2020/07/04
脳脊髄液減少症の症状は、単なる頭痛やめまい、目のかすみ、首の痛み、だるさなどだけではありません。
脳脊髄液減少症サバイバーの私から言わせればそれらは一般的で「軽い症状」に感じます。
脳脊髄液減少症では、記憶障害、味覚障害、触覚障害、嗅覚障害、物が歪んで見える色がつらいなどの視覚障害、些細な音が過敏に感じる聴覚障害など、実にさまざまな症状がでます。
私の場合は、長年の脳脊髄液漏れの見逃されのために、ブラッドパッチ治療後もそれらの障害が続きました。
その回復のためには、私は、自分でどうしたら脳脊髄液減少症のこれらの症状を回復させられりのかと考え、5感を刺激したり、運動を取り入れたり、とにかく脳を刺激し続けることを心がけました。
そのためには、ブラッドパッチ後も、私の機能が落ちた脳を活性化するために、自分の脳にいいと思うことをし続けました。
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安静だけでは脳は回復しない?
「脳脊髄液減少症の回復には、安静が一番」 そう思っている人も多いと思います。
脳脊髄液減少症患者は「重いものを持つな!」
「体育は見学!」「激しい運動はするな!」そう言われています。
はたしてそうなのか?私は疑問を持ちました。
なぜなら私は安静というより、動けなかったことで、筋力は落ち、人とのコミュニケーション力も落ち、やる気も落ち、脳脊髄液減少症は脳の機能も動けないことでの筋力も低下しているのに、さらに安静では、脳は活性化しないし、筋力がさらにさらに落ちることを体で実感してきたからです。
「安静」が大切なのは脳脊髄液漏れを発症した直後とか、ブラッドパッチ直後の急性期のことではないのでしょうか?私はそう思います。
私のように慢性期に入ってしまった人は、たとえブラッドパッチ治療をしても、たとえ髄液漏れが止まったとしても、長年の髄液漏れの放置のために、なかなか脳脊髄液の循環状態が正常にもどらないのかもしれませんし、脳機能も自律神経の機能もなかなか正常に戻らないのではないかと思います。
(あくまで私の勝手な考えです。)
脳脊髄液の供給と吸収のバランスは、脳の何が支配し、コントロールしているのか私は知りません。
しかし、髄液漏れブラッドパッチで止めた後はひたすら「安静」だけがいいわけではないのでは?と私は考え、
少しずつ、自分の脳を刺激すべく、さまざまな活動をはじめました。
それは、少しずつ自分のできることを増やしていくこと。
少しずつ自分一人で出かけられる範囲を広げていくこと。
少しずつ、体を動かしていくこと。
少しずつ、毎日の行動メニューを増やしていくこと。
特に、脳を活性化するため、自分でできることで5感を刺激することを意識しました。
脳脊髄液減少症でも五感を刺激し続ける
脳脊髄液減少症で機能が低下したと想像する私の脳では、味はわかりにくいし、臭いもわかりにくい、視覚はおかしくなり、目はまぶしいしぼやけたり、瞳孔の調節がおかしい感じがするし、耳は音に過敏になって今までのように普通の音楽は楽しめないし、激しいリズムの音楽なんて、苦痛でしかなくなりました。
少しずつ、苦痛でない音楽を聴き、少しずつここちいいと感じる香りをかぎ、ストレッチをし、少しずつ外に出られるようになったら、散歩をしながら自然の風を感じ、きれいな自然の風景を見、花の香りを嗅ぎ、ペットをなで、体の末端から脳に、刺激を送り続けました。
たまには食べたいものを味わい、楽しみました。
これらは家にひきこもっていては、脳に届かない刺激だと思います。
認知症でも、脳脊髄液減少症でも、なんらかの病でも、脳にここちいい刺激を送り続けることは、きっと脳にいいことだと信じて、続けてきました。
今日も、アロマの香りを嗅ぎ、庭に出て花の世話をし、草や土に触り、ペットをなで、5月の風を肌に感じました。
おとといから昨日の夕方にかけて、天候がおかしく、やや体調が悪かったものの、今日も脳を刺激しにでかけました。
運動も治療しながらもできる範囲でし続けています。
最近は夜寝る前にストレッチを欠かしませんし、早く寝るように心がけています。
私は、毎日、毎日、自分の脳を刺激し続け、回復への努力をし続けています。
私の身体と私の人生の責任を持つのは私自身です。
自分の脳の導きを信じ、自分の考え、自分の判断で自分を幸せに導いていきたいと思います。
再発を恐れて、一生、自宅で安静なんて人生はまっぴらです。
残りの人生、やりたいことはやりつくすつもりです。
たとえ再発しても、もうこれからは、恐れることはないでしょう。
だって、これからもし、「脳脊髄液減少症?髄液漏れ?そんな病気存在しないよ。うちでは診ないよよそへ行ったら?」と冷たく言い放つかつて存在した(今も存在する)医師は、どんどん自然淘汰されていくでしょうから。