リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

高齢の親族と私の「医療格差」

time 2017/08/05

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平均寿命を超えた親族には手厚い医療・私は必要最低限の医療

平均寿命をとうに超えた高齢の親族が、この春、加齢による頸椎の脊柱管狭窄症が原因での歩行障害、手足の動きにくさで寝たきり状態になりました。
しかし、地元医師によって、専門医を紹介され、少し離れた病院へ入院し、春に手術を受け、以来、同じ回復期リハビリテーション病棟1にずっとリハビリで長期入院中です。

その親族と私は、症状が似ていますが原因は違います。
高齢の親族は「自分の加齢で首を痛め」、私は「交通事故によって他人に首を痛められ、脳脊髄液減少症」にさせられました。
でも手足のシビレや歩行障害の症状はほぼ同じでした。

その親族が入院している病院に、何度かお見舞いに行きましたが、私とはあまりに医療格差を感じて、その手厚い医療に、いつも複雑な思いで落ち込んで帰ってきました。

だんだんと見舞いにいくたび、「なぜ整形外科的に誰でも知ってる病はこんなに手厚く支えられるのに、脳脊髄液減少症の私は地元ではほうっておかれるのか?」と考えてしまい、つらくなりいかなくなりました。

梅雨に入り自分の体調の悪化で行けなくなったのもありますが、地元で脳脊髄液減少症の治療にその病院は取り組んでいないのを知っていたので、見捨てられているようでいくのがつらくなったのです。

その親族は首の手術後も、毎日、朝、昼、晩と理学療法士、作業療法士によって、いろいろなリハビリを一日最大3時間受け、チーム医療で支えられて数か月をかけて回復させてもらっているのです。

その親族と私は原因は違っても、症状は同じようだったのに、こんなにも患者の回復にかけるお金と時間と医療体制に差がでるのか?と愕然としてしまいました。
回復期リハビリテーション病院が受け入れる患者は、脳血管疾患、脊髄損傷、頭部外傷、急性脳症、脊髄炎、 多発性神経炎、多発性硬化症、発症後もしくは手術後、2ヶ月以内とありますが、脳脊髄液減少症患者みたいに、発症後いくら症状を訴えて受診しても医師に見逃され、原因不明と言われたり誤診されたりして、何か月も何年も発症から時間がたってしまった人は相手にしてもらえないのでしょうか?

そもそも脳脊髄液減少症に対応できる医師が、その病院にはいないのでしょう?対症疾患に入っていないのではないでしょうか?

高次脳機能障害を伴った脳血管障害や頸髄損傷の患者は診て支えてもらえても、一見普通に歩けて作業ができそうに見える脳脊髄液減少症患者は、そうは簡単には見てもらえません。
「症状が固定」しておらず、いい時と悪いときがあるのが本当だし、高次脳機能障害や記憶障害、手足のまひなどが出ても、「症状が流動的」なために、「詐病扱い」さえされて、病院に治療が必要な患者として認めてもらえないのではないでしょうか?

症状が出たり消えたりして固定していないという、その障害や症状が存在することさえ地元病院には信じてもらえず、真剣にリハビリや治療に力を貸してもらえず、診て支えてもらえないのが、脳脊髄液減少症の現実なのではないでしょうか?
どんなに優秀なリハビリ技術を持った病院が身近にあったとしても、脳脊髄液減少症は相手にしてくれるのでしょうか?

それにしても、回復期リハビリテーション病院とは、そんなに儲かるのでしょうか?

その治療に取り組む医師や病院が多いか少ないかは、それに見合った診療報酬がその疾患の治療やリハビリに対して、病院にきちんと支払われるかいないかの差でもあると思います。
脳血管疾患、脊髄損傷、頭部外傷、と、X線やMRIなどほとんどの医師に認知されている疾患と、普通の画像には異常がとらえにくい脳脊髄液減少症との差は、その疾患に対しての治療に取り組む医師の数と病院の数にも関係してくると思うのです。

脳脊髄液減少症に対する、検査や治療やリハビリに、もっとしっかりとした対価が支払われれば、取り組む病院も医師も増えてくるはずです。
それがないから、なかなか医師も手を出したがらないのではないでしょうか?

親族の入院している病院のように、平均寿命を超えた人にもそれだけの医療を施しても、ちゃんと元が取れて儲かるからこそ、そういう熱心な病院ができてくるのだと私は思います。それが現実でしょう。

その高齢の親族の症状は動けないことでは年齢的なことも症状もあり確かに私より寝たきり度は高いかもしれません。しかし私のように座っているだけで呼吸が苦しくなるとか、記憶障害とか、高次脳機能障害とかそうした症状の多さから考えたら、はるかに私の脳脊髄液減少症の症状の方が複雑でやっかいで深刻だと感じます。

それなのに、高齢の親族の方は目に見える整形外科的な手術とリハビリが一般に知れ渡っているだけに、何の不自由もなく、スムーズに治療とリハビリの流れに乗ることができるのです。

脳脊髄液減少症の私など、脳脊髄液減少症の症状を医療機関でリハビリなど受けさせてもらったことなどありません。
誰にも助けてもらえないから、すべて自分でやってきました。

この親族との落差に私はやりきれなくなり、複雑な思いにかられてつらくなるのです。

「自分の加齢にともなって自然に起こった頸椎の異常による手足のシビレや歩けない状態の疾患」では、こんなに高齢でとうに平均寿命を超えているのにもかかわらず、手術からずっとリハビリまで何か月もかけて、食事の世話はもちろん、治療もリハビリも、医療機関の中で多大なお金をかけて手厚く対応してもらえるのに、

他人による事故で脳脊髄液減少症になった私はそうした手厚い医療支援は地元でずっと受けられなかったのです。

なんて残酷なことでしょう。こういうことが今も起こり続けているのです。

私は、唯一、遠い主治医のいる病院で必要最低限の検査と治療と数か月に一度の再診を繰り返すのみです。

地元でも手厚く診てもらえる患者と、身近では決して診てもらえない脳脊髄液減少症患者、この差はなんなのだろうと思うのです。

治ればまだ働ける若い世代であっても、脳脊髄液減少症では、地元の医師では決してこんな風に、長期入院で支えてはもらえないし、安静点滴入院をしてくれる医師を探すのも困難です。

なのに、もう平均寿命を超えた親族のような人でも、多くの医師に知られて、診療報酬も十分出るであろう、病名の患者には、こうした手厚い医療や介護が容易されている。

なんなんだ、この差は!と怒りさえ覚えるのです。

それは、国がその「病名」の入院リハビリに対して、その医療対価を払うか払わないかの差なのだろうと思うのです。

患者に医療や介護やリハビリを尽くしたことに見合うお金が、その病院にきちんと儲けとして入ってくるのかどうかで、その疾患の治療とリハビリに取り組む病院が出るか出ないかが決まるのではないでしょうか。

今の体制では、脳脊髄液減少症患者には必要最低限のことしかできないのは、治療の取り組む医師が少ないことに加えて、患者を支えリハビリし回復させるだけの医療体制に対するお金がきちんと病院に入ってくる体制がないから、脳脊髄液減少症の治療やリハビリに取り組む病院が増えないのではないでしょうか?

ブラッドパッチ後も最低2週間は安静入院させてほしいし、できればリハビリも健康保険適用でその流れでやってほしいけれど、患者が殺到する病院ではそれさえ難しいのです。

だけど、ブラッドパッチ後自宅で安静にすることは、子供の患者は親が食事作りや皿洗いやお風呂掃除や、宅配の対応や、回覧板回しや、ごみ捨てなどやってくれるから寝ていられるかもしれないけれど、大人の患者はそうはいかない、自分でやり、自分や家族や子供に食べさせなければならないし、特に核家族の女性は動かざるを得ないのです。
仕事をしている大人患者は、退院させられれば、仕事だってそうも長く休めないから仕事に復帰せざるをえない人もいると思うのです。

だからこそ、ブラッドパッチ後安静が大切だと思うなら、その期間はせめて退院させないで病院においてほしいのです。
病院から退院させせられれば、安静が保てる補償が大人にはないのですから。

まだ平均寿命には遠い世代で、治れば社会に貢献できるかもしれない若い世代でさえ、ブラッドパッチ後のたった2週間でさえ、入院で対応してもらえないのに、脳脊髄液減少症ではない、多くの整形外科医が治すことに意欲を燃やす病名だと、こうして平均寿命を超えた超高齢者でも手厚い医療・介護・リハビリが受けられる。この矛盾に怒りが止まりません。

地方の脳脊髄液減少症に理解ある医師のいる一部の病院では、2週間の入院も実現しているのかもしれないけれど、脳脊髄液減少症患者が殺到する病院ではそれは無理です。

だから、できれば、地元でも脳脊髄液減少症に理解ある医師がいてくれて、診断治療は、脳脊髄液減少症専門医がしてくれていても、そこからは地元に戻った患者を2週間とか入院で点滴しつづけ安静にさせてもらえるとか、足の筋力が落ちないようにリハビリしてくれるとか、フォローだってしてくれてもよさそうなものなのに少なくとも私の住む地域では、身近で脳脊髄液減少症に、この親族が受けられている熱い体制ほどにしてもらえるところは皆無なのです。

平均寿命をとうに超えた私の親族には、地元で手術からの流れでリハビリまで手厚い医療と介護がなされているのに、

平均寿命よりはまだ若い、もしかしたら完治すれば働けるかもしれない私が、地元でずっとほったらかされ、遠くの主治医のブラッドパッチ治療後も地元での医療支援はなく、自宅療養するしかない。
しかも自宅療養といっても、治療後だってすぐさま家事で働かなければならない現実。この現実は、脳脊髄液減少症に関心の少ない医師が多い地域に住む、私以外の患者たちにも同じように起こっているはずです。

だいぶ回復した今なら地元の医師たちの無関心無支援も耐えられますが、立っているのもつらかったころは退院するとすぐ家事をせねばならず、本当にその現実が悲しかったのです。

診察も数か月に一度だけが頼りの数年間という現実。その間、地元で頼る医師もなく症状悪化時に近くの病院の脳外科に駆け込めば門前払いを受けたこともあるぐらい、理解ある医師が少なかったのです。

どれだけ孤独でどれだけ悲しく、どれだけつらかったか、地元の医師は想像できるのでしょうか?

平均寿命を超えた親族に医療費や療養費をかけて手厚い介護をしているのを見て、複雑な感情で苦しくなる私は、高齢者を軽視する冷酷な自分勝手な人間でしょうか?

平均寿命を超えた親族にかける国の医療費などの半分でいいから、回復すればまだ働け、国に貢献できる世代の脳脊髄液減少症の患者の回復とリハビリのために国は病院に診療報酬を払ってほしいのです。

そうでないと、病院はもうからないから、脳脊髄液減少症患者の治療やリハビリなど真剣に取り組む病院や医師は今後も増えていかないことでしょう。

今のままだと、平均寿命を超えた人でも、「多くの医師に認められた病名で、診療報酬もしっかり出る病名の患者」なら長期に手厚く医療やリハビリに入院で取り組んでもらえても、

「まだ多くの医師にも知られておらず、診療報酬も決して十分とは言えない脳脊髄液減少症の患者」は今後も必要最低限の治療しか受けられない現実が続いてしまうことでしょう。

こんな状態では自宅療養だけでの自分の努力と工夫だけで、完治まで至れる患者も少ないだろうし、治療後まだ安静にせよと言われても、病院から出たら、家事や仕事をせざるを得ない大人たちは、つらいだけでなく治療後の予後にも影響すると思うのです。

高齢者を元気に回復させることももちろん大切かもしれませんが、それ以上に若い働けるまだまだ平均寿命には遠い世代の脳脊髄液減少症の早期発見と治療と回復のために、お金をつぎ込めば、もっと真剣に取り組む医師も増えてくるし、無駄な医療費の大幅な削減にも絶対つながると思います。

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コメント

  • 初めまして。

    高齢者と言えども、手術を受けてその後の加療が必要ないと判断された時点で、
    基幹病院は退院になります。(手術を待っている人がたくさんいるので)
    その後、本人の意思、家族や主治医の判断でリハビリ病院へ一定期間入ることは可能で、
    それなりの高額の医療費を支払ってリハビリを継続されるわけです。
    また、すべての術後の高齢者が、手厚いリハビリを受けられているかと言えばそうでもありません。
    基幹病院から施設に戻るという方もたくさんおられます。
    ご親戚の方は随分と恵まれた方だと思いますよ。

    脳脊髄液減少症の患者さんも、もっと手厚くしてほしいというのは分かります。
    手術後の安静を保つことは大事なのに、現在は手術後の対策まで手が回っていないのが現状。
    そのあたり、脳脊髄液減少症に携わる医師の方や患者さんが声を上げて行くことが大切ですね。

    by edo €2017年8月6日 4:12 PM

    • edoさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
      edoさんは医療関係の方なのでしょうか?患者さんでしょうか?そのどちらでもない方なのでしょうか?少なくとも脳脊髄液減少症の当事者患者ではないのではないでしょうか?
      患者の置かれている現状をあまりご存じない気がしますから。

      全国どこの医師でも認知されている病と、そうでない脳脊髄液減少症は、受ける対応に大きな差があるのです。
      単に、親族がたまたま恵まれているとは、私には思えません。

      私の親も、とにかく「脳脊髄液減少症」以外の病であれば、医師は、たとえへき地でも、真剣に向き合ってもらえます。
      けれど、これが「脳脊髄液減少症」となると、そうはいかないのです。

      私の地元では、脳脊髄液減少症の症状悪化時に、真剣に向き合ってくださる総合病院の脳外科医さえ見つからないのが現状で、長い間私も孤立していますから、高齢の親族の受けている手厚い医療は心からうらやましいです。それは私でなくても当然でしょう。
      私は病名を出した段階で受診拒否されることもありますが、高齢の親族の脊柱管狭窄症では、少なくとも「受診拒否」はされないでしょう。
      「手術は難しいし高齢だから危険だからやりたくない。」とは言われても、まさか数百キロ先の病院まで行きなさいとは言われないでしょう。なんとか診てもらえるのが普通でしょう。
      ところがそうはいかないのが脳脊髄液減少症なのです。世間一般にも医師にも知れ渡った、医学部で徹底的に教育されている病気と、そうでない、研究途上の病名では、現状の患者の扱いも全然違うのです。

      患者が声をあげるのもエネルギーがいります。私もここに記事を書いて思いを伝えるのも、かなりのエネルギーを使います。
      私のように、今まで自費の治療を何度も受けられなかった人や、もっと症状の重い患者、家族の理解や協力に恵まれず孤立していた患者は、気力的にも体力的にも声も上げられない現状だと思います。
      年齢の低い患者さんは親が代弁してくれたり助けてくれても、逆に高齢の脳脊髄液減少症患者は、そんな保護者はいないし、高齢だと自分でなんらかの手段で自分の思いを発信することすら難しいことでしょう。
      それに、簡単にたった1回のブラッドパッチで完治したような人は、脳脊髄液減少症の抱える問題点や困難や孤立を感じることなく社会復帰されていくでしょうから、声を上げる必要性も感じないでしょう。だから何も言わないのが当然でしょう。
      世間に届けるべき声が存在しているけれど、簡単に回復した人人ほど、苦労を感じないですむから、声を上げる必要性を感じないはずです。
      だから本来伝えられるべき一番弱者の声が世の中に届くことがあまりないし、声が上がらないことで、そんな人たちの存在すら知られず、医療での支援もなかなか整わないのが脳脊髄液減少症の現実だと思います。既存の疾患とは医療支援のレベルが全然違うのです。
      そのことを、ご理解いただきたいです。

      by lily €2017年8月6日 5:16 PM

  • 私は、高齢者を自宅で介護しているものです。
    両親とも要介護です。
    いくらサービスを受けても、24時間気の休まる時、休日もない生活を数年ですが続けています。
    それでも両親に愛されて育ててもらったので、自宅介護はギリギリまで続ける予定です。
    いつ果てるともない、闘いの日々です。
    私達介護する側は、リハビリを受けて、少しでも動ける状態で戻ってもらわないと困るんです。
    負担が増えて、どうしようもない。

    lilyさんのおっしゃりたいことも分かります。
    ただ、高齢者を施設ではなく、自宅で介護させようという古今の動き、
    それが、丁寧なリハビリにつながっていることもご理解いただければ、、、

    平均寿命を過ぎていたとしても、愛しい親には長生きしてもらいたいものです。
    あんな年寄りにお金をかけてと思われるかもしれませんが、命の重さは、
    年齢は関係ないのではと思います。

    by edo €2017年8月7日 11:31 AM

    • edoさん、コメントありがとうございます。そうだったのですね。大変な中、一生懸命、親御さんを介護されているのですね。頭が下がります。
      確かに超高齢の親族も、若い作業療法士さんや理学療法士さんに毎日3回のリハビリと、食事の時や着替えの時でさえ、リハビリかねて一日中リハビリに取り組んでいるのも、自宅に帰って本人がなるべく自立して過ごせるようにするためなのでしょう。介護する家族の負担も減らすために、手厚いリハビリが高齢者にも必要なのでしょう。それはわかります。

      でも、私は、子育て中、子供を守り育てなければならない立場で、脳脊髄液減少症での体と脳の機能低下のリハビリにどこの医療機関の誰も手を差し伸べてはくださいませんでした。
      全くの医療機関の「無視」の中を自分で自分をリハビリしつづけ、地元の医療機関から相手にしてもらえないことに悲しみながら生き抜いてきました。
      今もそうです。主治医と連携して地元で診てくださるような、MRIなど検査機器を持った総合病院の、脳外科医ひとりでさえ、もう何年も探し出せない状態です。
      こんな事故後遺症が他にあるでしょうか?まさに医療難民、リハビリ難民です。
      それに比べ既存の病名の高齢者は医療と介護保険に支えられて恵まれていると感じます。

      たしかに命の重さは年齢にかかわらず同じかもしれません。でも、その人の背負っている義務と責任は高齢者と子育て世代の人間とでは違っていると思うのです。

      今も、かつての私のように、地元では十分に支えてもらえない脳脊髄液減少症の核家族のお父さんお母さんがいるのかと思うと、やりきれません。
      仕事や子育てを抱えて、充分な脳と体のリハビリを医療機関でしっかりと手厚く受けられず、立てない歩けない計算できない、ろれつもまわらない状態で必要最低限のブラッドパッチ治療だけで、家庭や社会に放り出されている働き盛り世代の患者さんたちがいると思うと、いたたまれません。
      高齢者リハビリに熱意を燃やす医療者の半分でいいから、脳脊髄液減少症患者支援にも医療者として関心を持ってほしい。そう思います。

      平均寿命をとうに超えた、超高齢の親族が何か月も入院で、作業療法士や理学療法士や医師や言語聴覚士や社会福祉士のチーム医療の恩恵を全身に受けているのを見ると、私が孤独でリハビリに取り組んできたのとのあまりの差に、とても複雑な気持ちになるのです。

      高齢者に限らず、普通の病気や疾患の医療やリハビリ体制に比べて、あまりにも脳脊髄液減少症患者の支援体制が整っていない現状を改めて突き付けられているように感じるのです。
      その落差を突き付けられるのがつらくて、お見舞いに行けなくなりました。

      いつか国も、脳脊髄液減少症患者への早期発見早期治療と、見逃され慢性化した患者の検査治療の徹底とリハビリが、結果的にドクターショッピングによる国の医療費の無駄を防ぎ、脳脊髄液減少症が見逃されて寝たきりになる高齢者も減らし、それが国の医療費や介護費用の削減にもつながることに気付くことになるでしょう。
      しかしそれはまだまだ遠い未来のような気がします。あと30年後くらいのような気がします。
      ちょっと熱く語りすぎてすみません。それぐらい矛盾を感じ続けてきたものですからつい。
      どうぞ、これに懲りずにまた来てください。お待ちしております。

      by lily €2017年8月7日 12:14 PM

  • lilyさん

    国はなかなか動きません・「動かざること山のごとし」ですよ。
    動いたと思ったら、実情に合わない不備な点が満載だったりします。
    介護制度も、いつまで続くのか、、、現役世代は悲鳴を上げていますよね。
    介護がこの国の主産業になったら、日本はもう成長は無理ですたれて行くだけでしょう。

    高齢化社会の中で、このような大変な病気が、埋もれてしまわないことを私も祈ってます。
    車を運転する身としては、明日は我が身だと思って読ませて頂きました。
    lilyさんのこと、応援しています。

    ありがとうございました。

    by edo €2017年8月7日 12:36 PM

    • 応援ありがとうございます。コメントいただいた だけで励まされます。たまっていた思いをedoさんに向けて吐き出し、受け止めていただけて気持ちが楽になりました。感謝しております。ありがとうございました。

      by lily €2017年8月7日 12:54 PM

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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