2020/07/04
私は過去に「ヒステリー」と呼ばれていた人たちの中に、脳脊髄液減少症患者がいたと思っています。
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ヒステリーとは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
によると、
ギリシア語で子宮を意味する言葉で,古代には婦人病と結びつけられていた。 18世紀には J.M.シャルコーらが催眠術によって治療しようとした経験から,ヒステリーは暗示によって生じ,暗示によって消える心身の機能障害と考えられるようになった。その後,産業社会化や戦争という状況で,要求や願望と結びついた機能障害が多数みられ,賠償神経症,戦争神経症などの概念が生れた。
19世紀から始った変質説は,20世紀に入ってもヒステリー性格という概念を進め,性格における自己顕示性が強調された。また,精神分析の専門家は,自我防衛のために抑圧した本能的衝動から生じた無意識の葛藤が象徴的に顕現したものと考え,この機制を転換 conversionと名づけた。ヒステリーには,器質的裏づけのない運動麻痺や知覚麻痺,知覚過敏,振戦,盲,聾,内臓症状なども伴う。
とある、これを、脳脊髄液減少症の私の視点で考えると、18世紀には、MRIもCTなどの医療機器はなく、人に起こった現象や症状を、その当時の意味づけ理由づけをするしかなかったんだと思います。
ともある。
ただでさえ女性は、生理によって体調や気分が変調します。
ましてや、脳脊髄液減少症の女性は、月経前に怒りっぽくなるのが普通の人より激しかったり、体調の悪化や頭痛がひどかったりします。ですから、もし当時も、暴力や転落や転倒、落馬、出産などで脳脊髄液漏れを起こしているご婦人がいたとするなら、月経周期によって、症状が出たり消えたり、激しくなったり軽快したりした女性もいたはずだと推測します。
別に欲求や願望と結びついた機能障害でなくても、脳脊髄液減少症患者は、「学校に行きたくないから、仕事に行きたくないから、自分が大切にされたいから、人に心配されたいから、思いやりを受けたいから、親や配偶者にかまってもらいたいから、交通事故の賠償金がほしいから」自分で症状を演技しているとか、症状を偽っているとか、詐病、などと、誤解されやすいのが特徴だと思います。
患者本人は、本当に、転倒や落馬、人からの暴力、出産、戦闘、戦争での暴力による怪我や、戦争での爆弾や何かの採掘時の爆破などの仕事で、爆弾の爆発時の風圧を体にまともに受けて受けて、その衝撃で髄液漏れを発症して、結果的にそうした症状が出て苦しんでいるかもしれないのに、18世紀の当時の医師では、「髄液漏れ」で症状がでるとは想像もしないでしょう。
外見に怪我もないような、血も出ていないような、一見元気そうに見える人が訴える症状は、「大げさ」「精神的なものでは?」と周囲が思い、その状態に「ヒステリー」と名前をつけて、すべての患者の性格や心の病、願望などの下心のせいにしたのもしかたがなかったかもしれません。
患者本人は何も罪はなく、暴力や爆弾での爆風を体に受けて、脳脊髄液漏れになり、症状を訴えているにもかかわらず、18世紀からの当時の医師たちは、心の中で患者のことを「困った人たちだ」とあざ笑っていたのかもしれません。
しかし、今なら、私と同じように考える人もいるでしょう。
決してお金目当ての詐病などではなく、「賠償神経症」や「戦争神経症」ではなく、脳脊髄液減少症が、交通事故や戦争での怪我や爆風でも起こりえることに、気づける人もいるでしょう。
コトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
またコトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると、
戦争中や社会動乱下では、けいれん、失立、失歩など、目だつ身体症状が現れるが、今日の日本のような平和時では疼痛(とうつう)などが多い。前者を古典的ヒステリーとよんでいる。解離症状としては解離性健忘、解離性遁走(とんそう)(家庭または普段の職場から離れて放浪し、過去を想起できなくなる)、解離性同一性障害(いわゆる多重人格障害)、離人症などがあるが、最近では若い女性を中心に解離性同一性障害と診断される例が増加している。
ヒステリーは女性だけの病気というのは誤解であり、戦争中、軍隊で多くのヒステリーが発生した。また、ヒステリー性格者のみがヒステリーにかかるというのも正しくない。ヒステリー性格の特徴は、(1)演技的で人の関心を買う行動、(2)自己中心性、(3)情緒不安定性、(4)誘惑・魅惑的、(5)言語の誇張、(6)依存性、などがあげられる。つまり、自己顕示性が強い性格である。なお、現在、精神医学領域ではヒステリー性格という用語をやめて、演技性人格障害とよんでいる
とある。たしかに、脳脊髄液減少症を全く知らない時代の人が患者を外側からだけから見て分析したら、このように考えられてもしかたがないと思います。
私の考え
戦争中は、敵に殴るける、落下する、つき飛ばされる、銃弾で撃たれ、地面に頭を打ち付けて倒れる、爆風に飛ばされ背中を地面や木や石にたたきつけるということも起こっていたでしょうから人体に加わる衝撃も相当なものだったでしょう。
戦時中に衝撃が原因で脳脊髄液が漏れ、脳脊髄液減少症患者が大勢発症しても少しも不思議ではないでしょう?
そう考えると、軍隊で、精神的なもの以外で、脳脊髄液漏れという器質的原因があって一見「ヒステリー」と誤解されかねない症状を訴える人が増えたと考えるのも不思議ではないでしょう?
でも、そうした事実を知らない第三者から見たら、患者の状態や症状の訴えは「演技的」で「人の関心を買い」「自己中心的」で「情緒不安定」で「周囲に助けてくれとうるさく」「自己顕示性の高い」やっかいな人間、と誤解されても仕方がないでしょう。
私ももし、脳脊髄液減少症の世界を全く体験せず知らなかったら、「なんて厄介な人間、ほっとけ」だとたぶん思うでしょう。
脳が髄液漏れで不調になるし、感情をコントロールできないから、(自己中心的な言動、攻撃的な言動、怒りを抑えられない言動、苦しいから助けてくれとしつこくいう言動)が現れ、よけいまわりから疎まれ嫌われてしまうでしょう。
でも、患者自身のせいではないのです。脳脊髄液減少症が患者の体で起こしている現象の結果なのです。
でも、そのことに周囲の誰も気づけず、患者自身を責めるでしょう。
現代日本で、原因不明の腰痛や疼痛を訴える人の中には、必ず脳脊髄液減少症が原因の人が紛れ込んでいると私は思います。
しかしかつてのNHKスペシャル 腰痛・治療革命
~見えてきた痛みのメカニズム~ では「脳脊髄液減少症での腰痛や疼痛の可能性」に一言も触れませんでしたよね、たしか・・・。
いかに、脳脊髄液減少症が社会や医学界から無視されているかがわかります。
だって、私が疼痛や腰痛を脳脊髄液減少症で経験し、治療で回復した経験があるからです。
髄液漏れると脳が正常に機能しなくなり記憶だって平気で飛びますし、どこを歩いて帰ってきたのかわからなくなるような徘徊状態にもなります。
以前の人格とは変わったように凶暴で怒りっぽくなり暴力的にもなります。自分が分離するような不思議な感覚もあります。
私はすべて経験してしっています。脳脊髄液が漏れると人体に何が起こるかを。
これらに、解離性健忘、解離性遁走(とんそう)解離性同一性障害、離人症の病名がつけられたとしても少しもおかしくありません。私が経験した症状で一番近いと思うのは、離人症かもしれません。
しかし、今も、18世紀の医師たちと何らかわりない考えの医師たちが、存在しています。
そうした医師たちの存在に、昭和平成の時代に入ってもなお、私たち患者は、もう数十年も苦しめられてきたのです。
日本でも、明治大正時代にだって、脳脊髄液漏れの患者は存在していたでしょうし、同じように症状に苦しんでいたでしょう。
その人たちのことを想像したこと、ありますか?
特に交通事故被害者は、被害者という苦しみに加え、脳脊髄液減少症という、言葉では表現しにくい耐え難い数々の症状の苦しみを抱え、それにさらに、社会の無理解によって「ヒステリー扱い」され、さらにあなた方理解のない医師たちによって、無理解、無支援という苦しみまで味わわされてきたのです。
コトバンクのニッポニカの記述に
ヒステリーが
器質的裏づけのない運動麻痺や知覚麻痺,知覚過敏,振戦,盲,聾,内臓症状なども伴う
とありますが、私はそうは思いません。
そうではなく、原因不明のさまざまな症状を訴える人の中に、脳脊髄液漏れ患者がいても、その原因を疑う医師がいないから、器質的裏付けを取れない可能性もあると思うのです。
その当時の医学技術では、患者の体に髄液漏れが起こると、それらの多彩な症状が出るという知識も医師にはなかったし、その裏付けをとる能力や技術もなかっただけでしょ?と思うのです。
脳脊髄液が漏れた人体では、実際には運動麻痺や知覚麻痺、ふるえ、視力低下、聴覚がおかしくなる、内臓に原因がないのに内臓痛がするなどの、実にさまざまな症状が出ますよ。
それは体験した私が言うので間違いないです。
でも、当時の医師は、人体に脳脊髄液漏れが起こると、視力、聴覚、内臓、手足に色々な症状が出るということを知らないから「器質的裏付け」もまさか「脳脊髄液漏れ」だとは思わずそんな検査もしなかったしできなかったはずです。
だから当時の考えうる限りの検査をしてもその中では症状の「器質的裏付け」は取れなかったというだけだと思うのです。
このことから考えると、その時その時の最新の知識や技術で「器質的裏付けがないから患者の訴える症状は嘘、心が原因、性格が原因」とは言い切れないってことです。
いつの時代であっても、医師や周囲の知恵のなさ、技術のなさ、検査機器のない時代という、仕方がないことが重なれば、実際には「患者の体に実際に起こっている真相を見破れない」ばかりか、原因がわからないから患者のせいにするという「患者にぬれぎぬを着せかねない」という残酷な現象が起こりえると思うのです。
原因の存在にすら気づけないからその「器質的裏付け」もとることなどできず、その存在すら想像もせず、実行もされず、
その結果「器質的原因がない」とされ、実際は「器質的原因」は存在しているのに、「器質的裏付け」が取れなかったからといって、結果的にその症状の原因を患者にすべて押し付け、患者自身のせいにすることは、単に医師側や周囲がそれによって、患者に起こっている症状に納得したかっただけの可能性もあるのではないでしょうか?
昔の常識は今の非常識、昔の非常識が今の常識
たしか、ひと昔前まで、部活で激しい運動中は水を飲むとよけい疲れるから水は飲むな、とまことしやかに言われていましたよね。
水泳中も水分補給はするな、と言われていたそうですね。
水分補給をせずにプールで泳がされるから、水が飲みたくなると泳ぎながらこっそりプールの水を飲んだと、ある元水泳選手から直接聞きました。
今では「運動中は水は飲むな」と指導者が行ったら「虐待」で訴えられるでしょう。
教師たちがそう子供たちに指導する時代は、その背景に医師たちもそう信じていた時代があったからでしょう?
たしか、母乳より人工乳が優れていると保健師が指導していた時代がありましたよね。まあ栄養失調の母親ならそれもわかりますが・・・・
新生児には、直射日光を浴びせる「日光浴」がいいと母子手帳に書かれていた時代もありましたよね。
新生児にうつぶせ寝がいいといった時代もあり、うつぶせ寝で宣伝するクリニックもありました。
つい数年前まで「脳脊髄液が漏れるのは極めてまれ」と信じられていましたよね・・・。つい最近です。
子宮頸がんワクチンを子供たちに積極的に勧められた時代もつい最近ありました。
時代とともに、その時の「常識」は塩化していきます。
過去の「非常識」が現在では「常識」になる場合もあります。
だから、昔「運動中水を飲むな」と子供たちに言っていたのと同じこと(正しいと信じていることが実は間違っていること)が今も、常にどんな時代も、起こっている可能性があるのではないですか?
昔絶対安静だった腎臓病患者は今は透析しながら医師の指導のもと筋トレまでする時代です。
多くの医師に言いたいこと
そろそろ気づいていただけませんか?
過去に「ヒステリー」を言われてきた人たちの中に、脳脊髄液漏出症患者が見逃されていたであろうことを・・・。
そして今も「精神的なもの、性格的なもの、願望や自己顕示欲の現れで症状を訴えている。保険金目当ての詐病」と誤解されている脳脊髄液減少症患者たちがいるであろうことに・・・。
もし、いつも「脳脊髄液減少症患者の視点」を持てれば、たとえ患者の訴える症状がどんなものであったとしても、必ず「髄液漏れ患者」を見抜けるようになるはずです。
でも、「既存の病名」に固執し、最初から色眼鏡で患者の症状を診れば、きれいに「既存の病名」にも当てはまってしまいますから、ますます脳脊髄液減少症を見抜けなくなるでしょう。
そろそろ、脳脊髄液減少症を見逃すことの罪の重さ、残酷さに気づいて、早期発見と早期治療に力を貸していただけませんか?
ヒステリーの記述にある症状と脳脊髄液減少症
コトバンクのヒステリーの記述にある症状で、脳脊髄液減少症の私が体験した症状をあげてみます。
・夜尿 脳脊髄液減少症では夜間頻尿や多尿になるので、こどもだと結果的に「夜尿」とされる可能性あり。
・呼吸困難 脳脊髄液減少症の呼吸困難は、パニック障害とか過換気症候群と誤解されると思います。
・偏頭痛 脳脊髄液減少症の頭痛は、片頭痛、緊張性頭痛など、普通の頭痛と誤診されると思います。
・失声 脳脊髄液減少症では声が出にくくなります。つぶやくような声の時が私もありました。呼吸が苦しいのと声がでにくいのが重なるからです。
・失神発作 脳脊髄液減少症ではPOTSのような症状が出るのでただの失神発作と間違われやすいと思います。
・解離症状 脳脊髄液減少症になると、現実感が薄れたりおかしな精神状態になることがあります。
・健忘、 記憶障害がでます。
・解離性遁走 記憶障害と思考力判断力が低下するのとで、どこを歩いてきたのかわからない徘徊みたいな感じになることもあります。
・
疲労感,注意集中困難,焦燥感,記憶力低下,精神作業能力の低下などの精神症状と,不眠,頭痛,食欲不振,振戦などの身体症状
これらの症状はすべて脳脊髄液減少症でも起こります。
だから患者はけっしてヒステリーではなく、脳脊髄液減少症でそういう症状が出ているとき、周囲から「疾病逃避」「患者が症状形成により不安から逃れるため」「周囲の同情や関心を得るため」、と誤解され、相手にしてもらえず、「ヒステリー」扱いされることは、ものすごく残酷なことなのです。