2020/07/04
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医師だって人間だもの
教授だろうが、准教授だろうが、知らないものは知らない。
人間だもの。
医師だろうが、専門医だろうが、医療関係者だろうが、知らないことは知らない。
自分が体験したことのないことはわからないし、信じられないのも当然。人間だもの。
素人だろうが一般人だろうが、医学の知識がなかろうが、体で実際に体験したことは知っていること。
人間が今得ている知識は、もともとは、実際の人間が過去から現在にかけて、ずっと体験したことの蓄積。
それが次第に証拠を得て、しっかりとした知識として定着し、さらにそれが多くの体験者や報告者によって進化し続けた結果さらに現在の最新の情報となったものが、教科書に載っていること。
しかし、過去には、教科書に載っていることがすべて「正しいこと」だとは限らないことがあった。
戦時中も、「教科書に書かれていること」が「正しい」とは限らなかった。
しかし、多くの子供たちはそれを教師によって教え込まれて、多くの大人たちもそれを信じて疑わなかったし、着き従うしかなかった。
そんな時代にも、そうした「教科書に書かれていることが間違っていること」に気づいていた少数派の人たちはいた。
国民の多くが、「正しい」と信じていた「公的な権威あるところからの情報」は今、未来である現在から振り返れば、結果的に間違っていて、戦時中、厳しく抑圧されていた「少数派の意見」が正しかったということになる。
こういうことは、よくあること。
人間だもの。
相田みつをさんの「にんげんだもの」↓
人は自分が信じたことが間違っていることもあり、「そんなことありえない」と信じられなかったことが、実は真実ということもある。
さらに、時代によって、常識はかわる。
医学や科学の進歩によって、昔、非常識とされたことがされたこと現在は常識に変わり、昔の常識が今の非常識に変わる。
(「運動時に水分を摂るな!よけい疲れる。」が今は「水分補給はこまめに自由にのどが渇く前に摂る。」とか)、当時の常識が現在には「そうとは限らない」変わる。「透析中に筋トレなんて非常識、腎臓病では安静が第一」が「医師の指導の下、透析中でも筋トレすることがある。」とか)
医師の意見がすべて正しいとは限らない。
患者の訴える症状がすべて嘘で、保険金詐欺、精神的な症状とは限らない。
患者が訴えることが真実で、医師の意見が間違っていることもある。
患者も医師も人間だもの。
本来、同じ、対等な人間だもの。
誰も憎まないし、誰も恨まない。
誰も責めないし、誰も怒れない。
だって、
私自身も相手と同じ、「知らないことは知らない」人間だもの。
いつかきっとわかってくれる、愛すべき仲間の、人間だもの。
ただ、以前自分が「認めていなかったことが」今の自分が「認めるようになった。」時、
素直に、過去の自分は知らなかったし、信じていなかったと言える人であってほしい。
さも、昔から自分は知っていたかのような、そんなそぶりはしないでほしい。
誰だって学んでないことは知らないし、わからない。
知らないことは恥ずかしいことではないんだから。
知らなかった自分を隠し、いつわる事の方が恥ずかしいと思ってほしい。
いいんです。知らなくても。知った段階でわかって知れば。
地位が低く知識のない一般人から、権威ある自分が学んだことがあっても、
それを恥じることなく言えるのであれば、それは素晴らしいこと。
知らないことがあったって、自分より学歴も知識も地位ない人から教えられたって、
そんなことちっとも恥ずかしいことじゃないんです。
どんなことでもその道のプロから学ぶことはたくさんあるはず。
だったら、
患者は、その疾患のいわば、体験者としてのプロなのだから、そこから学ぶことが恥ずかしいわけがない。
医師だって人間だもの。
全知全能の神じゃないんだから。