リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状に潜む脳脊髄液減少症の早期発見と回復、症状理解による患者に優しい社会の実現のために、私ができること

体調が悪い朝に思ったこと

time 2016/03/23

体調が悪い朝に思ったこと

きのうは比較的、朝から体調が良く、とても楽に動けた一日だったのに、今日は朝からとても体調がわるい。
朝から、だるくて、全身が重くて、両手両足が思うように動けないで家の中の移動もしんどいほどです。
とにかく、体調がきついんです。

気圧のせいなのか?昨夜、脱水ぎみになってしまったためなのか?
わかりません。

体調が悪かろうがなんだろうが、容赦なく、朝から家事が待っている。
お湯をわかし、お茶を入れ、弁当をつくり、ミルクココアをつくり、あぶらあげと、小松菜の味噌汁をつくり、昨日揚げたドーナツをオーブントースターで温めた。

昨日作った八宝菜を温め、昨日焼いた鮭を温めてほぐし、昨夜セットしておいた、「あっさり塩の鶏ごはんの素」で炊いたごはんをよそった。

卵焼きをやき、お弁当に入れる冷凍食品を電子レンジであたため、力が入りにくく、動きにくい手、立っているのもつらい体で、がんばった。

お湯の入ったやかんを持ち上げるのも、目玉焼き1個のったフライパンを持つのも、バーベル上げのように重く感じる。

なんで今日は、こんなに体調が悪いのか?
普通の人は、少しのお酒のたしなみで、寝ている間に脱水になって、手足の力が抜けるなんてことは、起こりえないはず。

でも、脳脊髄液減少症の私には、起こりえるんです。
原因をいろいろと考えます。

天気予報を見ると、昨日と比べて、高気圧の位置があきらかに違う。
明日から、気温が下がるようだ。
このせいかな?

いつもそう。気圧が変わって、これから低気圧が近づいて来る時、気温が下がる前、具合いが悪くなる。
普通の髄液が満タンの人間の体だったら、そんなささいな気圧の変化で、日常生活が困難に感じるほどの体調悪化はでないはずなのに、髄液漏れたり、髄液が足りなかったり、する人間の体は、些細な気圧の変化にも、すさまじい症状に悩まされる。

なぜ、私の体は今も、こんなにも、ささいな気圧の変化で、体調が良くなったり悪くなったりするのか?

これは、もしかしたら、髄液漏れが再発しているのかもしれないと自分としては、思うのです。

昨年から、自分ではそう思っているのだが、検査結果にそれがでないから、とにかく耐えるしかない状況が続いているのです。
漏れていないとしたら、髄液の生産量と吸収量のバランスがおかしいのか、生産量が足りないのか?吸収量が多いのか?

その両方で、だんだん体調が悪くなっていくのか?
そんなことを一人でもんもんと考える。
そんな話を相談できる医師も身近にはいない。

症状がある時には、経過観察だけの期間はあまりにつらいし、呼吸が苦しいほどの症状が出て、一刻も早く専門医のところに相談に行きたくても、予約を早めてもらうのも、待っている多くの同病患者さんを思うとはばかられ、がまんしてしまう。

こんな脳脊髄液減少症患者の、過酷な現状を、社会はまだ知らない。

患者の症状の過酷さや、専門医の少なさを知っていて、地元で手を差し伸べてくれようとする医師がいれば、まだ救いもあるのだが、それがないから、本当に孤立している。

遠くの主治医の次回の再診が数カ月後という時の、体調の悪化時は、とにかく、つらいのです。

今ある、症状が、たとえ気圧の変化による一時的なものであっても、髄液が漏れていないと思われていても、とにかく、日常生活に支障をきたすほどの症状が出た時ぐらいは、遠くの主治医に行けない時ぐらいは、地元の医師に支えてもらいたいのです。

けれど、そういう具合が悪い時に地元の病院の医師に症状を伝えたって、そのつらさしんどさは理解してもらえない。
元気そうな外見と、歩いて病院に来れることで、緊急性がないと判断されれば、また真剣には向き合ってもらえない。

鉛の鎧を着たように重い体で、手足を引きずるようにして、やっとの思いで地元の病院に行っても、真剣に相談にのってもらえず、「はい、様子を見て、また次回の予約は2カ月後ね。」では、身近でいつでも相談できるという安心感にはつながりません。

もう、この病院の医師も頼れないと思ってしまうのです。

マスコミもそんな脳脊髄液減少症患者の現状をしらないから、安易に、脳脊髄液減少症患者が「病院ですぐ診てもらえる」なんて思っているような報道を平気でするのです。

2月18日のNHKあさイチで脳脊髄液減少症が取り上げられた時、コメンティターたちの言葉に、そんな印象を受けました。
とんでもない。すぐ診てもらえ、悪化時、すぐ対応してもらえ、地元で医師が主治医と連携して診てくれるのであれば、患者は、こんな孤立無援の生活での苦労はしていません。。

もし、脳脊髄液減少症に対し、もっと興味関心を持って、地元でなに積極的に患者とかかわる姿勢の医師が増えてくれたら、どんなにか生きやすく、暮らしやすくなるのに。
その救いすら、少なくとも私の周りには一切ないのです。

うっかり受診して、脳脊髄液減少症の病名を出せば、自費の治療を受けた私と、その治療をした主治医と、その主治医が属している病院と組織に対して、批判を始める医師に、私は今まで何度も何度も遭遇してきました。

その時の症状の辛さは時間と共に私は忘れていくが、その時の医師の無理解と誤解からの言葉や対応は、悲しすぎて辛すぎて、忘れられないのです。

そして、トラウマとなり、患者の私の、医療不信、医師不信を加速させてしまうのです。

初対面で、これだけ医師に批判されるのは、普通の広く一般に認知された病名であったら、ちょっとありえないないだろうとも思うのです。

脳脊髄液減少症が、その存在すら疑問視され、当時からつい最近まで、医学論争になっていた病名だから、批判的な医師は、脳脊髄液減少症という病名を聞いたとたんに顔色を変え、患者の私に対しても構えた姿勢をとり、自分の、脳脊髄液減少症の知識のなさを隠すかのように、批判を始める人が多かったのです。

患者として、そういう医師に会うと、本当に悲しかったのです。
症状に加えて、その仕打ちで、心が折れそうになり、生きているのもつらく感じることもありました。

多くの医師は、自分たちのそれぞれの専門分野と脳脊髄液減少症が深く関係していることに、まだ気づいていない。ようです。

自分たちの目の前に現れる、原因不明の症状を訴える患者の中に、脳脊髄液減少症患者が多々潜んでいる可能性にも、まだまだ、多くの医師が気づいていない。

脳脊髄液減少症がいかに身近で、いかにその症状がきつく、いかに人の日常生活を阻害し、治療もされずに放置されると、いかにその人を苦しめ、にその人が誤解され、その人の人間関係や、仕事まで奪い、人生を壊していくか?

脳脊髄液減少症の早期発見と早期治療の重要さ、緩和ケア、チーム医療の必要性、高齢者の中に潜む脳脊髄液減少症の可能性、
不登校の子どもたちや、ひきこもりといわれている若者の中に潜む、脳脊髄液減少症の存在、さまざまな原因不明とされる病名だと診断された患者の中に、脳脊髄液減少症が見逃がされている可能性、闘病を支える福祉の重要性にも気づいていないようです。
それらのことに、社会が気づき、国家レベルで対策を講じ始めるのは、いったい、あと何年後のことなのでしょうか。

早く、脳脊髄液減少症の真実が広く社会に認知してもらわなければ困るんです。
そのためにも、患者が黙っていてはダメなのだと思のです。

断られても、嫌がられても、嫌われても、あった事実は事実として、それを伝えていく努力をするのは、生き残った患者の使命ではないかと、私は思っています。

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自己紹介

lily

健康オタクの脳脊髄液減少症のサバイバーです。「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

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