2020/07/04
ああ、またつらいことが起こってしまいました。
朝日新聞で「祖母が車内から3歳男児を降ろし忘れ」た記事を読みました。
あまりにつらすぎます。
こうした悲しい記事を目にするたび、本人を責めたり、「そんなこと普通忘れるはずないだろ」という世間からの責める声が聞こえてきて、私はまるで自分が責められているような気分になり、気持ちが落ち込みます。
記事によると、
「祖母(67歳)が幼稚園に送り迎えをしていたが、その日午前8時20分すぎに3歳男児を車のチャイルドシートに乗せ、先に別の用事をすませ、幼稚園に男児を送り届けるのを忘れたまま、午前9時ごろ帰宅し家に入り、午後2時すぎ、再び出かけようとした際、後部座席の男児が乗ったままだったのに気付いた。」というのです。
その時の祖母のショックと自分を責める恐ろしいまでの気持ちを想像するだけで、私は苦しくなるのです。
健康な人は、何で子供を降ろすのを忘れるのか?と不思議に思うかもしれませんが、脳脊髄液減少症の記憶障害でついさっきの記憶がキレイに消えてしまった経験のある私は、自分もやりかねなかったという思いで、忘れる感覚がものすごくよく理解でき、そしてゾッとするのです。
車に乗せたこどもは、きちんと保育園に送り届けるのがあたりまえ。車に乗せたら、降ろすのが当たり前。
そういう当たり前のことが、きちんと順序だてて記憶して失敗なく行えるのは、脳の機能が正常に働いている人だからです。
その当たり前のことができなくなるのが脳の記憶障害なんです。
一見、健康そうに見えて、本当にさっきの自分の行為でさえ、きれいに消えてしまう脳の記憶障害があるんです。
しかもその障害があることさえ、本人も医師もなかなか気づけず、大事に至ってしまったり事故につながる可能性が高いのが、脳脊髄液減少症だと私は思います。
高齢だったら、物忘れがあったらこの人認知症かも?と医師も家族も気づくかもしれないし、家族も「この人に子供を預けるのは危険かも?やめよう」とか、そういった考えも働くかもしれません。
けれど、年齢が若いママ、パパがまさかこどもを車から降ろし忘れ、保育園に送り届け忘れるなんてありえないと、普通の人は思うでしょう。
しかし、脳脊髄液減少症の私からみたら、もし、元気そうに見えても、若くても、年齢に関係なく、もし脳脊髄液減少症が見逃されていたなら、記憶が消えてしまうことで、幼い命を危険にさらしてしまうことだって起こったって不思議ではないと感じるのです。
だって実際に本当に私もやりかねなかったことなのですから。
思い出すだけで恐ろしいです。
実際、まだまだ脳脊髄液減少症が軽視され、無関心にさらされている中で、どれだけの人たちが見逃され、自分に起こっている症状の原因が脳脊髄液減少症が原因だと気づいていないのかと思うと、本当に恐ろしいと思います。
脳脊髄液減少症が恐ろしいのではなく、見逃され続けることが恐ろしいのです。
治療もされずに放置されて起こる患者とその家族や周囲に及ぼす悪影響が恐ろしいのです。
忘れて死なせてしまったその人を責める前に、その人にそういった記憶障害を起こさせるなにかの脳の疾患が隠されていることを疑うべきなのに、今はそうしたこともなく、ただ取り調べが行われ、家族からも責められて終わりなのでしょう。
もしかしたら、その記憶障害が原因でのそういった悲しい事件が原因で、その人の不注意を責められ続け、家庭崩壊だって起こりかねないのです。
しかも年齢の若いママパパだと、まさか脳脊髄液減少症の仕業でそんなことが起こってしまった可能性については、産業医も含め、誰も想像もしないのでしょう。
つまり、同じことが今後も繰り返される危険だってあると私は思うのです。
認知症の人に「忘れないようにしましょう。」といくら口で言ったって、それができなくて忘れてしまうことに本人も苦しんでいるのに、
対策としては、「記憶を保てない認知症の人をいかに安全に支えるか?」なのに、
脳脊髄液減少症患者に対しては「いかにその人の安全を周囲が守り支えてあげるか」なんて支援は今も皆無です。
特に大人の脳脊髄液減少症患者は、こどもの脳脊髄液減少症患者より、ある意味過酷な環境に置かれていると常々私は思っています。
だって大人の脳脊髄液減少症患者は、守ってくれる保護者がいないのですから。
それどころか、いろんな症状と記憶障害抱えて、子供を守る立場に置かれ続け、核家族で頼る人もいなかったり、配偶者が単身赴任だったり、ひとり親だったりすると、周りから支援が受けられることなく放置され続けるのですから。
「こどもを車に乗せたまま忘れないようにしましょう」と記憶障害のある人にいくら啓蒙したって、忘れてしまうことは忘れてしまうのです。そんな言葉が効果があるのなら、こんな事件は繰り返されません。
人に言われなくたって、だれだってそんなことはわかっているのです。
でも、わかっているのに忘れてしまうからこうした悲しい事件が起こるのです。
本人も、どうして忘れてしまったのかわからないはずだし、本人の苦悩と自分を責める気持ち、周囲に責められて今後生きていかなければならないつらさは私にダイレクトに伝わってきて、今後は「啓蒙」だけではこうした悲しい事故は防げないと思うのです。
認知症患者に対しては、周囲が気遣うように、なんらかの記憶障害気味がある人には、脳脊髄液減少症のスクリーニング検査を全国ですぐさま手軽に受けられる体制を整え、万一その人が忘れても、周囲がフォローできるような対策が必要だと私は強く感じています。
ネットで調べてみると、7年前にも73歳の祖父が、2歳の女児と9か月の男児を保育園に送ろうとして9か月の子を車内に置き忘れ熱中症で死なせてしまったこともあったらしい。男児の乗っていたチャイルドシートは運転席に背を向ける状態で設置されていたらしい。
昨年も似たような父親が保育園に送り届け忘れ死なせる事件がありましたね。
私から言わせれば、いくら「車にこどもを残して決して離れないように!」と注意を呼び掛けても、記憶が消えてしまう人たちがいる以上、なんの抑止効果にもならないってこと、そろそろ世間は気づいてほしい。
それよりも、自動車メーカーは、「こども降ろし忘れ防止装置」の開発を急いでほしい。
車内で子供はもちろん、ペットがうごめいたり、声を上げたりした場合、車内温度と締め切った時間などで、生命の危険を察知して、周りに音で異常を伝えるような装置を開発してほしいと思う。
それに加え、事故の際危ないからチャイルドシートは前の座席の助手席に着けるな!と自動車メーカーは呼び掛けるけど、事故は事故でも交通事故だとたしかに後部座席の方が安全かもしれないけれど、
熱中症でのこども降ろし忘れ事故を防止するうえでは、前の座席の助手席にチャイルドシートを付けたほうが、運転者が必ず乗り降りする時に、たとえ多少の記憶障害、注意欠陥の症状のある人でも、助手席なら嫌でも目に入るからこどもの存在に気づきやすく、夏場の車からの子供降ろし忘れ事故は減るはずだと私は思うのです。
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「車のこども降ろし忘れ死亡事故」を防ぐための私の考え
・乗用車の場合チャイルドシートは助手席に着ける。
・中が見えにくいスモークがかかった窓の後部座席には絶対にチャイルドシートを着けてこどもを載せない。
・後部座席に後ろ向きにチャイルドシートをつけない。
・車の中での生命体の生存危険度をなんらかの形で察知し、危険を感じたら周囲に音などで知らせる装置を開発して全車に標準装備する。
・国はこどもの安全を守るためにも、一見元気そうな人たちに潜む脳脊髄液減少症の徹底的な早期発見と治療と、そのための国民への脳脊髄液減少症の認知度の普及に全力を尽くす。
・産業医は脳脊髄液減少症が見逃されることで起こる業務上の危険についても熟知し、従業員とその家族の安全のためにも、脳脊髄液減少症の疑いを含めて、早期発見を徹底的にする。
あくまで私の個人的な考えです。
交通事故から守るためには、こどもを乗せるのは、後ろの座席の方がいいのだろうけれど、脳脊髄液減少症の私は、後ろの座席に物を置くと、そのまま降ろすのをよく忘れるから、これが子供だったらと思うと本当にぞっとするので考えました。
今現在でも、一見普通に見える人たちに、絶対脳脊髄液減少症は潜んでいるはずだと思うし、その人たちが脳脊髄液減少症を放置されれば、自分や家族に危険を及ぼしかねない事は、私が一番良く知っているから。
がん対策だけでなく、脳脊髄液減少症が見逃されると大変なことになることに、早く国も気づいて対策を練ってほしいと思います。