2020/07/04
NHKの証言記録「あの日、わたしは」を時々
テレビで見ています。
東日本大震災では、
津波から命からがら逃れて助かった、
サバイバーがたくさんいます。
その人たちが語る、あの日あの時のこと。
自分の行動の反省点とそこから得られた教訓を
何も知らない人たち、経験のない人たちに伝えようとする姿を
テレビで見て、
外見からでは、
そんな壮絶な体験を乗り越えて、今生きている人とは思えない。と感じました。
人は外見からでは、
壮絶な体験を乗り越えて、今生きている人と、そうでない人を
見分けられないということです。
サバイバーか
サバイバーでないかは、見た目では全くわかりません。
その人が、自分の経験を語ってはじめて、サバイバーであることが
周囲にわかるし、
その人が、自らの意思でその経験を語り、
経験からの教訓を語って、それを人に伝えようとしてはじめて、
周囲の人たちが、そこからの教訓を得られ、
今後に生かせると思うのです。
もし、津波からのサバイバーたちが誰一人として
口をつぐみ、自分の経験を語ろうとしなかったら、
今後も同じ悲劇は永遠に繰り返されるでしょう。
脳脊髄液減少症も同じです。
脳脊髄液減少症を経験し生きのびたものが、
経験や思いを語らなかったら、
そこから教訓も得られないし、
今後も同じ悲劇は繰り返されるでしょう。
しかし、
私を見ても、外見からでは、
壮絶な脳脊髄液減少症の経験を乗り越えた、家、今も闘っている人間には見えないでしょう。
幸せでのんきに生きているようにしか見えない、
そんな人間が、何を語っても、
信じてもらえないかもしれません。
どんな風に今まで、
脳脊髄液減少症にそうとは知らずに、何度も殺されかけ、
周囲の人の命まで巻き込みかねない危険にさらし、
それでも危機一髪のところで、
幸運に幸運が重なり、
それらを免れ、生き延びてきて今があるのか?
経験した者たちひとりひとりが語らない限り、
情報や知識がないことで気づくことが遅れることの恐ろしさや、
医師による見逃されや誤診が招くその後のさまざまな人生への悪影響も、症状の恐怖も、
何も伝わらないでしょう。
経験者が語らなければ、
人々は、いかに脳脊髄液減少症の情報と知識を持ち、
自分自身で早期に気づくことが大切かも、
気づける人はいないでしょう。
経験者に真摯に耳を傾けることができる心ある医師が増えなければ、
今後も、
脳脊髄液減少症が引き起こす悲劇は繰り返されることでしょう。
サバイバーだけが持つ、
そのサバイバルの過程は、その人しか知らない知識です。
医師であろうと、
なんだろうと、
どんなことでも、真実は経験したものでないとわからないのです。
津波で生死の境を決めたことが何なのか、
知っているのは、津波で死んだ人と生き延びた人だけです。
死んだ人にはその自らの判断ミスや失敗からの教訓を語れないのですから、
生き延びた人が、あの日あの時のことを語ることで、
何がよくて、何がよくなかったのかを考えるしかありません。
同じように、
医師であろうと、どんな専門家であろうと、
脳脊髄液減少症が引き起こす問題は、
経験したものにしかわかりません。
脳脊髄液減少症であることにも気づかず、死んでいった人も
実は大勢いることでしょう。
でも、その人たちは自分自身で脳脊髄液減少症だと気づいていないし、
もう生きていないのですから、
自らの思いを語ることも、それを聞くこともできません。
だから、
脳脊髄液減少症でも生き延びた、サバイバーの経験や、そこから得た教訓や、
思いに、
耳を傾け、
そこから、教訓を得て、今後に生かし、人々を救うために生かしてほしいのです。
人は見かけでは、
サバイバーかそうでないかはわかりません。
サバイバーが勇気を出して、自分に何が起こり、どう生き延びて、今があるのか?
その体験に対して、どういう反省点があり、どういう教訓を得て、
今生きているのか?を語らない限り、
何も経験のない人たちに、教訓が伝わりません。
脳脊髄液減少症に
数十年間苦しめられ、
症状に人生を振り回され、
誰にも症状を理解されず、
医師にも相手にされず、
それでも生き延びてきた
脳脊髄液減少症サバイバーたちが、
勇気を出して、
声を上げ始めることを期待しています。
そうでなければ、
現在も、脳脊髄液減少症の治療にしりごみしている医師たちに、
いかに、
早期発見早期治療が重要か、
いかに、
チーム医療が重要かが
いつまでたっても伝わらないと思います。
この大震災にどう向き合えばよいのか、そこから何を見出していくべきか、「証言記録」は、それを考えるヒントを与えてくれるはずです
と書いてあるように、
脳脊髄液減少症にどう向き合えばよいのか、そこから何を見出していくべきか、
脳脊髄液減少症サバイバーの声は、
それらを考えるヒントを医師や社会に与えるはずだと、
私は思います。