リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状に潜む脳脊髄液減少症の早期発見と回復、症状理解による患者に優しい社会の実現のために、私ができること

らいは不治にあらず、脳脊髄液減少症も不治にあらず

time 2016/06/12

らいは不治にあらず、脳脊髄液減少症も不治にあらず

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らいは不治にあらず

昨日4月に放送された、「らいは不治にあらず~ ハンセン病 隔離にあらがった医師の記録」の再放送を見ました。

「ハンセン病は治る。感染力は弱く、免疫力の弱った患者の体につけこんで、発症するのだから、めったにうつることはなく、うつってもハンセン病は治る。隔離の必要はない。」と主張しつつも、国や医学界に受け入れられず、「隔離政策を主張する医師」たちから袋たたきにあっていた小笠原登医師。

「隔離政策を主張した医師は、国から感謝状を受け取り、ハンセン病患者を社会から隔離する国の政策に一貫して反対した人物だそうです。

平成13年(2001年)5月11日 熊本地裁でようやく、裁判所がハンセン病の国の隔離政策の過ちを認めたそうです。

この番組を見て、私は小笠原先生に患者として、語りかけたい思いが次々とわきあがりました。
私は、ハンセン病患者ではないけれど、脳脊髄液減少症患者として小笠原先生と同じ仕打ちを、国や医学界からされていた、脳脊髄液減少症を治療する先生たちの存在を知っているので・・・。
その思いを手紙にして書いてみたいと思います。

故・小笠原登先生へ

小笠原先生天国から、この世の中を見下ろしていますか?
もし、先生が、現代の医療現場を見られたら、どんなお気持ちになるでしょうか?

先生は京都大学医学部の皮膚科に進み、当時「不治の病」と恐れられていたハンセン病の治療に携わっていたそうですね。

そして、戦前から「ハンセン病患者の隔離は不要」と主張しておられ、「ハンセン病はめったにうつることはなく、治療可能だ。」と公言した数少ない医師だったそうですね。
それなのに、当時は小笠原先生の考え方が国や医学界にも受け入れられず、孤高の人となっていたのですね。
先生がなくなられてから、年月がたって、未来である、現代の平成13年になって、やっと国は、患者の訴えによる裁判で、小笠原先生のお考えが正しかった、国の隔離政策は過ちだったと認めましたよ。

現代の医学界では、「ハンセン病は治る病」だという先生の主張が、当たり前になっていますよ。
隔離政策を押し進めてきた医師の方が、間違っていたと、これからもずっと未来人たちに伝えられ続けていきますよ。

小笠原先生が、皮膚科医として数多くのハンセン病患者と真摯に向き合い続け、その中から先生が経験則で、「ハンセン病は治る」「隔離は不要」と主張してきたのに、それが受け入れられず小笠原先生のお考えを否定する医師の、強力な権力で、先生の「真実を見る目」「真実に気づける経験則」はねじ伏せられてしまったのですね。

「ハンセン病の隔離政策を推し進めた医師」が当時の内閣総理大臣から感謝状をもらい、名誉の中にその生涯を閉じ、
「ハンセン病の隔離政策を非難した」小笠原先生が称賛されないまま一生を終えるとは、なんという理不尽な運命でしょうか?

小笠原先生が批判した国のハンセン病患者の隔離政策は、先生の患者たちさえも、密告されたり、警察に連れていかれたりして、国による人権侵害にあってしまったのですね。

幼くして発症した子たちまで、親から離され、親兄弟と縁を切られたり、それによって、改名を迫られ、本名をうばわれ、家に帰れず、医師でないものからの断種や、中絶をさせられたり、一生を隔離されて生きよ!というようなひどい人権侵害がどうして起こったのか?

そして、なぜ、脳脊髄液減少症の存在に気づき、患者を救おうとしてきた医師が、過去の小笠原先生と同じように、
国や医学界にもその主張が認められず、袋だたきにあっていたようなことが起こったのか?そのことによって、さらに長い間、脳脊髄液減少症患者をさまざまな点で苦しめるようなことが、なぜ、起こってしまったのか?私は考え続けています。

ハンセン病からの教訓が、なぜ、現代に生かせなかったのか?なぜ、脳脊髄液減少症で繰り返してしまったのか?
それは、小笠原先生のように、患者を数多く診て、経験則から導き出した医師の意見や、生身の患者の声に多くの医師が真摯に耳を傾けず、「今までの医学の常識や、固定観念や先入観で」物事を考えたことの過ちが導いたことだと
私は考えています。

「脳脊髄液はそう簡単に漏れるものではない。」それが過去の医学界の常識でした。それが、今、「日常生活における事故で、脳脊髄液が漏れることがある。脳脊髄液が漏れて減ることで、さまざまな症状が出ることがある。」ということが判明しつつあり、常識になりつつあります。

小笠原先生の「患者を診る目と経験則」の大切さを私はハンセン病ではありませんが、脳脊髄液減少症患者として
小笠原先生のような目を持った、現代の医師たちを知っています。

しかし、多くが、かつて、小笠原先生を非難したような医師が、現代にもあふれかえっています。小笠原先生の活動の意味を、ハンセン病は終わった病ではなく、ハンセン病の隔離政策や医療の歴史が教えることは、今も、これからも、
ずっと、生かされていくべきことだから、私は、多くの医学生や医学にかかわる人たちに、脳脊髄液減少症を通じて、

小笠原先生の考え方や活動が意味することを、伝えたいと思っています。

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自己紹介

lily

健康オタクの脳脊髄液減少症のサバイバーです。「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

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