2020/07/04

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患者参加型治療
昨日(2017年9月23日土)のサタデープラスという番組で、肥満治療に取り組む、よこはま北星クリニック理事長の、島野雄実ドクターの言葉が心に響きました。
その言葉とは、
「治療というと、なんとなく皆さん薬が出てくるイメージがあるかもしれませんが、よく考えると薬だけが治療ではなくて、患者様参加型の治療、一緒に参加してもらう、健康を一緒にとり戻していきましょうよ、というスタンスなんですよね。」というものです。
患者が「医師がすべて治してくれる。」という受動的な考え方ではなく、自分が治すという能動的な意識を持ち、医師と共に、治していくという考え方なのだと思います。
確かにその通りだと思いましたが、脳脊髄液減少症の場合、さらにその上をいく患者の意識が必要だとも思いました。
脳脊髄液減少症の場合、少ない専門医に日本各地からや世界から患者が殺到しているし、まだまだ治療経験や、脳脊髄液漏出症の画像診断の知識や技術のある医師ばかりではありませんから、普通の病気の患者よりもさらに医師任せには、したくてもできない厳しさがあります。
そのため、患者自身の自主性が必要となってくると私は感じます。
大切なのは自分が治すという意識
脳脊髄液減少症の場合、医師が主導権を握り、患者がそれに参加するというより、患者自ら情報を集め、医師を探しあて、自分が通える範囲での医師を確保するというところからまずしなければならず、それが大変なのです。
患者主導型といっていいほどより積極的に、打たれ強く自分から動かないと、診断にも治療にも回復にたどり着けないという厳しさがありました。少なくとも私の時代は・・・。
今もあると思います。
すべての医療関係者が、その疾患について教育されていて情報を共有していて、医療体制が整えられている病気やケガなら、
自分では何もしなくても、周りが自動的に回復に向かわせてもらえるようなシステムができあがっています。
しかし、脳脊髄液減少症はけっしてそうではありません。
医療関係者にも知識がない人の方がまだまだ多いから、自分が何もしなくても解決まで周りが導いていってくれることは、よほどラッキーな患者でなければそういう風にはならないと思います。
少ない専門医には患者が殺到していますから、必要最低限の治療を受けられるだけで幸せなほど混んでいます。
普通の疾患と、脳脊髄液減少症は、そのへんの、患者を取り囲む医療事情が全く違うと感じます。
脳脊髄液減少症を簡単に考える人たち
それなのに、脳脊髄液減少症の医療界での闘争と、患者の必死の活動を何もしらない地元の看護師さんたちは、自分の病院でいともたやすく、医師が普通の患者同様に、脳脊髄液減少症患者を診て治療できるものと信じています。
どんでもありません。
それがしてもらえたら、私は苦労はしませんでした。
治療できたとしても「典型例」の患者だけでしょう。
不定愁訴ばかりの症状を訴えて、画像診断が難しい、脳脊髄液漏れの患者の場合、精神科に回されることが、今も起きているような気がしてなりません。
脳脊髄液減少症の場合、まず、原因不明の症状が脳脊髄液減少症かもしれないと疑って検査してくれる医師にたどりつけるまでの高いハードルがあるのです。
ブラッドパッチなんて難しい心臓手術や、脳手術に比べたら、誰にでもできる注射みたいなもの、とバカにする人たちもいることでしょう。
でも、ブラッドパッチ自体がいくら簡単でも、どこから脳脊髄液漏れが起こっているのか?どう治療していったらこの患者の症状は回復できるのか?は、華やかで見た目かっこいい、脳外科手術と同じぐらい、判断力と経験値が必要なものだと私は思います。
誰にでも簡単に診断でき、治療で回復させることができるのなら、何も全国から患者たちが、ただでさえつらい体で飛行機や新幹線に乗ってまでして、遠くの脳脊髄液減少症の専門医を訪ねないでしょう。
誰だってできることなら、自宅近くの医師に、さっさと早期発見早期治療で治してもらいたいに決まっています。
それができないから、患者は遠くの医師まで出かけていくのです。
そのことを、地元の病院の医師はもちろん、看護師さんたち、ソーシャルワーカーなど、誰もわかっていないのです。
やっと脳脊髄液減少症を否定しない、肯定的に診てくれる医師にたどりついたとしても、
次に、検査画像から正しく脳脊髄液減少症を見抜いてくれる医師にたどり着けるかどうかのハードルがあります。
回復までの高いハードル
次に、適切な治療をしてもらえるか?のハードルがあり、
治療に慣れていて、確実に髄液漏れを止めてもらえるか?のハードルがあり、
治療を受けた後、地域や家庭で生活でのさまざまなことや悪化時を家族や、地域の医師など周りに支えてもらえるか否か?のハードルがあります。
回復までは、普通の病気やケガではないような、何度も何度も高いハードルと困難と無理解が待ち受けています。
ですから、本当に、ある程度、何を言われても傷つかない強い心と、自分で医師を開拓していく、開拓団みたいな精神力がないと、身も心もくじけて崩れ落ちてしまいそうになります。
脳脊髄液減少症の症状のものすごさは、言葉ではなかなか表現できないし、精神力でどうなるものでもないのですが、それでもあるていどの精神力がないと、とても生き抜くことは困難だと感じます。
しかし、脳脊髄液減少症によって、その精神力を司るはずの肝心の脳がやられるので、うつ状態になったり無気力になったり、やけになったりしがちだし、判断力とか段取り力も低下し、その脳で自分を救い出すことを考えるのはとても大変なのです。
しかも、周囲の無理解や批判、反対があれば、なおさら、患者は窮地に立たされ、よけいに心身ともに負けそうになることもしばしばです。
それでも、自分のために、残る力を振り絞って、自分で助けを求めて動ける人だけが、診断にも治療にも回復にもたどりつけるのが、脳脊髄液減少症の他の疾患にはない過酷さだと思います。
この傾向は、脳脊髄液減少症のブラッドパッチが健康保険適用になる以前は、ものすごい過酷さでしたが、今もだいぶ理解を示す医師は増えてもまだまだ患者の苦労は続いているように感じます。
第三者に客観的に認めてもらえるか?
いつの日か、症状を言葉で表現できないような幼児が脳脊髄液減少症になったとしても、血圧みたいに、何か簡単に外部から「脳脊髄液漏れ」や「髄液の減少」が計測できるような検査機械やシステムが発明されて、
医師という第三者からでもいち早く患者の体に起こっている異常や患者の感じている苦しみが、客観的に推測でき、判断できるようになれば、患者の症状以外のこんなよけいな苦労はなくなると思います。
早く、脳脊髄液減少症が世界中で早期に医師に対応してもらえる日が来ることを願っています。