2020/07/04
先日2018年1月17日放送のNHK「ねほりんぱほりん」で
アイドルの「トップオタ」テツさんが登場してました。
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NHKねほりんぱほりん トップオタ登場!
その「トップオタ(TO)」のテツさんのとある言葉に気づきとともに、なぜかじ~んとしてしまいました。
それは、
山里さん演じる、ねほりん が「ここまでなんでのめりこめるのかな?」との質問に、
テツさんは
「自分の過去が一番影響があるのかなと思う。」と話していました。
「小さいころから運動が苦手で、徒競走はずっとびりで、つらくて、スクールカーストの中で下位だった。
だから認められない部分があって、そこを認めてくれたのが同じ集まりのオタクだった。
オタクたちって、やっぱ心のどこかで暗かったとか、あんまりクラスの中心になれなかったとか多いんで、目立たなかった人同士で認めあって、承認をしあう。承認欲求の塊。」と話していました。
そこで番組でも「アイドルとオタクの世界は承認欲求の塊」との文字まで出てきて、
その内容が妙に私自身の中にストンと落ちました。
私ももし、「ねほりん」に、「どうしてそこまで脳脊髄液減少症を伝えることにのめりこめるの?自分が治ったらそれで終わりでいいじゃない?」と質問されたら、
おそらく、テツさんと同じ理由なんじゃないかって気づきました。
承認欲求の塊で、
病人・けが人・被害者だと認めて他の患者のように当たり前に医療と社会で今とこれからも支えてほしいし、今までも支えてほしかった・・・・。でも、今までも、今も十分に理解して支えてもらえてこなかった。
「スクールカーストで下位になったテツさんが承認欲求を求めてトップオタまで押し上げたようなエネルギー」は、私の中にもあって、それでこうして打ち続けているのではないか?と。
私の今までの無念さと悔しさと、今も続く無理解への怒りと、このまま患者が黙っていてはいけないと思う気持ちが、私を突き動かしているのではないか?と
テツさんのいた学校で、勉強もできてスポーツもできて、徒競走ではいつも一番でいる人たちと同様、
病院でいつも医師に真剣に向き合ってもらえ、症状が激しければすぐさま入院で対応してもらえ、しっかりとリハビリまで健康保険適用で長く診てもらえるような患者とは、
とても似ていて、それらの人たちは、承認欲求なんてわかないでしょう。
だって、まわりが勝手に十分なほど「その人を認めて」くれるんですから。
「勉強ができる子。スポーツができる子」と同じように、
患者だったらその症状の深刻さ、苦しみが認められ、「入院で治療が必要な患者・しっかりと経過観察をしながらも、症状悪化時はたとえベットを無理やり確保してでも緩和ケアが必要な患者・それほど拷問のような痛み苦しみがでる深刻な症状が出る患者」「家に帰しては、仕事や家事をやらされてしまい、この状態でやらされるのはあまりに過酷すぎる患者」という周りの承認があるのと、全くないのとでは、受ける対応が全然違うと思うからです。
死ぬほどつらい、しかも日常生活も阻害するほどの症状があるのに、ずっと「患者」としてさえ、認められてこず、「精神的なもの、気の持ちよう、自分が作り出している症状」などとされ、
症状の存在すら、まるで「幻」のように扱われ、認められてこなかったことでの
悔しさ、無念さからくる、私の中の承認欲求。
他の病名の患者たちが、さほど症状が強くなくても、医師の検査で異常があれば、「さあ、大変だ、入院だ、治療だ。」とちやほやされるように、周りがどんどん助けてくれる方向へ勝手に進めてくれる中で、
ほっておかれ続けた悲しみ、悔しさ、怒り。
私も、患者カーストの中での最下位に置かれたことでの、承認欲求の塊になっていたのではないか?と
トップオタの、テツさんの言葉を聞いて気づきました。
「患者カースト最下位=脳脊髄液減少症」
私が医療界に感じていたもやもやしていたものはこれだったのかもしれません。
脳脊髄液減少症にあまり気づいていない人が多い現在では、
医師の中でも、医療関係者の中でも、福祉関係者の中でも、社会の関心の中でも、
患者カーストの最下位に、「脳脊髄液減少症」があるのではないか?と
ママたちの勢力図、学校内での勢力図、会社内での力関係、大学病院の中での上下関係には、多くの人々は気づけていても、
ママカースト、スクールカーストの存在には気づけていても、
だれも、
患者カーストの存在なんて気づいていないんじゃないか!って気づきました。
つまり、治療の必要性、予防性、早期発見早期治療の重要性の順位からして、あまりにも実情を知らない人たちに、「軽視され」少なくとも、自分に非がない他人による事故などでの発症原因での被害者としての
患者カーストの最下位にあるのが、「脳脊髄液減少症」だとしたら、
あまりに悲惨な話ではないかと、改めて感じました。(涙)
私が発症した当時の医師には脳脊髄液漏れに気づけなくてもしかたがなかったけれど、
現在はそんなことは許されません。
脳脊髄液減少症に対する無知は、今もこれからも、患者差別も生むし、患者の人権侵害も起こりえると思います。
コメント
lilyさん、こんばんは。
患者カーストの最下位ですか、、、lilyさんから見れば、そう思えるんですね。
この病、交通事故など、本人の予測がつかない出来事で、ある日突然・罹患して真っ暗闇に突き落とされるのですね。
不摂生で病に罹患した患者さんより(例えばお酒の飲み過ぎで肝臓がやられるとか、タバコを吸って肺癌になるとか)手厚く診てもらえない、周りにも理解されないというのは悲しいことですね。
by edo 2018年1月19日 10:25 PM
edoさん、
最下位かどうかわかりませんが、なんとなく、自分の体験から
過去の歴史の中で、誤解や偏見、差別を受けてきたような、ハンセン病患者さんたちや、水俣病患者さんたちの気持ちを想像してしまうんです。
きっとその人たちも、自分たちには何も落ち度はないのに、普通の病気や怪我と違って、周りから疎まれ嫌われ、避けられ、軽視され、
その人自身のせいにされと誤解され続け、適切に支援されず、病気以外のことでも苦しんできたんだろうなって。
その人たちの時代、ネットなんてなかったから、当事者の生の声はなかなか表に出てこなかったと思うけど、
その人たちも「自分たちは、患者カーストの最下位なのか」って感じて、悲しかったんじゃないかなって思うんです。
医学は残酷ですね。
いつの時代も、患者のため、といいつつ、一方で、患者を切り捨て、差別し、ただでさえ症状に苦しむ患者をさらに、医師たちが「無理解」や「誤解」で苦しめたりするんですから・・・。
by lily 2018年1月20日 5:27 PM
lilyさん、こんばんは~(o^-^o)
そうですね。
ハンセン病や水俣病患者さんたちの苦悩の歴史は、筆舌に尽くしがたい歴史ですね。
そこに思いを馳せるlilyさんは、お優しい方だと思います。
今は、ネットでこれだけ情報伝達が早い時代なのですから、
ハンセン病患者さん達が、ずっと差別され続けたようなことを繰り返してはいけませんね。
「過去に学んで未来に生かす」 そうあって欲しいですね。
by edo 2018年1月20日 10:51 PM
edoさんこんにちは。今日は東京は雪になるそうですよ。
昔の人は「大寒」とはよく名付けたもので、寒いですね~。
私はおととい土曜日は朝から具合が悪く、昨日はもちなおしたのに、午後から急激に激痛が足に出てきました。
それは、いきなり通り魔にカッターで切り裂かれたのではないか?と思うような痛さです。
おそらく、気圧の変化がおとといと昨日の午前中、午後とで私の住んでいるところで違っていて、それが症状を起こしているのかもしれません。
過去の過ちから学び現在に生かしていくことはどんなことでも大切ですよね。
しかし、医学はなかなかそうはいかないようです。
過去の医学の過ちを素直に認めず、いかにも医学は昔から正しいことを常にしてきたように信じ、実際にそうふるまう医師も多いですから。
私は脳脊髄液減少症になるまで、障がい者とか、見た目ではわからない障害の人や、過去の歴史の中で「社会や医師の無理解」や「医学界の医師同士の対立の結果、さらに患者が症状以外にも苦しめられたこと」などに思いをはせることなどありませんでした。
過去の患者被害者の苦しみに犯した医学の過ちに、最初に気づかせてくれたのは、たしか「脳脊髄液減少症ガイドライン2007」とその後に続く本に書かれていた、医師の言葉です。
目には見えない神経症状が主な症状の患者に対して、診断基準を厳しくすることで、患者を救うところか患者を見捨ててきた水俣病の歴史を指摘されていたように思います。
その言葉に出会っていなければ、私自身も今の自分の苦しみだけで一杯で、もっともっとつらく、発信する手段さえなかった時代の患者たちに思いをはせることなどなかったでしょう。
気づきを与えてくださった、初期から、医学界のバッシングの中、脳脊髄液減少症の存在を訴え、患者を救おうとし続けてくださっていた、ごくごく少数の医師たちの勇気と、発信する勇気に、今も感謝で一杯です。
by lily 2018年1月22日 9:53 AM