リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

脳脊髄液減少症でつらいと感じたこと(2016年3月1日現在)

脳脊髄液減少症の私が、診断前から診断後を通じて、今までと、今も、つらい、理不尽だと感じてきたことをメモしておきます。

今後、同じ思いを患者にさせないように、医療現場の何をどう改善していったらよいか、考えていただけるきっかけにしてくださったら嬉しく思います。

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脳脊髄液減少症になってつらいと感じたこと。

・脳脊髄液減少症は、出たり消えたりする症状のつらさもさることながら、自分が感じているその症状のつらさが、外見からも、一般的な検査結果からも、周囲に全く理解してもらえず、症状のつらさを周囲や医師に訴えれば訴えるほど、精神的なもの、身体表現性障害扱いをされ続けること。

症状を訴えても訴えても、一般的な検査では、その苦しさを証明するだけの検査結果がでないことから、
症状の深刻さが信じてもらえず、医師にも相手にされず、適切に患者として向き合ってもらえず、診断がついてからも、地元では対症療法でも十分に助けてもらえなかったこと。

・脳脊髄液減少症が、外見では一見して具合の悪そうな人間に見られないこと、症状が出たり消えたりするという特徴があることで、誤解され続けたこと。

気圧の変化に症状が影響されるためか(そのこと自体に気づけていない患者もいると思うけれど)歩けたり、歩けなかったり、動けたり動けず寝込んでいたりするため、仮病ではないのに、都合の悪い時だけ症状が出ると誤解されたりすること。

(脳脊髄液減少症で本人がものすごい異常感、耐えがたい症状を抱えていても、外見からも、一般的な検査結果からも、そのつらさを医師にも家族にも周囲の人たちにも、症状の深刻さをなかなか信じてもらえないことは、苦しみから助けてもらうことはおろか、緩和ケアも受けられず、日常生活に戻され、ほったらかされるということを意味します。

診断がつかないこと、「異常なし」「気のせい」と言われてそのまま帰されることは、患者本人がものすごい異常感、重病感を感じていても、家庭や職場で通常どうり、家事や育児、仕事や運転をさせられるということです。

それが患者本人にどんな精神的身体的苦痛をもたらすだけでなく、患者本人や周囲に命に係わる危険までももたらすことは、あまり知られていません。)

・それによって、最初の診断と治療はもちろん、髄液漏れの再発時の診断と治療も取り組みが遅れがちになること。

・体調に異常を感じて病院を受診しても、その医師が脳脊髄液減少症を知らず、見逃されることがあたりまえの時代が現実に過去にあったこと。その時代に発症した患者の苦悩は筆舌に変えがたいものであったこと。

・脳脊髄液減少症の症状の認知度が世間で低いために、その症状によって患者の身に変化が起こっているのに、患者が故意にそういうことをしていると誤解されやすいこと。

・症状によって起こっている現象を、怒りっぽい人間、喜怒哀楽のない無表情の人間、やる気のない人間、言動が飛ぶおかしな人間、集中力がない人、時間にルーズで片づけもできないだらしがない人間、荒っぽい動作の人間、など誤解がされやすいこと。

・原因不明の体調不良は脳脊髄液減少症が見逃されていたからなのに、天候によって症状が悪化したり改善したりすることで、雨の日や台風の日に体調が悪化し、仕事を休みがちになることが、単に天気の悪い日にさぼりグセのある人間と誤解される理不尽さがあること。

・睡眠障害や、睡眠リズム障害や、傾眠症状で突然激しい眠気が襲ってくることで、居眠りしがちなことを大切な時に、ぼんやりしたり、いねむりしたりする、マナー違反の人と思われる危険。

・脳脊髄液減少症は誰にでもいつでも起こりうることで、情報がないと医師にも見逃され大変なことになることが経験した患者はわかっているから、早く世間に知らせようとすると、「世間には多くの難病があるのに、あなたの病気だけを特別扱いするわけにはいかない。」と自治体にも拒まれ、報道機関にもなかなか「脳脊髄液減少症という病態の存在を世間一般に広く知らせる重要性」が理解してもらえず、相手にされない年月が長く続いたこと。

・治療を受けても、次に受診するのは数カ月先で、その間、具合が悪くなっても、相談できる医師も、助けてくれる医師も、主治医と連携して真剣に向き合ってくれる医師も、近所で今に至るまで見つけることができなかったこと。

・近所で、脳脊髄液減少症に詳しい、あるいは今後詳しくなろうとして学び、患者と共に、あるいは患者にできる範囲で寄り添い、患者の症状の改善に問題解決に取り組んでいこうとする意欲を感じる医師にほとんど出会えなかったこと。

・多くの医師たちが、自分の専門の分野にだけ関心があるように思え、さまざまな症状がでる脳脊髄液減少症患者にとって、とても相談しにくかったこと。症状のひとつひとつではなく、さまざまな症状を抱えた一人の患者として全体を見て、治療や再発の早期発見に取り組んでくれる医師が身近にいなかったこと。

・治療を受けてすぐ退院してこざるをえず、家に帰ればすぐ山のような仕事が待っていて、助けてくれる人もいない人間は、立っていられないほどの体調であっても、それらをこなさざるを得ず、安静が保てなかったこと。治療後、ある一定期間を入院で対応してもらえる病院と、そうでない病院とで、差があったこと。(治療が健康保険で統一されていなかった当時としてはしかたがなかったと思うが)

・治療を受けて次の受診まで、助けてくれる医師もないまま、家で生活を続けなければならず、症状が劇悪化した時など、頼れる医師が近所に皆無だったこと。このままひたすら耐えるだけの闘病生活は、生きたここちがしないと感じたこと。

自分の体感では「これは入院での対応で助けてほしい。」と思うぐらいの体調であっても、脳脊髄液減少症に関しては、地元ではなんの支援対策もない状態で、普通日常生活を続けなければならず、その生活や闘病の悩み支えてくれる仕組みがなにもなかったこと。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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