リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

管理人について

脳脊髄液減少症のサバイバーです。

私は交通事故で脳脊髄液漏れを起こしました。

けれど、時は昭和の時代、当時の医学ではどんな医師でもその事実を見つけることができませんでした。

やがて、平成の時代になり、「脳脊髄液減少症」という病名を提唱しはじめる医師がこの世に現れます。

そして、偶然にも私は、その病名の症状と自分の症状が似ていることに、当時、ネットで調べて気づきます。

そして、当時、数人しかいなかった、脳脊髄液減少症に詳しい数少ない医師を見つけ出し、ついに長年の私の交通事故後の不可解な症状の原因が「脳脊髄液漏れ」だと判明し、初めての治療に至ります。

それまで、医師にも、家族にも症状の苦しみを信じてもらえず、治療してもらないまま、20年近く症状を抱えて生き抜いたことになります。

つまり、私はサバイバー(survivor)です。

サバイバーとは、ここでは、「逆境に負けず生き残った人」、「今も負けずに前向きに生き続ける人」、という意味で、今までの自分の人生を否定しないために使わせていただいております。

当時、さまざまな症状を信じてもらえず、医療にも見放され、家族にも怠け者扱いされ、ひとりで症状を抱えながら生きるのは、本当につらかった。

どんなに重病の他の病名の患者さんであっても、医師にきちんと患者として認められ、患者として向き合ってもたえ、すぐさま入院治療に取り組んでもらえる、医学に認知された症状や病名の患者さんたちが、私は心からうらやましく思いました。

それぐらい孤独でした。

だから、私のそれまで原因不明だった症状が「脳脊髄液減少症」だとわかった時、本当にうれしかった。

死んだ方が楽だと何度も思ったこともあったし、症状の高次脳機能障害で、事故で死んでもおかしくないこともありましたが、あのまま死んでしまっていたら、私は自分の症状が何かも知らないまま死んでしまったわけで、症状の原因が分かった時、本当に生きていてよかったと思いました。

このサイトは、私の脳脊髄液減少症の回復(リカバリー)の場でもあるので、「リカ場」と名付けました。

どうぞよろしくお願いします。

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私は嫁&母

自称ですが、元祖・脳脊髄液減少症の花嫁で、元祖・脳脊髄液減少症の母でもあります。

それが何を表すかは、のちのち、私小説的に書こうと思っています。

髄液漏れてるのに、医師にも症状を認められないまま、病名もつかないまま結婚、出産するとどうなるか?

事実は小説より奇なりです。

長い私小説になりそうですが、思い出すのもつらいから今は書く気になれませんが・・・。

長かった“無病名”“原因不明の症状”時代

脳脊髄液減少症だとわかるまでの期間が十数年と長く、その間、原因不明の症状を抱えて苦しみ続けました。

現在でも脳脊髄液減少症は医師にも認知度が低いままですが、昭和の時代には、そんな疾患の存在すら、知っている医師はいませんでした。

医師にも原因不明、気のせいと相手にされないような、実にさまざまな不可解な症状を抱えて苦しんでいたので、自分でなんとかすべく回復のための情報を探し続けました。

当時は、ネットなどない時代。図書館で症状を調べました。

そのころは、自分で病院も行けたし、図書館にも行けました。

何年もが過ぎ、やがて動けなくなるほど悪化します。

ほとんど一日寝た切り状態にまで悪化してから、やっとネットの時代がやってきて、自分で症状を検索していて「脳脊髄液減少症」の症状に似ていることに気づき始めるのです。

私が健康オタク、サプリオタクになったわけ

いろいろと情報を集めては自分に良さそうなことをためすということを繰り返した結果、健康食品、健康グッズオタク、サプリマニアになりました。

診断がついた今も、その傾向は変わらず、医療だけに頼らず、常に回復に向けて情報を集め続け、いいと思ったことを試し続けています。

長年の引きこもり闘病生活のおかげで、家の中でテレビばかり見ていたため、健康番組ウォッチャーにもなっています。(首都圏在住のためテレビ関係記事は首都圏が中心の番組記事になります。)

今も少しでも健康にいい情報を集め続け、自分で日々考えています。友達も知り合いもなく、ほぼ毎日家でテレビを見ているため、ブログでは主にテレビの健康番組を見た感想などを書いています。

健康オタクになる中で、いろいろな健康グッズ、サプリ、身体にいい食品などを試すのが楽しみのようになっているので、そうしたことも書いています。

健康グッズや健康食品を試すことが、私の趣味にもなっています。自分の体にいいことをすることが、いまや私の生きがいです。

長く働けなかった私が社会にできる唯一のこと

私は、偶然にも「脳脊髄液減少症」の存在に自分で気づき、専門医を探し当て、正しく診断できる医師に出会い、治療を受け続け、回復し、悪化し、再度治療し、また回復し、といろいろあって今に至っております。

「脳脊髄液減少症」という病名もない時代に発症し、検査や治療をしてくれる医師が、世界中に存在しない時代から、主治医に出会って治療してもらえるまで、症状を抱えたまま、耐え続けなんとか生き延びることができました。

そこから得た、ある意味“サバイバル術”は、私がこれからも困難を乗り越えていく上での、貴重な人生経験がくれた宝だと思っています。

その宝を、かつての私のように、困っている人たちのために、少しでもお役にたてたらと思い、ここに書きます。

 

 

今、私がこうしていられるのも、偶然の幸運が重なって生き残れたからと主治医など助けてくれたごく少数の人たちのおかげです。感謝しています。

症状で長くは働けなかった人生の私ですが、人と社会のために何か恩返しができないかと考え、ここを運営しています。

脳脊髄液漏れの見逃され期間が長く、診断がついてからも闘病期間が長かったため、脳脊髄液減少症のありとあらゆる症状を経験済みです。

医師にも相手にされなかった時代、自分で自分の症状をやり過ごしたり、地域の医師にも助けてもらえなかったため、症状に耐え自分で工夫して対処してきたのでいろいろなサバイバル術(自己流で困難をなんとか解決しようとする知恵、自己流の症状緩和法など)をたくさん経験しています。

その経験を発信することで、誰かの役に立てたらうれしいと思っています。

私の願い

・脳脊髄液減少症の実態を世界に伝えて、いつでもどこでも誰にでも起こりうる、身近な疾患だということを、世界中に広めること。

・転んだり、事故にあったり、スポーツで怪我をして、脳脊髄液減少症を発症したら、世界中、いつでもどこでも、すぐ医師や自分で早い段階で気づけ、適切に医療に扱ってもらえて、早期に検査診断治療が当たり前にしてもらえるようになること。

・世界中の医師に、脳脊髄液減少症患者の私が今まで感じてきた症状と患者の気持ちをすべてを伝え、今後は患者の医療現場での扱いが普通の患者と同じように改善されていくこと。きのせい、精神的なもの、とされて見逃されることがなくなること。

・いつでもどこでも脳脊髄液減少症患者が適切に救ってもらえる社会を築くこと。

・かつて日本でバッシングされていた、少数派だった脳脊髄液減少症の治療医に対し、これからは多くの人たちがその貢献に気づき、感謝し尊敬し、多くの医師たちが今までを反省し、過去の間違いから学び、今後の医療での患者救済のあり方を学ぼうとするような日本の社会を築くこと。

以上です。

こんな私の書く、つたないブログですが、たまにのぞいてやってください。(更新が止まっていることもありますし、寿命が尽きて止まってる可能性もありますが・・・)

今後ともよろしくお願いします。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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