2020/07/04

本日の読売新聞の記事に
考えさせられました。
暮らし面の「人生案内」という、コーナーの記事です。
いつもは、他人の悩みに付き合えるほどの心のゆとりが私にはなく、
こういったたぐいの記事は、あまり真剣に読まないのですが、
なぜか、
本日6月1日のその記事はそのタイトルにひかれて、
読んでしまいました。
その相談者の内容のタイトルは、
「箸の持ち方 下手な人に不快感」というものでした。
30代の男性の相談で、
「会食で同席した年長者の箸の持ち方や使い方が見苦しく、
幻滅した。
自分は両親に箸の持ち方を厳しくしつけられたため、
箸の持ち方がデタラメや自己流の人を見ると、嫌悪感を覚え、その人がいると
会食が楽しめない。」という内容でした。
「いい年をして、箸の使い方も知らない。かわいそうな人だ。」と思えばいいのですが、やはり不快感が
拭えません。
とも。
それに対する、心療内科医の海原純子先生の回答が、
「会食はお付き合い、ミーティングであり、楽しもうと思わない方が
いいのではないか?職場の延長と考えると他の人の箸の持ち方が気になってもやり過ごせます。」というアドバイスでした。
興味がある方は、
本日の読売新聞の「人生案内」をお読みください。
相談者の悩みに答える
心療内科医の回答。
ありきたりの人生相談の記事。
いつもはそう気にも留めないのですが、
今回は違いました。
2者とは違った視点で、
2者のやりとりを拝見した私は、
いまはやりの
「第3者」なのでしょうか?
おもわず、
「ふぅ~」とため息が漏れてしまいました。
相談者も、
心療内科医も、
みな自分の体験した世界からしか、物事を考えられない。
自分以外の人たちの存在を、
想像できないんだな。と・・・。
それは、誰でも
そうなんだけど・・・・。
では、
第3者の私の視点から、
相談者に回答してみます。
「箸の持ち方下手な人に不快感」
30代男性の相談者さまへ
回答者 lily
会食で同席した年長者の箸の持ち方が見苦しく、幻滅してしまい、
それ以来、彼を避けるようになってしまったのですね。
「自分より年上の人なら、知っているべき当たり前の食事のマナー」ができていない人に
おそらく初めて遭遇したあなたは、
今までのあなたの経験からの価値観と常識から、かけ離れた相手の存在に驚き、
不快に感じてしまったのでしょう。
それは、人として、当然の反応かもしれません。
あなたは、両親から厳しく食事のマナーをしつけられたのに、
箸の正しい使い方もできないまま、大人になり、自分より年を重ねている人間が
社会人として存在していること、存在し続けられることに、怒りを感じてしまったのかもしれません。
その怒りが、
相手に対する嫌悪感と、彼を避ける、彼と一緒の会食は楽しめない、
彼が視界に入らないような席に座るといった行為に至るほど、
あなたを苦しめてしまっているのかもしれません。
でもね、
ちょっと待ってください。
私の経験を聞いてくださいますか?
私も実は、箸の使い方がおかしかったのです。
他人がみたら、
いい年をして、箸の使い方もまともにできないダメな人、
食事マナーもしらない、
箸の使い方がいいかげんで自己流のおかしな人、と思われることでしょう。
あなたのように、「見苦しい、不快だ、幻滅した。」と
箸の持ち方ひとつだけで、私の人間性まで否定されてしまうこともあったかもしれません。
実際に、「箸の使い方がおかしい。」と家族には指摘されたことがありますから、
他人も、あなたのように、
「箸の持ち方を直すべきだ。」と私に言いたいのに
あなたが思い悩むように、言われた人が「傷つくかもしれない。怒り出すかもしれない。」と
なかなか言えず、イライラしつづけ、私をを嫌悪し続ける人も、いたかもしれません。
でも、そのとき、私は、箸を操作するべき手が、思うように動かなかったのです。
診断がついた今なら、
「脳脊髄液減少症によって、手の緻密な動きができにくくなっていた、巧緻運動障害があった」と私もわかるのですが、
当時の私には医師にも脳脊髄液減少症に気づいていませんから、
私は自分に何が起こっているのかもわかりませんでした。
ただ、箸が使いにくい、字が書きにくいのは自覚していました。
それが他人が見て不愉快なことだとまでは、あまり考えませんでした。
当時は自覚症状も
いくら医師に相談しても、原因不明でしたから、
手が思うように動かないことで起こる、
箸の操作しにくさ、や字の書きにくさ、
それによって、起こるおかしな箸使いや、汚い文字を、
周囲から指摘されたり、笑われたりしていました。
でも、人にどう不快に思おうが、笑われようが、
私には、それが精いっぱいの末の箸使いであり、精いっぱい書いた字だったのですから、
どうすることもできなかったからです。
ですから、
私はあなたの相談を読んだとき、
「もしかしたら、その人は、
箸の持ち方や使い方が見苦しい人の中に、脳神経の障害や、手の巧緻運動障害がある人がいるかもしれないのに。」と
真っ先に思ったのです。
でも、そういう視点は、
あなたも、
相談者の心療内科医の先生も、
誰も、お持ちでないようでした。
どうして、そういう視点をもって、相手を見る人がいないのでしょうか?
一見ふつうな健康人に見えたとしても、
私のように、医師も本人も、気づかない、疾患や障害が隠れていて、
結果的に、そうなっている場合もあるのですから・・・。
その人が全くの健康人で、なんの病名がついていないとしても、
もしかしたら、
私のように、誰も気づいていない疾患がそうさせているのかもしれないし、
たとえ本当に健康人で
単なる小さいころからの箸の持ち方の癖でそうなっている人だとしても、
私はその人の動作には、その人なりの意味があると思うことで、
それほどの怒りはわかないと思うのです。
そして、あなたが、
相手を「変わった箸の使い方ごと」受け止め、
相手は自分と全く同じ人間として見るのではなく、
体も脳も生い立ちも育ち方も違う人間だと思えるなら、
それほどの怒りはわかないのではないか?と思いました。
「もしかしたら、そういう箸の使い方しかできないような、何か事情があるのかもしれない。」という考えを
もし、あなたが持てたなら、
相手に対し、もう少し優しい目で見ることができ、
ありのままの彼を受け止められ、彼との会食も苦痛ではなくなるかもしれません。
なんらかの理由で、年長者になっても、
自分と違って、おかしな箸使いしかできない人もいるのだと、
そういういろいろな人がいるのが社会だと、
あなたがもし、思えるようになれば、
あなたのイライラは起こらないようになるのかもしれません。
世の中にはいろいろな人がいて、
あなたの期待にすべて応えられる人ばかりではありません。
あなたの期待や理想から
外れる行為が1つある人であっても、
その人を全否定することは、
あなたにとってももったいないことだと私は思います。
もしかしたら、
あなたよりすばらしいものをたくさん持っている人で
あなたにいろいろなことを教えてくれる人かもしれませんから。
たった一つの相手の行為が、
あなたの価値観からズレるものであったとしても、
人の行為に隠された意味をまずはいろいろ想像してみることは大切だと
私は思います。
そういった視点をあなたが持つだけで、
今までとは違った他人の見方ができるかもしれません。
もし、なかなか他の視点を考えつかなかったら、
思い切って相手に自分の思いを伝えてみるといいかもしれません。
もちろんリスクは覚悟で。
そうすると、意外な発見があるかもしれませんよ。
私もね
「箸の使い方変だね。」と言われて、
「そうなの、なんだか手が動きにくくて箸が持ちにくいの。」と答えたことがあります。
それを聞いて、
聞いた人は
「ああ、そうなんだ。」と思ったようです。
聞いてみないと、相手の事情はわかりませんしね。
そんなにあなたが苦しむくらいなら、
思い切って、その気になる人に、
「お箸の持ち方、独特ですね。」とか聞いてみたらいかがでしょう?
もちろん、相手を傷つけることも、
相手が不快に感じることも、怒ることも、覚悟で・・・。
でも、もしかしたら、
意外な答えが返ってくるかもしれませんよ。
「実は、昔、指のじん帯切ってまして、手術しているんですよ。」とか
「脳の疾患の後遺症でこうした持ち方しかできなくて」とか、
「幼いころから直そうと努力したんですがねどうしても直らなくてね。見苦しくてごめんなさいね。」とかね。
「そうなんですか・・・。失礼なこと言ってごめんなさいね。」とあなたが思わず言ったりして、
思いがけずその人との距離が縮まり、
思ったよりいい人だってことに、気づいたりすることだってあるかもしれません。
そう気づくことで、
それ以後、その人の箸使いなんて、もうあなたにとって、
どうでもいいことになるかもしれません。
人って
その人にしかわからない事情や理由があるものですから、
外見からだけではその事情はわかりません。
自分だけで悩んでいるより、
思い切って相手に疑問をぶつけたり話せば、わかりあえることもあるかもしれません。
そこまでの必要のない人なら、
「なにか事情があるんだろうな。」と思うだけでも、
あなたのイライラは鎮まるかもしれません。
いずれにせよ、
相手を変えようとする、
その、あなた自身が変わることで、
同じ相手の同じ行為を目にしても、
あなたのイライラや不快感も消えたり、
軽減するかもしれませんよ。
あなたが変わる!
あなたの視点と考え方を変える!
すると相手を許容できる!かも?
おためしあれ。