2020/07/04

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「君の名は」を見て自分の脳の回復を感じた話
昨夜、テレビ朝日で放送されたアニメ「君の名は」を見ました。
以前の脳脊髄液減少症の私の脳では、この映画を見て楽しむなどとても考えらえなかったことです。
男の子と女の子の中身が頻繁に入れ替わり、
しかも、物語が、過去と現在が頻繁に行き来するこの映画「君の名は」。
その上、物語のテンポが速いうえ、背景の画面にいろいろな情報が盛り込まれている。
このアニメを理解し、楽しむには、かなりの脳レベルが必要だと感じました。
おそらく、普通の人間の脳でも、物語の意味がわかりづらい人がいることでしょう。
ちょっと年齢が低かったり、ちょっと年齢が高齢だったりしても、この物語のテンポと意味が理解できず、楽しみ感動するというところまでいかないでしょう。
私は、「感動」まではいきませんでしたが、物語の意味を理解し、楽しめました。
頻繁に、男の子の体に女の子が入っていて、外見は男でも中身は女の子であることも、
外見は女の子でも、中身が男の子になっていることも、
自分の体が他人に入れ替わった時期の行動を、その時の自分の体が残したスマホに残った行動で確認することも、数日前のできごとや、過去のこと、現在のこと、画面が著しく入れ替わるその意味も、すべて理解でき、楽しめました。
あと、動いて流れる文字のエンドロールでおそらくですが、女子高生「みつは」のおばあちゃんのなまえが「一葉」ということは、亡くなったみつはのお母さんの名前は「二葉」なのかな?ということにも気づけました。つまり、おばあちゃんが一葉、その娘が「二葉」その娘がみつは、妹がよつはで 1、2、3、4とつながっているのでは?と感じられました。あくまで私の勝手な想像で本当はちがうかもしれませんが)
とにかく、そこまで見ながら考えられたのは、脳脊髄液減少症の脳では奇跡的だと自分で自分の回復を実感しています。)
背景の画面の美しさも同時に感じ、物語の意味を理解するのと同時に背景画面も楽しむこともできました。
録画映像で一時停止しているわけではなく、リアルタイムに、物語の意味を理解し、画像の美しさを楽しみ、言葉の意味や、物語の布石や、中身が入れ替わっていることにすぐ気づける、
このようなことは、かつての、脳脊髄液減少症の私の脳の情報処理能力では無理でした。
なのに、今、痛みや脱力しびれがあり、おそらく髄液漏れは昨年の秋からまた再発しているとは感じながらも、
少なくとも、脳の情報処理能力は、ブラッドパッチで回復した状態をまだ保てているようで、過去のドラマも本も理解できなかった時代の自分と比べたら、
ものすごい進歩であり、回復だと感じました。
これも、毎朝、体がだるかろうが、痛かろうが、立っているのがつらかろうが、悪化しようが、再発しようが、地元の病院で入院治療をしてもらえないこともあって、仕方がなく家事をし続け、毎朝、同時に朝食を作り、同時にお弁当をつくるなど、デュアルタスク(2重課題)を苦しみながらもこなし続けた効果ではないか?と感じます。
複雑な物語の映画やドラマを楽しむということは、脳の高度な機能がなければできないことのようです。
まだ、映像のない、耳からだけの情報である、落語や漫才は、なかなか楽しめないのですが、この調子だと、あきらめずに前に進んでいけば、いつかもっと脳がさらに回復し、音声だけの情報でも笑えたりできるようになるのではないか?と感じます。
あと、今、漏れているであろう所を治療すれば、さらに今年は回復し、前に進みそうな気がします。
今、痛いです。痛いですが、これからの回復がとても楽しみです。
私はいつだって前を向いていきたいと思っています。