リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

自分でリハビリ

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家事はリハビリ

つらくても、なるべく自分でできる家事はなるべく辞めずにやり続けました。
痛くても、だるくても、 動かないと、動けなくなるからです。

家事のすべてが、リハビリでもあり、筋力低下防止でもあると考えていました。

台所に立つのもリハビリ

私は左半身に力が入りづらく、右手も包丁を握るのも、物を持つのも
力が入らない時があり、
立って家事をするのが困難な時がありました。

立っていると、足から突然力が抜けてしまうような症状や、
激しいだるさで立位が保てないのと、
立っていると脳が重力で下がるためなのか、とにかく具合がわるくなってとにかく数分と立って
台所で作業することさえ困難でした。

台所に立つことに苦しんでいる私を見かねて、

家族には「ローラー付きの椅子」を買ってあげようかと言われましたが、
「いらない。」と、私は断りました。

確かに立ち続けるより座って家事をした方が楽かもしれませんが、

毎日、短時間であっても、
両足に体重をかけて立つということまで、なくしてしまったら、
足の筋力が弱ってしまいそうな気がしたからです。

椅子に座って家事をすることはなく、
短時間ずつでも、立って家事をし続けました。

立って家事ができるのだから、それほど症状は重くないのでしょう?と思われそうですが、
けっしてそうではありません。

立って家事ができるのは数分間が限界のこともありました。

それでも、床に横になりながら、また立って家事をしつづけました。

動く椅子での作業を避けたのは、椅子があると座って家事をすることが常となり、
日常的に短時間でも家事のために「立つ」という行為をやめてしまいかねないと判断し、
座って作業することで足に体重をかける機会を少なくして、
筋力低下を招きかねないと考えたからです。

それに、動く椅子には危険も感じました。

足の不自由な人の多い高齢者施設でもローラー付きの動く椅子は、
危険なので使わないのが常です。

動く椅子は座ったまま向きを変えられたりして、一見家事をするのに便利そうですが、
足に力が入る健常者が使うなら動く椅子は便利であっても、

足に力が入らない人が使うと、思いもよらず椅子が動いた時、体を足で支えきれず、
かえって転倒などの危険があることは、 意外に知られていないようです。

しかし、私はその危険を知っていました。

万一、椅子に座ろうとしてお尻を下ろしたら、椅子が動いて、床に尻もちついたら、
せっかくブラッドパッチ治療で止めた髄液漏れが、
再発しかねないとも思いました。

そういうこともあって、
私は「動く椅子に座って家事をする。」ことは選びませんでした。

短時間なら立てるのであれば、
動かない椅子を近くに置いて、座って作業したり、立ったりを繰り返すほうが、
まだ安全だと思いました。

たとえ短時間ずつであっても、家事のために、足に体重をかけて
毎日台所に朝夕2回立つという行為は、
もうそれだけで足の筋力低下防止の立派なリハビリだと
私は当時から考えていました。

私はこれらの自分の考えから、あえて椅子にすわらず、
立って家事をすることを選びました。

私にとっては厳しいリハビリ

しかし、短時間しかたっていられず、
流しに体をもたれかけさせて支えて立って家事をすることは、
想像以上に大変でした。

なぜなら、私の場合、
立っていることで脳が下がってしまうのか、
だんだんと力が抜け、具合わるくて立っていることが維持できなくなるからです。

その場合、流しの前の床に、そのまましゃがみ込み、
その場で横になって、しばらくして具合わるさがおさまったら、
また床から手をのばし、ステンレスの流しの箸をつかんで、なんとか立ち上がり、
家事を続けるということをしていました。

たとえ家の中を伝い歩きでも、
ゆっくりでもいいから、
まるで伝い歩きの幼児のように、つかまりながら家の中を歩いて
足に体重をかけながら一歩一歩移動しました。

その場その場の便利さや、楽さよりも、
あえて、大変だけど、決まった時間、家事を通して、毎日足に体重をかけることを
私は選びました。

脳脊髄液減少症のリハビリなんて病院でしてもらえない

私の住む地域には、「脳脊髄液減少症」と病名を言うだけで、けげんな顔をされ、
リハビリどころか、門前払いにあうこともしばしばでした。

ですから、リハビリは自分でするしかありませんでした。

もともと私自身が、
リハビリは病院でするものではなく、
本当のリハビリは患者自身の毎日の生活の中にある、と考えていたものの、

近所でいろいろな治療や、リハビリを受けることができている、他の病名の患者さんたちが、
うらやましくてたまりませんでした。

脳脊髄液減少症に関しては、
私の住む地域では、
リハビリはおろか、診断も治療も療養中の相談にも真剣に向き合う医療者のいないのです。

これが、希少難病ならあきらめもつきますが、
いつでもだれでもどこでも事故で起こりうる事故後遺症としての脳脊髄液減少症なのに、
この世間の無関心さ、医療現場の無関心さとほとんど無視、あるいは「かかわりたくない」オーラには呆然としましたがこの現実を受け止め、では自分がどうすればいいか?を考えました。

夢のような話ですが、
近くの病院で、もし私が脳脊髄液減少症のリハビリを私が受けられたとしても、

病院でのリハビリの時だけ、平行棒の中を歩き、
手の作業療法を受けたとしても、それだけでは決して、
今の私のようには回復はしなかったと思います。

家でもし、寝ているだけで過ごすことができる環境にいたなら、今の 私の回復は望めなかったでしょう。

痛くても、だるくても、数分間しか立っていられないときも、
逃げられない家事があって、それを泣く泣くこなしてきたからこそ、今があると思っています。

今の私の回復は、主治医に出会えた幸運と、家族の支えの幸運もありますが、

自分でも攻める闘病、攻めるリハビリをし続けたことも結果的に効果的であったと
思っています。

私は、病院で脳脊髄液減少症のリハビリを一切受けていません。

つらくても、一時的に歩行障害を何度も繰り返しながらも、それでも立ち続け、歩き続けたおかげか、
足の筋力低下は最小限に抑えられたと思っています。

それでも、長い闘病を得てもなお、手足の機能と筋力を維持できたのは、
自宅で、家事をし、自分でできることは最低限やってきたからだと思っています。

洗濯物をたたみという動作ひとつをとっても、
手が動きづらい脳脊髄液減少症患者には、リハビリになります。

そういうことをやって、脳と体に刺激を与え続けて入れば、たとえ診断と治療が遅れても、
現在の私程度になら、回復する可能性もあるということだと思います。

日常の中にあるリハビリ

リハビリは日常の中に
いくらでも自分でできることがころがっています。

危険か危険でないかは、自分で判断し、今もできる範囲で日々取り組んでいます。

今なかなか回復せず困っているのは、高次脳機能障害です。
まだ、以前の自分と違う点、できない点を感じているからです。

そのリハビリをどうするのか?
どうしたら前頭前野の機能のリハビリになるのか?
それを考え中です。

まとめ~私のリハビリの考え方~

日常の中で、できることから自分で取り組むその行為こそが、
自分の体と脳の回復につながるリハビリであり、

リハビリの主は病院で短時間するものではなく、

家での日常の中で、毎日継続して、
自分が主となって、行うものだと、私は考えています。

これも、セルフメディケーションのひとつだと、私は考えています。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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