2020/07/04

昨日の朝日新聞に、世界選手権陸上男子400メートル障害銅メダルの、為末大 選手の「憧れのヒーロー出てこい」という記事が掲載されていて、その中の文章に私は目が止まりました。
ここ数年、パラリンピックを取材して感じるのは、“かっこいい”と“かわいそう”は両立しないということだ。
“かわいそう”な状況を乗り越えて、頑張っているという文脈は、共感を呼ぶけれど、憧れの存在にはなり得ない。
“かっこいい”というのは、圧倒され、自分もあんな風になりたいと強烈に思わされる存在に抱く感情だ。
という文章です。
私のもやもやしていた思いを、言語化していただいたようで、「これだ!」と思いました。
そう、脳脊髄液減少症の場合も「かわいそう」と「かっこいい」は両立しないと思うのです。
さらに、
パラリンピックは選手一人ひとりの障害の背景にストーリーがあるため、そこに意識がいきがちだ。
障害を乗り越えたストーリーは感動するが、それとパフォーマンスは関係がない。
とも書いてありました。
私は、「障害を乗り越えたストーリーと、パフオーマンスが全く関係がない。」とは、思いません。
私は、「障害を乗り越えたストーリーがあってこその、今のパフォーマンスがある。」のだと思っています。
しかし、ことさら障害を取り上げるのは、
先の記事でも触れた
「不必要に障害の部分だけを取り上げ“感動”を演出する。」という内容にもつながる気がしました。
もしかして私の望みは、かっこいい存在になりたいのかもしれません。
脳脊髄液減少症で理不尽な思いをして、「かわいそうね」とか、同情されることや、「大変ね」とか、「頑張っているね。」とか思われることではなく、脳脊髄液減少症で苦労しただろうけれど、今はかっこいい存在になっている、と思われたいのかもしれません。
障害を抱えたり病気の人も、苦難を乗り越えてその人らしく生きる姿を見せることで、
記事にあったように
障害を抱えた子供たちに、
目を輝かせて、ああなりたいと感じさせるような
そんな、こどもに憧れられるような大人でいたいのかもしれません。
“かわいそうな大人”ではなく、どんな障害や辛苦を抱えようと、かっこよく生きている大人の方が、子供たちに憧れられる存在になれるのではないか?と気づきました。
他人が勝手に引き起こした事故によって、脳脊髄液減少症にさせられても、どんな困難も無理解も、苦しみも乗り越えて生き続け、
自分の運命も、人生も受け入れ、それでも前を向いて自分の信じる方向へ突き進み、症状がなかなか改善しなくても、誰も恨まず、症状があっても、人生を楽しみ、輝いてみせ、
患者として、脳脊髄液減少症に無理解な社会を変えるべく、なすべき使命をこなし、そして人生を全うし、「かっこいい」と思われるような患者になること。
それが、私がしたかったことなのではないか、と、ふとこの記事を読んで思いました。
「かっこいい存在」になるということは、私にとって、パラリンピックに参加できなくとも、パラリンピック参加と同じくらいの大きな目標になりそうです。
そのためには、後に続く脳脊髄液減少症の患者さんたちに、「かっこいい」と思われるような生き方をすることだと思っています。
パラリンピックのアスリートたちのようになりたい・・・。私もパラリンピックを見て、そう思いました。
“かわいそう”ではなく“かっこいい”と思われる存在になることは、脳脊髄液減少症患者にとっては、簡単ではないことです。
手が切断されたわけでも、脚が切断されたわけでもなく、知的障害があるわけでもない、どこからどう見ても普通の人間にしか見えないのに、波のある症状で、痛みや、痺れや、物忘れが出て、時には自分はおろか周囲までも危険に巻き込みかねない。
思うように動けない、働けない。それでも怠け者にしか見られないのが脳脊髄液減少症だと思います。
年相応にできないことがあれば、無能、だらしがない、常識がない、性格が未熟、自分の努力不足、と、誤解されがちなのが、
脳脊髄液減少症なのです。
一見、誰にも症状がわからない、数々の症状を抱え、それをひとつひとつ克服していくことは、容易ではありません。
早期発見早期治療で簡単に完治した人なら苦労はないでしょうが、そうでない私のような人は、そう簡単にはいきません。
同じ脳脊髄液減少症で苦しむ患者さんたち、特に、私と同じように、見逃され続けて、診断と治療が遅れ、
寝たきり同様になってしまって、ブラッドパッチ治療してもなかなか改善しない患者さんたちに、私が改善して元気に生きる姿を示すことで、回復できると信じ、それに向かってあきらめず生きることが、少しでも“かっこいい”と思われ、自分もあんな風になりたいと思ってもらいたいです。
そして、後に続く脳脊髄液減少症の患者さんたちに、希望を持って前向きに治療やリハビリに、医師任せ、薬任せではなく、
自分で能動的に取り組んでいただけるようなきっかけになる、そんな存在になりたいと思います。
“かっこいい”脳脊髄液減少症患者だけではなく、できれば、完治して、“かっこいい” 「元・脳脊髄液減少症患者」になりたいです。
そういう目標を私自身が持つことで私もまた、前向きに生きられそうな気がします。
見えない障害と症状の脳脊髄液減少症の理解が、世界中に広がるには、まだ時間がかかるでしょう。
「障害は固定」の概念では、症状がさまざまに変化するしかも治る可能性のある脳脊髄液減少症では、パラリンピックに出られる日は
こないかもしれません。
パラリンピックは閉会しましたが、私の中での自分内パラリンピックは今日も開催中です。