2020/07/04
sponsored link
「髄液漏れ」はわかりやすいものだけじゃない!
最近のお相撲さんの怪我のテレビ報道で、頭の骨折だけが、「髄液漏れ」の原因だと思われそうなことがすごく嫌です。
髄液漏れは、そんな誰にでもわかりやすい、骨折に伴うようなものだけじゃないのに・・・・。
報道では、そのお相撲さんにはあくまで「疑い」で「髄液漏れ」は実際にはなかったみたいですが・・・・。
最近は、本当の意味での長年「髄液漏れ」を見逃されて脳脊髄液減少症になるとどうなるかについてなんて、よくわかってもいないような人たちが、すぐ、「髄液漏れ」という言葉を使ったりするのが気になります。
髄液漏れをテレビで解説したりするのを見聞きすると、私たち過去の骨折もないような脳脊髄液漏れ患者や、何年もの間、症状を訴えても訴えても、原因不明とされて髄液漏れをほったらかされてきた患者たちは「いないもの」として忘れられていくのか・・・・と絶望感で一杯になる時があります。
私たち、過去の髄液漏れ患者たちが何を経験してきたのか、語らなければ何も伝わらないのに、語る人は少なく、過去の患者たちは年々高齢化し、亡くなっていくことでしょう。
そして、いつか、皆が、2000年以降に髄液漏れを起こした患者だけになり、最近の早期発見早期に「髄液漏れ」の病名をもらえて病人として、あるいは怪我人として周囲から認められたり、保障や治療を受けられたりする患者ばかりになるのでしょう。
私たちのような、髄液漏れの見逃しが何年も続いたり、髄液漏れという原因にさえたどりつけず、精神病扱いされ続け、精神科の薬や、不要な見当違いの薬を飲まされたり、周囲から症状を誤解されて、仕事やパートナーを失ったり、仮病あつかい、怠け者扱いされたり、あるいは、学校に通えなくなって不登校扱いされたり、そういう経験をし続けた脳脊髄液減少症患者は、「いなかった存在」として、忘れ去られていくのでしょうか?。
脳脊髄液減少症が見逃され続けること、誤診され続けること、起立性調節障害や、うつ病、更年期障害、精神疾患などと間違われること、それが何を意味するのか、誰かが書き続けなければ、世の中には伝わらないのでしょう。
過去を知っている人たちはどんどん高齢化していく中で、どれだけの人が、脳脊髄液減少症に何をされたのか?加害者がいかに国や周囲に守られ、いかに被害者が誰にも守られずに来たか?誰が言い残して、書き残して行けるのでしょうか?
私は、どこまで書き残せるか、自信がありません。
書くことは、現代の患者と比べて、自分の悲惨さを振り返ることでもあり、つらすぎるからです。
戦争体験者が経験したすさまじい事実を語らず、ほとんどの人たちが墓場まで持っていってしまうのは、そういうわけがあるのだと、想像しています。
語らない方が、思い出さない方が、楽だからです。
それも生き延びるための、人間に与えられた本能なのだと思います。
思い出してつらすぎて生きていられなくなるぐらいなら、何も語らず、思い出さない方が、「なかったこと」に自分でした方がはるかに生き延びやすいのだと思います。
しかし、私の希望は、過去に脳脊髄液減少症の患者たちに何があったのか、医師たちはどうして見逃したり、さらに患者を苦しめたりしたのか、きちんと語りつがれ、それが医学教育の現場で、教訓として伝え続けられることです。
語りたくないし忘れたいけど、若い医師には伝えたい、この相反する二つのことを同時にするのはエネルギーがいります。
果たして、若い医師たちに、過去の患者の私の思いは伝わるのかさえわからないし・・・。