼ばれて」を前編(10月15日)・後編(10月22日)とも見ました。
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虐待サバイバーが教えてくれた“生きのびる勇気”と“伝える勇気”
自分には何の罪もないのに、過酷な運命を背負わされるのは、何も被害者だけではなく、加害者の家族や子供もそうなのだということにこの番組を見て改めて気づかされました。
関東ローカル番組なので、関東地方以外の人たちには見られない番組だったのかと思うととても残念に感じました。
ぜひ、全国の人たちに見てほしい番組だと思いました。
ザ・ノンフィクションへの番組へのメッセージを読んでも、関東地方だけでも私と同じように感じた人たちが多数いることが推察され、ぜひ全国放送での再放送を望みます。
私は、脳脊髄液減少症になって、弱者に対する社会や医療の冷酷さ・理不尽さを経験してから、作り事のドラマや映画、お芝居が苦手になりました。
真実の人の声や、真実の姿を追ったテレビを好んで見るようになりました。
そんな気持ちでいつものように何気なく見た番組でしたが、いつもと違って、「自分には何の責任もないことで背負わされた苦しみ」という点で、その程度は彼とは違っても、私の理不尽な人生と重なり、見入ってしまいました。
おとといの月曜日(10月23日)のYahooニュースで、22日の放送の視聴率が、異例の高さだったと知りました。
彼が、感情を抑えようとしながらも、丁寧な言葉で淡々と自分に起こったことを客観的に冷静に自分なりに考え分析しながら話す様子に、彼は苦労をしたかもしれないけれど、普通の大人に育ってきているな、と感じました。
その陰には、彼の言葉からは一切出なかったけれど、彼をまともな人間に育てるために、彼が気づかないところで彼を支えてきた人たちも絶対に存在しているな、と感じました。
彼がそのことに気づくのはもう少し先になるかもしれないと思いました。
今は、自分にされてきたこと、自分の理不尽な人生やつらさ悲しみを大人になって客観的に見つめなおす時期なのだと思いました。
だって、まだ成人して4年の若者ですから・・・。
いつか、苦しみの中でも、親が逮捕されてからは、彼を守ろうとした人たちがいることにも気づく日がくると思いました。
彼が取材を受け、取材カメラの前で、顔と名前は隠しても、声はそのまま使うという条件をのみ、
自分に降りかかった理不尽な運命の中で、なんとか生き延びようと自分なりに考え、自分なりに行動し模索しながら前に進んできた事を淡々と語る様子が印象的でした。
その生きざまだけで、程度は違っても同じく自分には罪はないのに理不尽な思いを強いられながら生きてこなければならなかった、孤独さ、周囲の冷たさ、無理解さを理解できる私には、「共感」を感じました。
当事者が当時のことや、思いを伝えるだけで、社会に問題提起される、当事者に必要な支援が明らかになってくる、何が社会に足りないかもわかってくる、そういったことを殺人者の息子である当事者の彼が過去を思い出して泣き出すわけでもなく、自分を憐れみ悲しむわけでもなく、ただ生き延びた様を淡々と話すことで伝わってくる事を、私は感じ取りました。
そしていつしか、彼が今生き延びているだけで、人間の持つ強さ、道を切り開く勇気、力、幸せになる力を感じ取り、私も勇気づけられました。
やはり、生きる力や勇気をいただけるのは、作られた物語やドラマや映画などフィクションのお話ではなく、真実の人の話す、ノンフィクションのお話なのだと改めて感じました。
ぜひ、多くの人たちに見て、考えてもらいたい番組です。
関連本:
脳脊髄液減少症の報道の在り方も、過去に放送されたような個人のドラマ的なお話だけでは真実は伝わらないと思います。
お涙頂戴的な作りや、感動ポルノ的な作りや、ラッキーな人だけを取り上げたハッピーエンド的な作りだけでなく、「脳脊髄液減少症を取り巻く何が問題で、何が過去にあったのか?」が世間にきちんと伝わり、問題提起できるような報道が必要だと感じました。
「人殺しの息子と呼ばれて」は、主に当事者の淡々とした話だけで構成されていますが、それだけに変な演出も何もなく、真実が伝わってきました。
この番組は、何かの賞を取るのではないか?と強く感じたほどでした。
人間に理不尽に与えられる試練は、人それぞれで、それが災害だったり、事故だったり、犯罪だったりしますが、
程度の差はあっても、その理不尽さを持ってしても生きなければならないことに変わりはありません。
私は、殺人者の息子であある彼の苦しみには遠く及びませんが、私は私に与えられた、この理不尽な他人からのもらい事故での脳脊髄液減少症での苦しみを受け止め、それに負けず、命続く限り生き延び、伝え続けていきたいと、彼を見て思いました。
ザ・ノンフィクション番組へのメッセージには、私と同じ思いがたくさん書かれていました。
どうやら、サバイバーの彼から勇気をもらった人は、私だけではないようです。
彼のおかげで、今回私は、サバイバーは生き抜いているだけで他者を励ませると信じられました。
力をいただき、ありがとう!