リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状に潜む脳脊髄液減少症の早期発見と回復、症状理解による患者に優しい社会の実現のために、私ができること

朝日新聞「患者を生きる」を読んで②

time 2016/07/29

今週月曜日から本日まで(7月25日~29日)までの
朝日新聞「患者を生きる」を読んで、

脳脊髄液減少症が、
希少な難病などではなく、
誰にでも起こりうることで、発症し、
身近な疾患であるのに、
診断治療できる医師が少ないということを
伝えてくださった点ではよかったと思います。

しかし、本日の記事にはひとつひっかかる文章がありました。

それは、
「検査を受ける患者は多くが軽症とされ、
深刻な状態の人を早く治療につなげることが課題になっている。」という文章です。

患者の優先度を、
軽症か深刻な状態かを、もしかして、「患者の見た目」で決めているなら、
問題だと感じたからです。

たとえば、
歩けない人が重症で、
歩ける人が軽症とか、

寝たきりの人が重症で、
普通に行動できる人が軽症という判断でふりわけされることが、

正しい患者の重症度を決めることにはならないと感じるからです。

高齢者の要介護度を判定するにあたっても、

身体障害が目立つ人は、要介護度が重く、

記憶障害などがまだらにあり、いわゆるまだらボケで、
調査員が来たときはきちんと受け答えするような人は
要介護度が軽く判定されがちなのと同じことが、

脳脊髄液減少症患者の重症度の振り分けでも行われてはたまらないということです。

私は、
髄液の漏れが激しく、残存率がかなり低かった時でも、
かろうじて歩けました。

何も知らない人が見たら、一見すると軽症に見えたと思います。

そんな私だからこそ、激しいだるさと、痛みと、手足の耐え難い脱力感とで、
呼吸も困難になりながらも、やっとの思いで地元の病院の医師を受診しても、
受診できること自体で、
たいした重症でもないと判断されがちだったし、

まるで「症状を大げさに訴える患者、身体表現性の患者」とみられるようで、
地元の医師にいくら助けを求めても相手にされてこなかったからです。、

主治医に状況を説明しても、
主治医にさえ、RI脳槽シンチの検査の必要性を迷わせるほどでした。

しかし、いざ検査してみたら、
脳脊髄液が激しく漏れて再発していました。

それは残存率がほとんど残らないほどの漏れでした。

ですから、
どの患者が軽症で、どの患者が重症化は、
患者の外見ではとても判断できないと思います。

寝たきりであってもただ、疲労感と激しいだるさだけで、激しい痛みや高次脳機能障害のない患者さんもいるだろうし、

動けていても、激しい高次脳機能障害で、火事や交通事故を起こしかねない患者もいるはずです。

たとえ、自分で病院が受診できるような患者であっても、
それは、やっとの思いで力を振り絞って病院にやってきたのであり、
普段は、あまりの体の症状のつらさに、
一刻も早くこの状況から逃げたいと思い詰めている人だっていると思います。

私が経験しただけでも、
症状は多種多彩で、
どの症状が軽症で、どの症状が重症だとは
なかなか判断が難しいと感じます。

かといって患者の自己申告だけに頼るのも、
痛みに弱い人は、耐え難いと表現し、

私のように、痛みやしんどさに耐えすぎる人は、
さらに我慢するから、
髄液漏れが激しかったあの時でも、

数か月待ちの検査を、じっとただただ苦しみながら耐えるしかありませんでした。

当時の自分の体感からしたら、
救急車で病院に運ばれ、
すぐにでも検査治療して、楽にしてもらいたいほどの、苦しみでした。

具合が悪いのに、
すぐに病院で受け入れてもらうこともできず、

患者が集中しているその病院の順番が来るまで、
ひたすら耐えなければならないことは、

本当に、
ここは医療先進国の日本か?と疑いたくなるほどの、
精神的な苦しみでした。

専門医であっても、
患者の重症度を見た目では判断できないし、
患者の自己申告でも正確には重症度は判断できないと思います。

今回の朝日新聞の「患者を生きる」の記事と
私のケースを比べても、

一見すると、
元気そうな私の不定愁訴だけの、脳脊髄液減少症患者と、

脳に血腫ができ、実際にそれが証拠として確認された、今回の「患者を生きる」の記事の患者さんとでは、

どちらが症状が重いかと言えば、

普通の人や普通の医師なら、
一見元気そうで「不定主訴」の患者より、「脳血腫」の患者の方が、命の危険があり、重症だ、と思うことでしょう。

しかし、
私はそれこそ、何度も何度も検査と自費の治療を繰り返し、治療後も症状悪化と改善の波を何度も何度も繰り返し、
苦痛に耐えながら生きてきて、

何年も何年も主治医が私を見捨てず、漏れを発見しては止め、を繰り返し、
長い長い見逃され期間で出ていたさまざまな症状や、高次脳機能障害も、精神症状も少しずつ、少しずつ改善し、

根気強く自費の治療を続けてはじめて、
今、なんとか症状がありながらも、なんとか短時間なら自分で外出できるまでになったのです。

ここまでの医療費は、症状で近所のクリニックでかかったものも加えれば、本当に数百万円かかりましたし、
発症からここまでの年月は、それこそ、人生の大半を振り回されました。

しかも、まだ完治はできていないのです。
今朝も呼吸困難の症状と手足の脱力、腰の痛み、激しい疲労感を抱えながらも、
なんとか普通に動くことを心がけているだけです。

治療から回復までの経過、時間、治療回数、治療後の経過を比べてみても、

どちらの患者が重症でしょうか?

「患者を生きる」の患者さんでしょうか?

一見軽症に見えるけれど、実は私の方が重症ではないでしょうか?

この例から見ても、重症度を判断するのは、見た目の状態では決められないと思うのです。

私は一見元気そうに見えて、
恐ろしい高次脳機能障害の症状で、何度も殺されかけました。

そのことについては、なかなかここに書く勇気がないので書けませんが、
本当に身の危険を感じました。

それは、一見元気そうに見える脳脊髄液減少症患者であっても、
高次脳機能障害で、
事故や火事を起こしたり、うつなどでの自殺など、重大な命の危険が迫っている場合もあるということです。

脳脊髄液減少症の重症度を客観的に見るなら、
やはり、
髄液の漏れがどの程度で、どこから漏れているか、髄液圧はいくつかなどから、
判断するしかないでしょう。

症状を点数化したところで、
患者によって、
症状の種類が違うのですから、

比べようがないと思います。

たとえば
だるさで動けず寝たきり状態の人と、

数分前の記憶がきれいに消えてしまい、火の消し忘れで火事を出した人、

あるいは、
高次脳機能障害での性格変化で、人格が変わったように怒りっぽく暴力的な人間になってしまった人との重症度を、

どう比べたらいいのでしょうか?

やはり、
髄液漏れの程度、
RI検査での残存率などで
漏れている場所と数、

などで、
比較するしか方法はないのではないでしょうか?

私は、患者の自己申告による症状の点数化の方より、
その方がよっぽど客観的判断ができると思います。

そして、
その検査が順番待ちになり、患者が苦痛の中数か月も待たされることがないよう、

なんとか、少なくとも2週間以内に、検査できるような態勢を作ってほしいと思います。

そのためには、
一部の病院だけではなく、
全国どこの病院でも、早期の検査と治療のセットができるように
なってもらいたいものです。

身近な事故での発症する脳脊髄液減少症が、

ごくごく一部の病院の医師しか真剣に治療に取り組んでいない現状が
そもそも、間違っているし、一刻も早く、この1年以内に、
病院の医師という医師が、「脳脊髄液減少症」に深い関心を取り組む姿勢を見せてほしいと
私は思っています。

私を10秒で診察室から追い出した、
あんな風な、脳脊髄液減少症と診断された患者とその主治医をバカにするような態度を摂るような
神経内科医、脳外科医を

今後はこの日本で、
ひとりも出さないでいただきたいと思います。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。「原因不明」「異常なし」「気のせい」「精神的なもの」と医師に言われる症状の影に、実は脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。「リカ場」で検索!

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