2020/07/04

ネットでニュース
をたまたま見ていて、次の文章が目にとまりました。
「リスクを取らなくなった大手マスコミ」という記事の中での一文です。
週刊文春の新谷学編集長は今年3月、インターネットメディアのインタビューに応じ、
「いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。
評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない」と語りました。
新谷氏のこの言葉は、新聞やテレビの“ダメさ加減”を的確に言い当てています。
つまり、既存の大マスコミがリスクを取らなくなった、ということです。
一方、経営悪化によって、社員のリストラに着手した新聞社も少なくありません。
こうなると、現場でもリスクを恐れ、記者がますます冒険をしなくなります。
と書かれていたのを読んで、「なるほどなぁ」と思いました。
脳脊髄液減少症の報道についても、かつてそうだったなぁ・・・。と(今もほとんどテレビ、新聞、雑誌、で取り上げられていませんが・・・。)
「評価が定まっていないものに対して、慎重を通り越して、リスクを怖がってマスコミが全く報道しない」のは脳脊髄液減少症の報道についても、過去にあったし、今も、言えるなぁと感じました。
ましてや、医学論争になっており、「脳脊髄液減少症なんて存在しない。」とか「脳脊髄液が漏れるなんてあったとしてもまれ」だとか、「交通事故の衝撃や転倒などで髄液が漏れるはずがない。」とか「ブラッドパッチ治療の効果なんてプラセボ効果だ。」と言い張る医師たちの方が、多かった時代、どんなに苦しんでいる患者が助けを求めていても、そんな患者の声に耳を傾け、患者の苦しみを報道しようとする記者は少なかったし、たとえ報道されても、誤解を招きかねない記事や、反対する医師側よりの記事がありました。
長期にわたってしっかり取材し続けて正しく報道する記者はほとんどなく、その場限りの問題の核心に迫れない記事ばかりでした。
そんな記事を読むとき、やはり記者自身も恐れているんだろうな、と感じたことも何度かありました。
脳脊髄液減少症について、批判的な医師が多い中、脳脊髄液減少症の患者に寄り添う医師側よりの記事が出た時、この記事を書いた記者さんは、非難の嵐に耐えなければならないのかな?とか社内で批判されないのかな?飛ばされないかな?
などと、とても心配になったことが、なんどかあります。
患者の現状を記事にしてくれるのは、ありがたいけれど、患者の私が、記事を書いた記者を心配してしまうほど、社会や医学界の脳脊髄液減少症に対する風当たりは強く感じていました。
そんな中で、継続的に、脳脊髄液減少症の患者の現状を取材しつづけ、長期にわたって記事を書き続けた、数少ない記者さんの存在は、脳脊髄液減少症の歴史の中にも、刻まれるべきだと、
私は思っています。
あの記者さんの記事なくして、脳脊髄液減少症のブラッドパッチ治療の保険適用までの歴史はなかったと思います。
都知事のお金の使い方でも大地震での被災地の現状でも、なんでもそうですが、報道されなければ、世の中に認知されない。
でも、報道の仕方によっては、正しく伝わる場合とそうでない場合がある。と、つくづく思います。