2020/07/04
本日、NHKEテレで放送された、
「オトナヘノベル」という番組を見ました。
番組タイトルの「オトナヘノベル」とは、
「大人へ、NOBEL」という意味で、
これから「大人へ」なっていく若い人たちの体験談から生まれた「小説」、という意味らしいです。
以前から気になっていた番組なんですが、
じっくりと見たことがなく、
今回はじめて見ました。
今回の内容は、
カラダとココロの性が違ったら? ~性同一性障害~という題でした。
性同一性障害は、今に始まったことではないと、私は思っています。
今から200年前も、500年前も、人間がいたのですから、
人が人として、存在し、発達したある一定の時期からずっと、
性同一性障害は存在していたんだろうな、と私は思っています。
しかし、その存在は表に出てこなかったし、
当事者は、迫害や偏見を恐れて
そのことをあまり他の人に話してはこなかったと思うのです。
それができない世の中、時代だったのだと思うのです。
原子の時代から、人類が進歩し
やがて、医師と言われる人たちが現れても、
医師の興味関心のある病は、
「命にかかわること」が主で、
それ以外のこと、
たとえば、性同一障害などで悩む人たちの、
その存在すら医師たちが知らなかった、
あるいは、認めようとしなかった時代があったはずなのです。
その人たちの苦しみの存在を認めようとすることも、
その苦しみに寄り添うことも、
誰もしなかった時代が、
かつてあったはずなのです。
当時、存在していたであろう、性同一性障害の人たちが、
当時、理解のない医師に向かって、
もし、こんなことを言ったら、どうなったでしょうか?
「自分は男として生まれ、男性器もついているけれど、
心は女性なんです。
体と心の性が一致していなくて、苦しんでいるんです。
生まれもった性が男性だからといって、男性の恰好をするのが嫌なんです。
女性の恰好がしたいし、女性のようにお化粧もおしゃれもしたいんです。
できれば女性の体になりたいんです。」と。
そんな訴えに、真剣に向き合ってくれる医師が果たしていたのでしょうか?
その苦しみを、何とかしてあげたいと、思った医師がいたのでしょうか?
兵役を逃れたいために女性になりたいんじゃないのか?と、叱り飛ばされたかもしれませんし、
体は男性で心が女性?そんな馬鹿なことがあるものか!と
相手にしてもらえなかったかもしれません。
脳脊髄液減少症の私は、医師にも理解されない不思議な現象・症状を体験してきていますから、
私は「人間の脳は、まだまだ分からないことがたくさんあるから、
体が女性なのに、脳が男性脳であるとか、
体が男性なのに、脳が女性脳であるとか、
ありうるだろうな。」と、ごく自然に思えます。
ごく自然に、LGBTの人たちを理解できます。
しかし、もし私が、
医師や周囲に理解されない脳脊髄液減少症の症状の苦しみの経験をしていなかったら、
「心と体の性が一致しないなんてことがあるのかいな?」と
性同一性障害の人たちのことも、
すんなりとは理解できなかったかもしれません。
でも、私は、脳脊髄液減少症を経験したおかげで、
医学書にはない、人の脳の不思議を知ってしまい、
そのせいで、昔の性同一性障害の人たちの苦労も想像できるようになりました。
脳脊髄液減少症の存在が、言われはじめたのはまだ、16年前の、
2000年に入ってからですから、
多くの無理解な医師が、「そんな病気ない。」と言い張る時代を無支援の中、生きねばならない多くの
患者たちがいました。
ですから、昔の性同一性障害の人たちも
おそらく私たちと同じ目にあっていたのではないか?と考えます。
昔は、「心と体の性が一致しない。」なんて、
医学の教科書に書いていないことは、
人の心や体の苦しみとして、存在しないことになっていたのではないか?と想像します。
医学書に書いてあることすべてが、
人に起こることのすべてではないのに、
医師と言われる人たちは、
自分が学んだ医学がすべてだと勘違いしているように、
思うことがあります。
当時存在していたでろう、性同一性障害の人たちは、
どんなにか人に理解されない苦しみを抱えて
孤独だっただろう、と想像します。
それがどうでしょう。
時が流れ、
時代が流れ、
性同一性障害に次第に理解は世界中に広がり、
LGBT(レズ・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)という性的少数派の人たちの存在も、
だんだんと理解され、
世の中に受け入れられるようになってきました。
日本でも、法的に性別変更の手続きも、
医学的に手術を受けたり、ホルモン療法で
見た目の性を変えることも、
許されてきました。
なぜ、ここまで来れたのか考えたとき、
医学や脳科学が進歩したこともあるのでしょうが、
なにより、勇気ある当事者たちの声が、繰り返し、繰り返し
世の中に発せられ続けたからだと私は思うのです。
必死のその人たちの声が、
世の中を動かしてきたのだと思うのです。
また、その人たちの声を伝えようとする
マスコミ関係者の人たちの協力もあったあったからこそ、
ここまで理解が進んできたのだと、
私は思います。
今回の番組 オトナヘノベルは
10代をターゲットにした番組ですが、
成人した後、自分の意思で、自分の子供時代のことを、振り返って、
性同一性障害の苦しみを赤裸々に語って伝えてくれる人たちの勇気に
心打たれました。
そのことで、現在、孤独に悩んでいる子供たちが、
どれだけ励まされるでしょうか。
当事者の苦しみは、
絶対に当事者にしかわからないと思うのです。
いくら専門家が机上の論理を話しても、ダメなのです。
いくら身近な家族であっても、親であっても、
当事者の気持ちや思いは絶対に完全に代弁はできないのです。
脳脊髄液減少症の子供たちも、
大人になったら、自分の子供時代の脳脊髄液減少症での体験談を、
自分の言葉で、
自分の文字で、語ってほしいと思います。
現在、子供の脳脊髄液減少症については、親が代弁することが多かったり、
親が、その子供を守ろうとして、公に出ることを拒んだりすることが多いように思います。
でも、そのことが、
誤解や偏見をさらに加速するようで、私はとても危険な兆候だと思っています。
脳脊髄液減少症は、誰にでもいつでもなる可能性のある事故後遺症で、あるいは疾患で、
恥ずかしい病でも、
隠さなければ、その子の将来に影響するような病でもない、と、そのイメージを親も子も持ってほしいです。
そして、患者は、成人したら、自分の意思で、自分の言葉で、
どうどうと、世間に向かって、
脳脊髄液減少症について語ってほしいし、
こどもであっても、親の同意が得られたなら、
どんどん、
脳脊髄液減少症の症状や、それによって周囲や医師に誤解されたこと、差別されたこと、
無理解の体験などを語り、世の中に伝え、発信してほしいと思います。
そうでなければ、
世の中に、脳脊髄液減少症の理解は広がらないと思うから。
性同一性障害の人たちの勇気に、一人一人の脳脊髄液減少症患者も、
学んでほしいと思います。