リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状に潜む脳脊髄液減少症の早期発見と回復、症状理解による患者に優しい社会の実現のために、私ができること

脳脊髄液減少症の一番悲惨な患者

time 2016/07/23

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脳脊髄液減少症で一番悲惨なのは「元気そう」に見えること

私は脳脊髄液減少症患者の中で、一番悲惨な患者は、車いすに乗っている患者でも、杖歩行の患者でも、寝たきり状態の患者でもなく、一見「元気そうに見える。」しかし、本人は耐え難い症状を抱えている脳脊髄液減少症患者だと思っています。

なぜなら、外見からは、病人にも障がい者にも、全く見えないから、周囲から普通の人が行うことを、
「当たり前に」やるように要求され続けるからです。

本人は、健康な時のようには動けないしできないし、体調的にもまるで「インフルエンザで40度の高熱がある時、無理して動いているようなしんどさ」なのに、しんどくても結果的に家事や仕事がこなせるから「ほうら、大丈夫じゃない。」と言われてしまうし、「つらいつらいと言ってもできるんだから、大丈夫だよ。」と思われたり、医師にも「こうして病院まで自分で来れるんだからあまり症状を気にしないで。」と言われてしまうから。

一見普通に見える人が、普通に仕事や家事ができないと、「怠けている」「だらしがない」「なんでやらないんだ」と責められ続けてしまうからです。

「全く病人に見えない」「具合が悪そうに見えない」がために、いくら地元で「症状がきつい」と訴えても、家族にも地元医師にも全く信じてもらえず、医師にまともに向き合ってもらえません。

周囲からも、その元気そうな外見から、何も気遣ってもらえないのです。

体調的には、患者自身は「入院」に匹敵するぐらのしんどさなのに、決して入院させてもらえないのです。

元気そうに見える人は入院では対応してもらえない

家族に仕事を休んでもらい、2時間かけて点滴に病院に行っても、地元の医師は、「(脳脊髄液減少症で動けないぐらいで)点滴のためだけでの入院なんてできないよ。」と笑われたりも過去にはありました。

点滴はしてあげるけど、毎日来れる?って・・・・

行けるわけないじゃないですか?一人で病院にいけないなら患者を毎日点滴に連れてくるために、家族を毎日仕事や済ませろっていうんですか?

そんなの無理だから、私はひたすら自宅で症状に耐えることを選びました。

他の病気やケガだったら、入院での治療が、きちんと健康保険で認められているのでしょうが、おそらく脳脊髄液漏れ患者の対応としては認められていないのかもしれません。

インフルエンザ40度の体調のようなしんどさでも、歩こうと思えば歩けるし、少し横になるとまた手足に一時的に力が戻ったりするから、「ほうら、演技なんじゃないの?(もしかしてヒステリー?)」と医師や周囲に思われてしまいがちなのです。

仮病なんかじゃないんです

気圧の変化で体調も変わるから、低気圧の台風時に具合が悪くて寝込んでいても、高気圧の晴れの日には普通に動けたりするから、ますます「心の病」や「演技」などと誤解されがちなのです。

同じ脳脊髄液減少症でも、いつでも歩けず車いすとか、いつでも起きていられず寝たきりの人よりも、火によっては普通に動けるのに、とある日は、半身まひのようになったり歩行障害のようになるのでは、「ヒステリー」を疑われてもしかたがありません。その症状の変化には、気圧や、体を起こしてからの時間などが関係していることなど、普通の人は気づけませんから、そのおかしな症状変化を「演技」「心因性」としか思えないのも当然です。

しかし、現実に、脳脊髄液減少症では症状が変化するのです。

ただそのことを、多くの医師や周囲の人たちが知らないだけです。

脳脊髄液減少症の症状だと気づけない人たちはもっと悲惨

でも、自分が脳脊髄液減少症だと気づけた人は、まだいいのです。

私が、さらに悲惨だと思う人たちは、今も自分の原因不明の症状や生きづらさが、「脳脊髄液減少症が原因」だと全く気づいていない「潜在的な脳脊髄液減少症患者」だと私は思っています。

なぜなら、本人が症状で家庭生活や社会生活に困難を感じているのに、そのことが本人も周期も、「脳脊髄液減少症が原因で結果的にそうなっている。」ということに気づけないからです。

本人はどう自分であがいても、どうにもならないし、周囲はその人の失敗や行いを、その人の性格のせいや、本人の努力がたりないせいや、能力が低いせいだと、思い込んで、その人をバカにしたり、軽蔑したり、見下したり、叱咤激励したり、するからです。

いくら、間違いや失敗や行動の弱点を指摘されても、いくら、本人が努力しても、脳脊髄液漏れた脳を抱えた体では、症状はきついし、思考力も、判断力も、行動力も、機敏な動きも何もかもが、今までの「脳脊髄液が漏れていない、健康だったころの自分」とは違うのです。

どんなに努力しようとしても、どうにもならないその人のことを、いくら励ましたり、責めたり叱ったりしたところで、どうにもならないのです。

たとえば、治療が必要な病人を、治療もせずして、ただただ叱咤激励して問題が解決するでしょうか?

骨折して歩けない人に対して、「歩け!歩け!痛みは気の持ちようだ。!」と言い続けて、難になるでしょうか?

他の疾患では絶対されないであろう仕打ちを、脳脊髄液減少症患者だとされることを、何度も、何度も私は体験してきました。

私は、今、自分が思うように動けない、できないことを、「脳脊髄液減少症」のせいだとわかっていても、この「元気そうな見た目」であるがために、病名がついてもなお、周囲は脳脊髄液が足りなくて、髄液圧も低すぎて、脳がうまく機能していない「病人」だとは普段は見ないことがつらいです。

「おかしな人」
「怠け者」
「働く意思のない人」
「心の弱い人」
「常識のない人」
「年齢のわりにあいさつや年齢など気配りができない人、常識が足りない人」
「だらしがない人」
「脳力の低い人」
「話がよく飛ぶ人」
「自分中心の人」
「誰でも多かれ少なかれ具合の悪いところがあるのに、甘えている人」

と思われてしまいがちだと今も感じています。

それは単なる想像だけではなく、私は、実際に、人に口に出して指摘されたこともあります。

しかし、それはしかたがないことだと思っています。

だって、私がもし、逆の立場だったら、見た目が普通の人で、年齢のわりに、ちゃんとしていない人を見たら、私だってそう思いますから・・・・。

脳脊髄液減少症について知らない世間

脳脊髄液減少症についての情報が、世間にほとんどない中で、「見た目ふつう」で、地元に支えてくれる「脳脊髄液減少症専門医」も皆無の状態で、ただ、たまに点滴してくれる医師だけはなんとか確保しても、本当に具合が悪い時には、自分で運転して病院に行って点滴などできるはずがないのです。

大人なんだから、動こうと思えば自分で行けるんだから、自分で病院に行くのが「当たり前」とされている現状に、「脳脊髄液減少症だと症状がきつくてひとりではとてもじゃないけど、病院にさえ行けないんだよ。」と言いたくなるのです。

一体、自分で近くの病院に点滴に行けるだけの患者が、どれだけいるのだろう?と思いました。

さまざまな点で、支援が必要なのにもかかわらず、「支援が必要ない人」という認識で、大人なんだから、「自分でなんでもできるはず。」と周囲から当たり前のように求められるのは、脳脊髄液減少症患者にとっては、本当につらいことなのです。

今日、家族はまた、私を一人家に置いて遊びに出かけました。

私一人ではできないことがたくさんあるのに、これからひとつひとつ家事をこなさなければなりません。

ひとりぼっちで、こうしてパソコンに向かっていると、症状が「脳脊髄液減少症」のせいだとわかって、治療に至って現在がある私でさえ、今も「理解されていない感」を感じて、生きていくのがつらいです。

なのに、今も病名もわからず、苦しんでいる人は、もっともっとつらいだろう?と想像しています。

ドクターショッピングは好きでしているのではない

脳脊髄液減少症が原因だとわからなければ、原因不明の症状を抱えていて、ドクターショッピングを繰り返し、検査をしても異常がでず、症状の訴えが多いから、神経症扱いされ、医師にも相手にされず、病名がつかないから、家族にも病人だと認めてもらえないで普通に動き働くことを要求され続ける。

怠け者扱いされ、自分の症状の原因が、脳脊髄液減少症だと気づけない人たちの生きづらさを思うと、毎年2万人近く出る日本中の自殺者の中に、脳脊髄液減少症の潜在患者が相当含まれている気がしてならないのです。

昔、私が、長い間、脳脊髄液減少症の病名も専門医も存在しなかったころを生き延びたあのころ、症状を誰にも理解されず、しかし症状はあまりにも激しく、それでも医師には相手にされず、助けてもらえず、医師や家族に、「気のせいだ。」「気の持ちようだ。」と言われ続けました。

「症状を気にしてばかりいるからそうなるんだ。」と言われながら、生きていたころの孤独感と生きにくさを思い出すと、あまりの症状のつらさと孤独感、孤立感で、身体的にも精神的にもあまりにもつらすぎて、自ら亡くなる人が出てしまっても、不思議ではない、と思うのです。

今なお脳脊髄液減少症に無関心な社会

今もなお、脳脊髄液減少症に無関心な社会を、私はなんとかしたい、と思うのです。

そうでないと、今後もなお、脳脊髄液減少症によって間接的に、命を落とす人を出しかねないと思うからです。

今までのマスコミ報道で訴えてきたくれた脳脊髄液減少症の患者さんたちは、ある意味、「周囲の理解に恵まれた患者たち」ばかりだと感じます。

「周囲の理解に恵まれていない患者たち」は表に出てきようがないほど、もっともっと精神的に追い詰められ、悲惨な状態に追い込まれているはずです。

マスコミ取材に応じられるだけの患者たちは、ある意味、周囲の理解に恵まれた人たちだけだと、
私は思っています。

先日の「声なき声」の記事でも書きましたが、本当に悲惨な患者たちは、表に出てきたくても、これない状況にあると、私は想像しています。

そういう危機的な状況にある人たちは、ネット上にもあまりいないかもしれません。しかし、その人たちこそ、脳脊髄液減少症の残酷さを知っているはずです。

ネット上であっても、ブログやSNSなどを通して声が出せる患者は、いまどんなに症状がつらくとも、まだ恵まれた人間なのだと、思います。

だからこそ、脳脊髄液減少症のことを、ネットやマスコミを通じて伝えるにあたり、伝えることのできる患者は、いかに自分が恵まれて今があるか?に気づき悲劇のヒロインになることなく事実を淡々と伝えるだけでなく、声が上げられない人たちの分まで、声を上げなけれないけないと思います。

自分がもし、あの時、あのまま、脳脊髄液減少症に気づけなかったら?自分はどうなっていたか?もし、あの時、脳脊髄液減少症と診断してくれる医師に出会えなかったら?

もし、家族に治療費など支えてもらえなかったら?
もし、あのまま働かざるをえない環境にあったら?
もし、あのまま病名がつかず、家族や周囲に誤解され続けていたなら?
もし、治療費が払えず、自費の治療が受けられないままだったら?
もし、家族が通院に連れていってもらえなかったら?

など、ありとあらゆることを考えて、声が出せない人たちの分まで、世間に脳脊髄液減少症のことを伝えてほしいと思うのです。

私も、今伝えるとしたら、以下のことを伝えたいと思います。

もし、私が、あのまま、5分も座っていられない、起きていられない状況で、一日中、寝たまま過ごしていたような状況のまま、脳脊髄液減少症だと診断もつかず、地域の医師にも、相手にされず、冷ややかな目で見られ続け、家族にも怠け者扱いされ、かつ、生き地獄のような激しいだるさと痛みと呼吸困難とがあるのに、ほうっておかれたら、とても生きてはいられなかったでしょう、と伝えたいのです。

大人の女性としての家事をやることが当たり前だという態度を、家族にとられ続けても、私は、いまごろ、とても生きてはいられなかったと思います。

私はこう見えて、ここまで生きてくるのに、かなりの修羅場をくぐってきています。

今も、外見からはわからない、体と心の苦しみを抱えています。

脳脊髄液減少症は、髄液漏れを止めて、それでおしまいではなく、「脳脊髄液減少症」と診断がつくまでの期間が、長ければ長いほど、周囲や医師の誤解によって受けた心の傷は深く、それは、「精神的虐待を繰り返し繰り返し、社会から受け続けたのと同じ」であると私は感じています。

その心の傷までも含めて、医療で、きちんと支えてくれる仕組みの構築も待ち望まれます。

現在の脳脊髄液減少症の医療現場では、そこまではまだまだ手が回っていないように感じます。

さらに言えば、もっと悲惨な脳脊髄液減少症患者は、自分の症状が、他人からの暴力や他人が起こした事故によっての脳脊髄液減少症によるものだということに気づかず、

周囲にも医師にも理解されないまま、失意のうちに孤独感の中で、一人亡くなっていった人たちかもしれません。

その人たちの無念さ、苦しみ、悲しみを想像し、生き残っている脳脊髄液減少症患者の私が、今後、脳脊髄液減少症についてどう伝えたらいいのか?考えています。

 

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自己紹介

lily

健康オタクの脳脊髄液減少症のサバイバーです。「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

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