2020/07/04
私は、“ギランバレー症候群”を取り上げた番組や再現ドラマを見ると、とてもつらくなります。
なぜなら、脳脊髄液減少症の症状は“ギランバレー症候群”とそっくりなのに、医師の対応にあまりにも差がありすぎるからです。
ザ!仰天ニュース(2017年10月17日放送)の番組内での再現ドラマででてきた“ギランバレー症候群”の患者さんの症例のような症状は、私は脳脊髄液減少症でも経験しています。
髄液が漏れると、四肢がしびれたり、冷たくなったり、力が入らなくなったり、それによってパソコンがうまく打てなくなったり、文字が書きにくくなったり、歩きにくくなったり、食べるという動作がしにくくなったりします。
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ギランバレー症候群と似ていると思う脳脊髄液減少症の症状
・四肢の筋力低下
・運動障害
・感覚障害
・顔面の筋力低下
・しゃべりにくい、飲み込みにくい
・物が2重に見える
・呼吸しにくい
・頻脈、不整脈、起立性低血圧、高血圧など自律神経症状と思われる症状
これらの症状は、ギランバレー症候群でも起きると聞いています。
ギランバレー症候群だと診断されると、そのまま入院で対応され、治るまで何か月も医療機関が責任を持って治すまで面倒を見てくれるようですが、脳脊髄液減少症だと、ほとんど同じ症状で患者が苦しんでいて、やっとの思いで病院にたどりついても、即入院はできない地域がまだまだ多いと思います。
脳脊髄液減少症の過酷さ
似たような症状で患者が非常に苦しんでいても、ギランバレー症候群の患者さんは手厚く保護され、脳脊髄液減少症の患者は軽視され重要視されず、早期の治療にも力を入れてもらえず、入院なんて必要ないと考えられてしまい、家に帰されてしまうのです。
よくて、点滴してもらえる程度で、脳脊髄液減少症に詳しい医師は遠いからしょっちゅう行くことも診てもらうこともなかなか難しいし、だからといって、地元では、点滴してくださる医師はまだいいほうで、それさえ断られることもざらですし、「脳脊髄液減少症ではない」とまだ言っている医師もいたりして、がっかりしたりします。
手足に力が入らない状態で運転して病院に行くのはとても危険であるにもかかわらず、また来週点滴に来なさい、とか2週間後にまた来なさいとか、いとも簡単に言われてしまうのです。
それがどんなに患者にとって苦しいことか、わかってもらえないから入院さえさせてもらえないのでしょう。
ほぼ同じ症状で苦しんでいても病名が“ギランバレー症候群”の患者さんは、そんなことは言われないでしょう。
しかし、脳脊髄液減少症患者は、ほぼ同じ辛さの症状を抱えていても、そのまま家に帰されてしまうのです。
ほぼ同じ症状であっても、ギランバレー症候群だと診断されると、患者は何もしなくても、医師の方で、即入院だ、詳しい検査だと、動いてくれるので安心して身を任せられると思いますが、脳脊髄液減少症ではそういうわけにはいかないのです。
まだまだ脳脊髄液減少症の医療体制が普及していない現状では、ギランバレー症候群のように症状が発症したから即診断がつくとか、即検査ができるとか、入院でケアしてもらえるとか、なかなかスムーズにはいかないのが脳脊髄液減少症の医療現場の現状です。
原因は、脳脊髄液減少症の治療や診断に取り組んでいる医師の少なさです。
大学病院だろうと、大病院だろうと、地域の基幹病院だろうと、医師はもちろん、医療スタッフにだって、脳脊髄液減少症に対する知識がない地域が2017年12月現在もほとんどではないでしょうか?
脳脊髄液減少症とすでにわかっている患者ですらこうした対応ですから、いまだに脳脊髄液減少症が原因でのそれらの症状だと気づけず、医師に「何も原因がわからない。」あるいは、「症状は似ているけれど、“ギランバレー症候群”ではない」と医師に言われた人たちは、もっとつらいと思っています。
症状がつらいのに助けてもらえない人たちが、自殺予備軍にならないように、早期の支援が必要だと思います。
脳脊髄液減少症の医療体制を整え、患者を苦しみから早期に救い社会復帰させることができれば、自殺防止にも、国の医療費の削減にも、不登校対策にも、引きこもり対策にも、認知症や寝たきり高齢者の削減などと、一部つながると私は思うのです。
それぐらい、脳脊髄液減少症対策は重要なことなのに、いまだに認知度が低く、本格的な国の対応策はないままです。
いつになったら、脳脊髄液減少症を見逃し治療が遅れることの危険さ、「事の重大さ」に世間は気づいてくれるんだろうと思います。
まだまだ先が見えないトンネルの中にいるような気分です。
ギランバレー症候群になったこともないのに、ギランバレー症候群の症状の深刻さも苦しみも知らない私が、「ギランバレー症候群がうらやましい」だなんて言ったら、ギランバレー症候群の患者さんたちやご家族に失礼だとはわかっています。
しかし、症状の重さはともかく、少なくとも、どんな重病になったとしても、周囲に一生懸命手厚く守られ回復を支援されるのと、それがほとんどないに等しく、苦しい体で自分で回復への道を切り開かなければいけないのとでは、患者の心細さ孤独感は全然違うのです。
症状以外に、医師や周囲の無理解や無支援、誤解、偏見という、いらぬ苦しみまで背負いつつ、自分で回復の道をさぐらなければならないのですから。
その部分で、診療体制が整っていて症状があっても家に放置されない、入院で何か月も診てもらえる「ギランバレー症候群」に対して、「うらやましい。」と思ってしまうのです。