リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

ハンセン病サバイバーと重なる思い

time 2016/03/19

ハンセン病サバイバーと重なる思い

NHKの「目撃!日本列島」で放送された

「生きた証を残したい ~ハンセン病元患者の今~」を見ました。

富士山のふもと、御殿場の、

市街地から離れた場所にある森の中にある、国立駿河療養所は、

全国に13ある国立ハンセン病療養所のひとつで、70年前に作られたそうです。

東京ドーム8個分の敷地に、住居、公園、病院もあり、

小さな街のようになっているそうです。

現在ここで暮らす元患者は62人で、入所者は10年前の半分に減ったそうです。

すでにハンセン病は完治しているけれど、

高齢化が進み、介護が必要な人が多いようです。

ハンセン病の元患者たちの入所者の平均年齢は83歳を越えたそうです。

 

「このままでは、自分たちの存在は社会から忘れ去られてしまう。

元患者たちは自らが生きてきた意味を問い直しています。」という、ナレーションと

ハンセン病の元患者の姿は、

私からみたら、自分と同じ「サバイバー」そのものでした。

 

療養所でなくなった人たちの遺骨が納めてある納骨堂での、

ハンセン病を生き抜いたOさんの言葉の、

 

(亡くなって行ったハンセン病の仲間の)「名前を見るとひとりひとりを思い出す。

みんなも一生懸命生きて・・・、家族とも会えないし、まわりの人とも会えないし、

よけいさみしさと悲しさがあると思う。

もういいだろう、と忘れられないように、私たちも頑張っていきたい。」

との言葉に、

病名は違うけれど、脳脊髄液減少症サバイバーである私の思いも重なりました。

私も、

「そんな昔のこと、もういいだろう?」

「昔の脳脊髄液減少症の患者のことなんて、もう時効だろう?

事故にあって脳脊髄液減少症になったって今生きているんだから、命があっただけいいじゃないかい。」と思われて、

誰にも気にもとめられず、忘れ去られていくことは、

悲しすぎるし、寂しすぎます。

 

脳脊髄液減少症を抱え、誰も理解されず、

支えてもらえず、

生きることが困難で亡くなっていったであろう、脳脊髄液減少症の仲間のために、

私自身も、

ハンセン病のサバイバーの元患者さん、同様、

自らが生きてきた意味を、今考えています。

 

もし、私が脳脊髄液減少症サバイバーでなかったら、

このハンセン病の番組には関心はもたず、見なかったかもしれません。

過去のことには関心がないと。

 

この記事を読む人たちの中で、

ハンセン病のことを知らない人たちもいるかもしれませんので、

番組で紹介された内容についてメモしながら、私の気持ちを書いていきます。

ハンセン病は

らい菌によって皮膚や神経が侵される病気で、感染しやすい、遺伝するという

誤った認識から厳しい差別を始めたそうです。

国が隔離政策を始めたのは明治40年、

戦前には軍や警察も動員し、患者を療養所に収容したそうです。

戦後は特効薬が開発され治る病気になりましたが、

偏見は根強く隔離政策は続いたそうです。

 

駿河療養所にも全国から患者が収容され、

もっとも多かった昭和31年には471人がいたそうです。

番組で紹介されていた0さん(72歳)は

中学校の卒業を間近に控えた15歳の時、ハンセン病と診断され、

病名も、どこにいくのかも知らされないまま、駿河療養所に連れてこられたそうです。

家族が面会に訪れることは一度もなかったそうです。

施設の職員から「名前を変えますか?」と言われ、

0さんは「(家族が)人に知られたくないからだとこどもながらに思ったけども、

それが二十歳すぎになると深く感じ始めた。」とおっしゃっていたのが、

胸に突き刺さりました。

15歳で、らい菌に感染しハンセン病になったというだけで、親から離さ

こんな思いを患者に、させてきたのか?ひどい!と驚きました。

 

平成8年、国は90年近く続いてきたハンセン病に対する隔離政策を廃止され、

平成13年 熊本地裁で国の隔離政策が誤りだったという判決が出たそうです。

国の間違った隔離政策が終わった後も、

多くの人は帰る場所もなく、療養所に残ったそうです。

Oさんの言葉の、

「みじめさを感じる。食べさせてもらっているだけの人間だ。

面倒みてもらっているという弱みに感じる。」とい思いが人ごとでな感じました。

 

私自身、脳脊髄液減少症で働けず、自費の高額の医療費ばかりがかかり、

同じ思いを、家族に対し、抱いてきましたから。

 

自分には何の罪もないのに、

細菌に感染し、病になったというだけで、

国の間違った政策で、隔離され、

家族と離され、人権を奪われ、人生を奪われ続けた

ハンセン病の元患者の話を、

共感しながら、聞くことができたのは、

脳脊髄液減少症での経験があるからかもしれません。

 

ハンセン病伝えた患者のOさんが伝えたかったのは、

「元患者たちが懸命に生きてきたということ」だそうです。

 

脳脊髄液減少症患者の私も、同じ思いです。

 

この番組のために、顔を出し、名前を出し、取材に応じてくれた

ハンセン病のOさんが、

週に一度、療養所の外の行きつけのスーパーに行く時、買い物風景だけは、

NHKの取材班にも、撮影するのを許さなかったのは、

「スーパーの人にハンセン病の元患者だと知られたくない。」という気持ちがあったからだと知って、

とても悲しくなりました。

「そういう偏見を持った人がたまにいるかもしれない。騒いだら二度と行けないし、行きたくなくなるし、向こうも何か言うかもしれないし、昔からの特殊な病気だからね、みんな感じると思う。」

そうOさんがいうのを聞いて、

悲しみと共に、共感してしまいました。

Oさんに対しては、正直私は

「いまどき、ハンセン病の元患者に対して、差別や偏見で騒ぎだすようなそんな人はいないはず。

そんなにビクビクしなくてもいいのに、特殊な病気なんかじゃなく、誰にでもなりうる感染症だったのに、

Oさんには何も罪はないのに、特殊な病気にしてつらい思いをさせつづけたのは、国の過ちのせいなのに、」と思いました。

でも、同時に、自分と重なり、

元患者がそこまで恐れるのは、

それまでの過去に、相当の悲しい思い繰り返しあったからなのだと感じました。

 

私自身、脳脊髄液減少症の存在すら医学界で論争になっていたせいで、

調子が悪い時、主治医のところまでいけなくて近所のいろいろな病院に行くと、

そこで悲しい思いをしてきまい

「きょうはどうしましたか?」と問われ、

「実は脳脊髄液減少症で遠くに通院中なのですが、今日は具合がわるくて」と

脳脊髄液減少症の病名を出すだけで、窓口で断られたり、

病名を出さず、だまって診察室までたどりつけても、

そこで実は、と病名を言うと、脳脊髄液減少症の存在すら批判的な医師だと、

通院中の遠くの病院の主治医が批判された経験が実際にあります。

そういうことが続くと、

自分が症状があって近所を受診すると、=「主治医が批判される」という思いから、

恐ろしくて、症状が出て近所の病院に相談したくても、助けてもらいたくても、

自分のせいで、主治医が批判されることが恐ろしくて、

近所の病院やクリニックの受診自体がなかなかできなくなりました。

特に、今まで脳脊髄液減少症に対して拒否反応が強く、主治医に対して批判する医師が多かった、

脳外科や神経内科には、怖くてなかなか近づけなくなりました。

たまに勇気を出して受診してみても、泣いて帰ることも続きました。

そういう悲しい、嫌な思いをすると、

二度とそこには行きたくなくなるし、行けなくなる気持ちは私はよくわかります。

 

そのことを内科の医師に話すと、「考えすぎ」のようなことを言われましたが、

それは、今、私がハンセン病の元患者さんが、スーパーに行くのに、「元患者だと知られたくない。」と言っているのを、「そんな差別をする人今どきいないのに考え過ぎ、気にし過ぎ」というようなものです。

なぜ、元患者がそこまで考えてしまうのか、

そう考えてしまうほどに、過去に何があったのか?という、想像力がたりないと感じました。

 

今現在の、最近発症の脳脊髄液減少症患者だけを見つめるのではなく、

今まで、誰にも苦しみを理解されず、見捨てられ続けた、

20年前、30年前からの

脳脊髄液減少症の患者たちが、どういう目にあってきたのかを

知ってほしいと思います。

 

脳脊髄液減少症の病名が知られはじめてからも、

いかに多くの医師たちの誤解と偏見の中、

患者が懸命に生き抜いてきたかも知ってもらいたいと思っています。

そこから、

「何が間違っていたのか?」や

「何が患者を病や症状以外での、周囲のどんな誤解や無知で苦しめてきたのか?」が

次世代に伝わっていかなければ、

また、

あやまちを繰り返すと思うからです。

 

過去の過ちと、

それによって深く傷つき、

人権を奪われながらも、生き抜いた人たちの、

言葉や思い知っていただくことで、

今後、また起こるかもしれない、治療法がすぐにはみつからないかもしれない

未知の病への、

誤解や偏見の防止につなげていただきたいと思います。

 

全国の療養所に1700人の元患者さんがいるそうです。

 

残りの人生を、おだやかに、少しでも楽しく生きていただきたいと

願わずにはいられませんでした。

 

「苦しさの中に、楽しさもあって」というOさんの言葉に、

救われましたし、

「私も同じ思いです。」と伝えたくなりました。

理不尽な苦しさの中でも楽しさを見つけて、負けずに

一生懸命に生き、

人生を全うしようとしている人の姿は

その存在だけで、

こちらもエネルギーをもらえました。

ありがとうございました。Oさん。

 

 

 

 

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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