2020/07/04
もう、あのバス事故から2年もたつんですね。
今朝(2018年1月15日)の朝日新聞に記事がありました。
2016年1月15日、午前1時50分ごろ、長野県軽井沢町の国道18号で、大型バスが約5メートルの崖下に転落し15人が死亡し、26人が重軽傷を負った事故。
国の事故調査委員会の報告書によると、約95キロで下り坂を走行し、カーブを曲がり切れなかった。
乗客の大学生13人と運転手2人が亡くなったあのバス事故から、もう2年。
2年前のあの日も、とてもつらかったが、思い出すと、またつらくなる。
大学1年とか2年生とか、就職が決まっていた大学4年生とかの命が失われるなんて、
つらすぎる。
深夜バスで行こうとしていたスキー場に到着しないまま逝ってしまった子たち。
楽しみにしていたスキーツアーで命を落とすなんて考えもしなかっただろうと思うと、
どんなに無念だったろうと思う。
大学生だから、少しでも格安のバスツアーを選んだ気持ち・・・。
いきなり子供を亡くしてしまった親御さんの気持ち・・・。
私は、運転手さんも責められない気持ちがある。
過労や、未熟さを、カバーしてもらえない、会社の勤務体制があったのではないだろうかと
当初から考えていたから・・・。
運転手さんの残された家族も、周囲の冷たい目もあったろうと思うし、身内を亡くした上に、加害者扱いされてもいただろうし、本当につらかっただろうと思う。
交通事故は誰もが不幸になる。だからこそ、そこから教訓をしっかり学び次に生かさなければ、被害者がうかばれない。
記事によると、
バス会社の社長と当時の運行管理者への起訴と厳罰を求める署名が呼びかけられ、4万2千筆の署名が集まり、22日に地検に提出されるという。
けれど、亡くなった人たちは帰ってこない。
負傷した人たちの、事故前の体と元の人生も戻ってこない。
せめては、事故の原因と責任を究明し、罪を償ってもらい、被害者は正当な償いを受け、事故の教訓を今後に生かしてもらうことしかできない。
何が間違っていたのかをはっきりさせ、こうした事故が起きない体勢を確立しなければならない。
それだけじゃない。
生き残った26人の人たちも私は当時から心配はつきない。
だって、今も、私の地域では、交通事故を一番多く診るはずの大きな病院の整形外科医が
脳脊髄液減少症の存在すら信じていないという現実があるのだから。
2年前のあの事故の日も、救急車で担ぎこまれた病院で、外科医によって、見た目の骨折や外傷の治療は早急に行われ、手術などはされて、入院治療は行われただろう。
しかし、「事故の衝撃で髄液が漏れて、時間差でしばらくたって症状がでてくる脳脊髄液減少症」の存在に、いち早く気づけるだけの医師がいたのかが、とても疑問だ。
バス事故のあと、髄液漏れと診断され、きちんと治療を受けられて回復した人はいたのだろうか?
それとも、誰も、どんな医師にも「髄液漏れ」が隠されていることに気づいてもらえず、どんな医師もそのことを一度も疑わず、
患者自身も、事故からだんだんと遅れてでてくる、深夜の動悸や早朝覚醒などの睡眠障害や、急な呼吸困難の症状を、医師に訴えても、「バス事故の精神的ショックによる、PTSD」とか、「パニック障害」とか、精神的なものにされてしまってはいないだろうか?
身体症状も精神症状もすべて、バス事故のショックでの「心の問題」が原因とされていないだろうか?
もしかしたら、その身体症状も精神症状も、バス事故で受けた衝撃で、髄液が漏れていて起こっているかもしれないのに・・・・。
髄液漏れからの症状とは誰にも気づかれずに、「カウンセリング」などの精神的支援や、向精神薬の投与や、目に見える外傷の治療や手術ばかりに重きを置かれてはいないか?
私の想像から湧き起こる心配はつきない。
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いつでもどこでも脳脊髄液減少症が診断できる日はくるのか?
バス事故が起きた2年前の2016年1月は、まだ、脳脊髄液漏出症のブラッドパッチ治療が、健康保険適用前だった。
ブラッドパッチ治療が健康保険適用になったのは、その3か月後からだから。
当時は、まだまだ「交通事故で髄液が漏れる?そんなことあるわけないだろう!」という外科医も多かったはず。
当時、このバス事故以外にも、全国各地でスポーツ事故、交通事故が起こっていたはず。
以前の累積した隠れ脳脊髄液減少症患者は、全国に、いえ世界中に、いったいどれだけ潜んでいるのだろうか。
早く、早く、世界中の医師に、もっと真剣に、自分の専門とも無関係でない、身近な事故で起こる怪我だってこと知ってほしいし、もっと興味関心を持って患者と向き合い、研究もし続けてほしいと思う。
交通事故で起こる被害者の苦しみは、亡くなった人たちは発信できないから、生き残った人しか、こうして想像することも考えることも、気持ちを伝えることもできないのだから、
私は亡くなった人たち、声を上げられない人たち、まだ気づいていない人たちの分まで、想像をめぐっらし、書いていこうと思う。
いつになったら、全国どこの場所で交通事故にあっても、
どんな田舎の、どんな山奥の、どんな科の医師であっても、
「あれだけの交通事故での衝撃を受けた体だから、念のために、髄液漏れの精密検査をしてみましょう。」と
即座に髄液漏れを警戒し、すぐさま髄液漏れの有無の精密検査をし、医師もしっかり診断治療ができるという、
事故から間髪開けずに検査診断治療の流れをつくり、
早期発見早期で患者を治癒させる時代がくるのだろうか?
私が今回再発してみて、すでに脳脊髄液減少症の知識があり、発症原因も症状もすでに知りつくしていて
その患者が専門医と地元医師に必死に訴えても、結局、この早期検査治療の流れができなかった。
ということは、脳脊髄液減少症についてあまり知識のない普通の何も知らない医師と患者の組み合わせであれば、
もっとこの早期発見早期の検査治療体制の流れは生まれにくいと強く感じる。
たとえ、2016年の治療の健康保険適用から2年たった今であっても、なんら2年前と、10年前とも、髄液漏れ患者の置かれた厳しい状況は変わらないと感じる。
物事が変わっていくのは時間がかかるのは理解できる。
でもその間も苦しみ続けている人がいることは、医師は忘れないでほしい。
時代の変化を待っていられず、診断されたにもかかわらず、症状がきつくて、
自ら亡くなっていった脳脊髄液減少症患者もいた事実を知ってほしい。
コメント
lilyさん、こんばんは。
>「あれだけの交通事故での衝撃を受けた体だから、念のために、髄液漏れの精密検査をしてみましょう。」と
>即座に髄液漏れを警戒し、すぐさま髄液漏れの有無の精密検査をし、医師もしっかり診断治療ができるという、
>事故から間髪開けずに検査診断治療の流れをつくり、
>早期発見早期で患者を治癒させる時代がくるのだろうか?
事故にあうと、目に見える怪我の治療が優先にはなると思いますが、
これは絶対に必要ですね!
by edo 2018年1月16日 7:02 PM
edoさん、こんにちは。
本当に、「見えない怪我」「見えない後遺症を抱えた一見健常者」は「見える怪我」や「障害が誰にでも理解できる見える障害者」に比べて、支援が遅れがちです。
災害現場では、多数の怪我人がいたら、脳脊髄液減少症患者はトリアージでは一番最下位でしょう。つまり、ただの切り傷で血が出ている人に比べて、髄液漏れ患者の方が、見た目では軽症に見えても、治療の優先順位からみたら、髄液漏れ患者の検査診断治療が優先されるとは
普通の医師は考えないでしょう。その結果、髄液漏れ患者の治療は後回しにされ、最後にされ、重症化し、治りにくくなり、後遺症が深刻になるリスクが高まる気がします。
こんなこと、普通の災害に詳しい医師や、考えたこともないのでしょう。本日は、阪神淡路大震災が起こった日、この思いや気持ちを記事にしたいと思っていますが、なかなかパワーがわきません。
by lily 2018年1月17日 6:19 PM