リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

つらいと感じたこと

time 2016/07/09

つらいと感じたこと

・主治医の予約がなかなか取れないこと。

・次回受診まで何か月もかかること。

・具合が悪くなっても、すぐには受診ができないし、予約も取れないし、相談にも行けないこと。

・やっと再診の日が来て、今具合が悪い状態の時、検査をしてもらいたくても、
またその検査まで数か月待たなければならないこと。

・それまで、症状があっても、ただひたすら耐えるしかないこと。

・その検査のころには症状が治まってしまって、肝心の一番具合が悪い時の脳の状態が把握できなかったこと。

・それも、これも、社会と日本の医学界が脳脊髄液減少症に無理解で批判的で、患者の現状を知ろうとせず、
真剣に脳脊髄液減少症治療に取り組む医師があまりにも少なく、一部の脳脊髄液減少症の専門医に全国の患者が集中してしまっていること。

・その脳脊髄液減少症の問題点をきちんと報じてくれるマスコミが皆無であること。

・報道されなければ、問題が明るみに出ないのに、まるで脳脊髄液減少症は存在しなかのように、社会が無関心でいること。

・見た目元気そうなために、周囲の医師にもなかなか症状の深刻さを理解してもらえず、真剣に相談にのってもらえないこと。

・生き続けるのをやめたいぐらいつらい症状が出たり消えたりしている、そんな時でさえ、
外見は元気そうに見えるために、「元気そうね。」と言われ続けること。

・一日のうちで、ほとんどを横になって寝ていた時期、たった一時間体調が良かったので起き上がって、
外に出ていた時、たまたま知り合いにあうと、「元気そうね。」と言われた時とても悲しかったこと。

・その一時間のために、一週間のほとんどを寝て過ごしていたことを、
その一瞬であった人には、想像もできないんだろうな、と思ったこと。

・本当に元気な時に「元気そうね。」と言われるとうれしいけれど、
一日のうちに一時間しかふつうに行動できない状態の時、その一時間の間に出会った人に、「元気そうね。」と言われたり、
激烈に症状があるのに、それに耐えているさなかに、「元気そうね。」といわれると、
誰にも苦しみを理解されていないとひどく落ち込むこと。

・地元で主治医とつながって支えてくれる医師が何年たっても見つからず皆無であること。

・自分が治らないことで、症状が出て地域の医師を受診すると、主治医の悪口を聞かされること。それが一度や二度ではないこと。

・主治医が間違っていないことは、治療で以前よりは症状が改善した患者の私が一番知っているのに、
脳脊髄液減少症の知識のない医師が、誤った先入観だけで、脳脊髄液減少症の治療医たちを批判し続けること。
それを、地域で理解してくれる医師を探そうと受診するたびに、聞かされること。

・私が、完治できないために、「でも、以前の寝たきり同様の状態よりは、起きて行動できるまでに回復した。」といっても、
脳脊髄液減少症に批判的は医師は、「でも今症状があるんでしょう。だから受診してきたんでしょう?」「だからブラッドパッチはダメなんだよ。(効果がないんだよ。」と整形外科医にブラッドパッチの有効性をなかなか信じてもらえなかったこと。(今から6年前の、まだブラッドパッチが保険適用外で、しかも先進医療にもなっていなかったころの話)

・他の医師が見捨てた患者の私を、主治医が助けてくれてここまで治してくれたのに、
主治医がいまだ、私の地元の医師たちが批判する言葉を直接耳にするのことが非常につらいこと。

・それだけまだまだ脳脊髄液減少症に批判的な医師が大部分を占めている地域に住んでいて孤立無援であること。

・身近な家族にさえ、苦しみは理解されず、大人として当たり前のことをやることを求められ続けること。

・大人の患者は、保護者がおらず、保護者が守ってなんでも代理で動いてくれる子供患者と違って、
職場への対応から、病院さがし、病院受診予約、病院までの移動、入院の準備、地域のごみ当番、家事など、
なんでも自分で手配しなければらないこと。(大人患者の配偶者や、家族がすべて支援してくれる患者ばかりではありません。)

・大人であっても、高次脳機能障害やADHD様の症状で、さまざまなことが、通常の成人のようにはできなくなっているのに、見た目が普通だから、手続きなどのことで、周囲からなんの支援も受けられないこと。

・記憶障害や高次脳機能障害での注意力集中力欠如、などで、事故や火事をだしかねない状況なのに、見た目が普通だから、
支援が必要な人だという認識がなされず
、運転や、炊事や、各種の手続きを、大人なんだから自分でをやるのが当然とされていること。

・糖尿病の患者が、教育入院と称して、きつい症状もないのにきちんと入院で対応してもらえているのに、
脳脊髄液減少症患者は、呼吸困難でも全身が激痛でも、激しいだるさで日常生活も困難でも、
地元で、入院対応で症状緩和のためや、連続した点滴のための入院で受け入れてくれるような病院が皆無であること。

・主治医に診療情報提供書を書いてもらい、「この患者が具合が悪くなったら、これこれの点滴をこの速度で点滴してやってください。」と
書いてあるのに、それを持って地元の病院に行っても、「脳脊髄液減少症」の文字を見ただけで、うちでは扱えないと門前払いにあったり、やっとの思いで病院に行ったのに、医師にも会えず追い返されたり、医師に会えても「あなたは点滴が必要な患者にはみられない。」と
診療情報提供書を突き返されたり、せっかく書いた診療情報提供書だけを持っていかれたりしたこと。

・医師を受診するたびに、診療情報提供書を、点滴してくれるかどうかもわからない医師や、脳脊髄液減少症に理解があるかどうかわからない医師に、持っていかれてしまうと、次の医師を探す時、診療情報提供書がなくなってしまい、また主治医に書いてもらうのが、
主治医に負担をかけてしまうことにつながり、つらくて、やめたこと。そのため相手の医師の名前のない診療情報提供書を一通書いてもらい、
そのコピーを持って、新たな理解ある医師探しを始めると、また脳外科医にひどい言葉を投げつけられ、
病院に苦情を言ったら、「あなたが医師の宛名が書かれていないこんな診療情報提供書を持ってくるからではないですか?」とさらに追い詰められたこと。一番身近な総合病院の脳外科でのこのひどい仕打ちは、私は、今後も忘れられないほど、つらい思い出となったこと。

・ブラッドパッチ後のものすごい症状に苦しんでいたころ、
やっと脳脊髄液減少症患者に主治医の診療情報提供書どおり、地元で点滴してくれる医師がみつかっても、「毎日点滴にこれますか?」と医師に言われ、
その医師までが、地元とはいえ、距離が遠く、家から車で2時間弱の距離で家族に仕事を休んで連れていってもらわなければ自分ではとうていいけない距離であるため、そう毎日仕事を休んで連れていってもらうことも不可能で、
「入院で数日点滴してもらえますか?」と聞いてみたら、
その脳外科医は笑い飛ばすように、(そんな症状ごときで、)「入院なんて無理」と言われたこと。

・自分が脳脊髄液減少症の症状を体験してみたら、
いかに一刻一秒も耐え難いものかをこの脳外科医は知らないのだと思うと、かなしくつらくなったこと。

・自分で通院で毎日、点滴にこれるぐらいの体調なら、「入院で」なんて頼まないのに、点滴に自分で毎日来ることの困難さが、
理解されなかったこと。家族が毎日仕事を休んで連れてくることなど無理であることも理解されなかったこと。

・脳脊髄液減少症は、転倒でも、交通事故でも、学校でのスポーツ事故でも起こりえる、誰もが明日にでもなりうる、
身近な事故後遺症なのに、そのことを理解して、地元で患者を支え、開業医から総合病院から大学病院まで、地元で連携して
患者を支えて、治してあげようという気運が、
何年たっても私の住む地域の医療現場には現れないこと。

・どうせ急には死なない、不定愁訴ばかりいう、神経症的な病と、誤解されて、日本中の医師にも、社会にも、
あまり重要視されていない気がすること。

・私の住む地域の脳脊髄液減少症患者をまとめてくれるしっかりした行動力ある患者代表も、家族も、専門家も医師も、
誰も現れないこと。いまだ地元で患者同士のつながりができないこと。

・私自身、心の支えになりうるような患者仲間が一人も地元にいないこと。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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