2020/07/04

脳脊髄液減少症のことを、テレビで取り扱って認知度を上げてくださろうとしている方々には大変申し訳ないのですが、私は、今まで、民放、NHKで取り上げた「脳脊髄液減少症」関連の番組を見て、適切に脳脊髄液減少症のことが世間に伝わると感じたものはほとんどありません。
それどころか、逆効果に感じるものがほとんどでした。
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脳脊髄液減少症の問題点をテレビで伝えるのは難しい
NHKの2016年の「あさイチ」しかり、民放のお涙頂戴的構成しかり、民放の明るい大家族の話題的構成しかり、NHKのEテレの難病特集しかり・・・
私にとって、今までのテレビ報道での脳脊髄液減少症は、脳脊髄液減少症のほんの一部の取材に応じられるだけの環境が整った恵まれた人たちだけを切り取ったがために、誤解を生みかねないと感じることもありました。
脳脊髄液減少症が、命にかかわらないたいしたことのない「軽い症状」あるいは逆に、
「特別な人にしかならない数少ない難病」などとかえって誤解されかねないと感じることの方が多かったのです。
また、家族や配偶者に暖かく支えられている患者さんだけが取り上げられるケースがめだつと感じます。
現実には、脳脊髄液減少症の症状を家族にも信じてもらえず、医師にも正しく診断されず、なまけもの扱いされ、家庭内での孤立や、家庭崩壊、離婚や自殺にまで追い詰められている患者さんたちだっているのですが、そうした人たちはけっしてテレビ取材に応じられませんから、表に報道されることはありません。
病名がつかず、何が自分に起こっているのかさえわからないまま、症状で動けなくなっても、家族に理解されず、なまけものと見捨てられたまま年をとり、脳脊髄液減少症の症状で一人ではだるくて着替えもできず、入浴もできず、頭も混乱して片づけもできず、室内はゴミであふれ、庭先もゴミであふれ、近所からはゴミ屋敷と疎まれ、迷惑がられ、ようになった家の中で、何かの支援でかろうじて生きているような脳脊髄液減少症患者さんたちだって、きっといるはずなんです。
でも、そういう人たちはけっして報道されない。本人も周囲も気づかないから報道されないのはしかたがないとしても、本人が気づいたとしても、そういう「絵」にならない人たちは視聴者受けは良くないだろうからか、
ですが、そういう人たちを取材したいという人もいないだろうし、見たいと思う視聴者もいないだろうし、取材に応じるだけの気力体力、精神的ゆとりがある患者もほとんどいないのだろうと想像します。
脳脊髄液減少症の本当の問題点は、見えないところにあるから、一見健康そうな見かけの人間が、いくら「つらかった」「こんなに悲惨だった」と言ったところで、その外見からでは「悲惨さ」が伝わりにくいと感じます。
私がいま、この見た目でいくら過去に脳脊髄液減少症にこんなに悲惨な目にあったと言ったところで、誰もその悲惨さを想像することは難しいでしょう。
むしろ、この姿を見せない状態で、文章で脳脊髄液減少症が私の人生にどんなひどいことをしたのかを書き記し後世に伝えたいと思っています。その方が、脳脊髄液減少症の実態が伝わるような気がしています。
脳脊髄液減少症の本当のつらさ、本当の現実は、目では見えないところ、報道されないところ、高齢だったり、貧しかったり、家族に見捨てられていたり、貧困だったり、報道したくても放送できないような現場にこそ、真実があると思っています。
ここ数年、発症して数か月の脳脊髄液減少症患者、家族や配偶者に支えられている患者、医師にすぐさま診断治療してもらえている患者、具合が悪くなるとすぐ医療にかけこめる患者などが報道されると、私が知っている「脳脊髄液減少症の過酷さ」とは全く違う世界で、とてもつらくなります。
脳脊髄液減少症が、そんなにも「医療」と「人」に恵まれた患者たちばかりではないことを、どうしたら世の中に伝えられるのか、今、私は考えています。
どっちみち、私が体験したこと、私が思うことを伝えることしか私にはできませんが。