リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

脳脊髄液減少症の“見た目の悩み”

time 2016/10/31

昨日、NHKバリバラで「見た目の悩み」の再放送がありました。

顔にリンパ管腫を患っている人、顔に単純性血管腫で顔に赤い大きなアザがある人、顔面動静脈奇形の人、アルビノの人などの見た目問題の悩みが取り上げられていました。

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“見た目問題”とは

病気や事故が原因で、あざややけどなど、“見た目”に症状がある人たちが、日常生活で直面する問題をいい、
・機能障害がない。
・治療の緊急性がない。
・生命の危機がないなどの場合、
ほとんど障害とは認定されず、公的支援を受けることができない。

と説明いていました。

この説明を聞いて、私は脳脊髄液減少症と共通した苦しみを感じて共感したと同時に、脳脊髄液減少症は取り上げられている人たちとは、逆の“見た目問題”があることが社会に知られていない現状に複雑な気持ちになりました。

脳脊髄液減少症の私の“見た目問題”

私の“見た目問題”の悩みは「健康そう」にしか見られないことです。
「なにそれ?」と思われそうです。

「健康そう元気そうにみられるならいいじゃない?何が問題なの?」って・・・。

でも、それが問題なんです。

健康で元気な時に「健康そうね、元気そうね。」って言われるならいいんです。

でも、しんどくてつらい時、それでも症状抱えて頑張っている時に、「健康そう、元気そう」「何の苦もなく生活してる、やってののけてる」ってみられると、ちょっと悲しくなってくるのです。

問題は、他人から私を見たその見た目と、私自身が感じている体のしんどさのギャップ。

それが、脳脊髄液減少症の“見た目問題”の私の悩みなんです。

その悩みを説明するのも、理解していただくのも非常に難しいとは思うのですが、たとえていうなら、

本人が感じている体のしんどさは、本当なら入院してベット上にいるのが当然のような身体感覚で、
重病人のような感覚なのに、

見た目は「健康な人間の着ぐるみ」を着て、普通の生活を強いられて生きているような感覚なんです。

当たり前に立ち、当たり前に座り、当たり前に歩く、そう見えても、それをするのに、健康な状態の自分より、何十倍のエネルギーと努力があったとしても、それは周囲にはわからないことでしょう。

これが、私が、車いすに乗っていたり、杖をついていたり、手足に障害があったり、第三者が見て、見た目に何か障害があるようなことがすぐわかるようであれば、周囲は、即座に、その歩く行為、動く行為、働く行為が、健康な自分たちより多くの努力とエネルギーを要していることを想像してくれるでしょう。

しかし、どうみても五体満足、どうみても、健康そうにしか見えない私が、健康な人と同じ動きに見えても、実は
事故にあう前の自分より、数十倍の努力とエネルギーで、その状態を作っていることに、周囲の誰にも気づいておらえないことに、とても孤独感とつらさを感じることがあるのです。

世間で取り上げられない、脳脊髄液減少症患者の“見た目問題”の深刻さ

見た目に元気そうに見えるということは、症状がひどくて体がひどくしんどくても、医師にも、家族にも、社会にも、
支援が必要な病人として認められず、健常者と同じに学業や仕事や家事の課題をこなすことを強いられ、適切な支援も受けらられず、さらに病人を生きにくくして追い詰める危険があるってことなんです。

その危険性に、早く社会が気づいてほしいものです。

特に福祉関係者には特に気づいてほしいと思っています。

そのためには当事者が声を上げなければ、脳脊髄液減少症に対する理解は広まらないでしょう。

私もできる範囲で伝えていきます。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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