リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

命の総合病院

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」の自殺防止のNPO法人、くもの糸の秋田県で「自殺者を半減させた男性」の放送を見た、感想の続きです。

繰り返しますが、昨年日本の自殺者は24025人で今も一日60人以上が、自ら命を絶っているそうです。

私は、脳脊髄液減少症の一部始終を経験してしまったことから、この自殺者の中に、脳脊髄液減少症だと気づけないまま、あるいは、気づけても、亡くなっていった人たちが含まれていると、強く感じています。

そんな思いがあって、今回の番組を興味深く見ました。

自殺率が日本最悪だった秋田県は、このNPO法人の活動もあってか、この10年で自殺者の数がほぼ半分になったということです。

それは、秋田モデルと言われる自殺予防の対策のネットワークの効果もあったようです。

地域にもネットワークを張り巡らせ、自殺予防の知識を学んだ看護士やカウンセラー、元自治体職員がメンタルヘルスサポーターとして、メンバーになって、地域にも自殺防止のネットワークが張り巡らせているそうです。

こうした団体が秋田県で、このNPO法人の活動以降、6倍以上に増加し、その数は、全国一といいます。

自殺対策のネットワークとして、かつてバラバラに自殺予防対策を行ってきた自治体や大学などもこのNPO法人の代表の呼びかけで
連携したといいます。

一人の相談者に対して、・弁護士、司法書士、臨床心理士などの専門家・自殺対策NPO・メンタルヘルスサポーター・自治体・大学・メディアが連携しあらゆる角度から働きかける、独自の仕組みがひとつの命をみんなで救うこれを、このNPO法人代表の佐藤さんは、「命の総合病院」と呼ぶそうです。

「ここに(相談に)来れば、あなたを死なせない。ここに来れば、まずどこかにつなぐよ。ここで、(解決)できなければ、もっと専門家につなぐよ。つなぐための役割を、ここはしますよ。」という姿勢は脳脊髄液減少症での身体症状、地域や家族の無理解、周囲の医師や自治体職員の無理解、無関心、無支援に長い間苦しんできた私が、ずっと求めていた言葉でした。

もし、身近で、そんな言葉を言ってくれる人がいたら、それだけでどんなに心癒され、励まされたことでしょうか。

私は、死にたいとまで至らない場合であっても、この何年も激しいだるさと疲れが続く、重く苦しい着ぐるみを着っぱなしのような
しんどさつらさから、抜け出たいと、何度も思いました。

しかし、この脳脊髄液減少症という、重くしんどい着ぐるみを着っぱなしのような体から抜け出ることは何年も許されず、かといって、地域でこの重い着ぐるみを脱がせるべく、力を貸してくれる医師もなく、しかなく、着たまま生きてきました。

しかし、私がまさか、そんな思いで、生きているとは、元気そうな私の外見からでは、誰にも信じてもらえません。

動けるからと言って、だるくない、疲れやすくない、痛くないってわけではないのですが、第三者は動けるだけで、その外見だけで判断しがちです。

痺れも痛みもだるさもあって、健康なころの、10倍や、20倍の気力を振り絞って、その動きや外見を保っていても、第三者には、0倍の力で難なく動いていたころの私と、20倍の力を振り絞って苦しみながらもやっと同じ動きをしている私を見ても、その外見からではその差はわからないのです。

たとえていうなら、破産しそうな会社を抱えて自殺を考えているような人でも、そんな危機にある人とは、その人が自分が抱える問題を話さないかぎり、外見からではわからないように・・・。

もうひとつ、たとえていうなら、普段、元気で体調がよくて絶好調でステージをこなす芸人がいたとします。
その人が調子がよく元気いっぱいにステージをこなす場合と、その芸人がもし、身内が亡くなったばかりで、心も揺れていて、
しかも、そのとき、現在経済的にも、人間関係にも、精神的にもさまざまな悩みを抱えていて、しかも、その日はインフルエンザになっていて、熱があって、だるくてしんどくて、全身が痛いけれど、ステージを休むわけにはいかず、気力と体力を振り絞って、ステージをこなし、客を笑わせ、客に全く、自分の具合のわるさ、精神的揺れ、精神的悩みの存在をほとんど感づかれなかった場合と、

第三者の客が見て、全く後者の異変に気づけず、元気そうな時のステージとあまり変わらず、客は芸人の異変にまったく気づかず、
お笑いステージを楽しめた場合、

お金を払ってステージを見に来た客には、同じような結果(ステージの満足感)を得られても、客に異変を感じさせることなく、いつもと変わらないステージを提供する側の芸人が使った、精神力、気力、体力、エネルギーの差は、あきらかに体調がよく精神状態もいい時より大きいのです。

芸人からしたら、少ないエネルギーで同じ結果を出せたら一番楽なのですが、不調でも、健康な時と同じ結果を出さなければならない環境に置かれた場合、ものすごいしんどい思いをして、その結果を出さなければなりません。

脳脊髄液減少症患者の私は、そんな感じなのです。

脳脊髄液減少症患者の私が見た目元気そうでも、元気なころの自分と、同じ動作、同じ結果を生むのに、使うエネルギー気力は、脳脊髄液減少症でなかったころの自分の使ったエネルギーの何倍も消費してやっとこなしているのです。

それが、周囲や医師には伝わらない。

健康な時の自分と比べて、あまりにもものすごい気力とエネルギーで動いているのだけれど、第三者から見たら、健康な時と同じように見える、それだけなのに。

まるでそこに「しんどさが全くない。」かのように見えてしまうのです。

そう見られてしまうことも、脳脊髄液減少症患者の孤立感を生みます。

脳脊髄液減少症患者にも、秋田モデルの、「命の総合病院」のような、・弁護士、司法書士、臨床心理士などの専門家・自殺対策NPO・メンタルヘルスサポーター・自治体・大学・高校・小学校・メディアのような支援のネットワークは必要だと思いますし、

脳脊髄液減少症の場合、加害者がいる場合があり、その問題解決にもあたる、・警察、・被害者支援センター・虐待防止の専門家・DV被害者支援の専門家 ・いじめ問題の専門家やスクールカウンセラーや養護教諭などの学校関係者などの連携も必要かと感じます。

さらに今私が一番強く思うのは、問題や症状が多岐にわたる脳脊髄液減少症は、脳神経外科だけでなく、さまざまな診療科との連携で診て、患者を支える仕組みづくりです。

眼科、耳鼻科、精神科、内科、内分泌代謝科、神経内科、整形外科、小児科、泌尿器科、ありとあらゆる科の医師の理解と協力と患者支援が必要だと、私自身の経験から強く、強く感じます。

おそらく、今も多くの医師が考えているのは、たとえ、脳脊髄液減少症の存在を認めている医師であったとしても、「自分は医師として、脳脊髄液減少症は専門外だから診ない、関係ない。」「自分にはできることはなにもないから。」というものだと想像します。

でも、私は、「脳脊髄液減少症患者は一部の奇特な脳外科医師に任せておけばよい。」というものでは、絶対にないと思うのです。

第一、脳脊髄液減少症は、原因不明の難病なんかではありません。誰にでも、いつでも起こりうるものなのです。

それなのに、地域の医師がほとんど知らんぷりを決め込むとは何事でしょうか?

脳脊髄液減少症の見逃しは、身体症状や、うつや、高次脳機能障害などの精神症状に加え、それが放置されればされるほど、家庭崩壊、仕事上での失敗、失業、事故などを引き起こしかねないと、自分の経験から思います。

大げさではなく、人の命に係わることなのです。

脳脊髄液減少症の患者支援は自殺予防の秋田モデルのような「追い詰められた人を救う」支援のネットワークに加え、一人の脳脊髄液減少症患者を総合的にさまざまな角度から見る、実際の病院という意味での、「脳脊髄液減少症の総合病院」もまた、必要だと、私は強く思うのです。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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