リカ場 ~私の脳脊髄液減少症のリカバリー~

原因不明の症状が「脳脊髄液減少症」だった私が、世界中に伝えたいこと

“ソーシャル・デスタンス”なんて言わないで!

time 2020/04/11

“ソーシャル・デスタンス”なんて言わないで!

Social distance・ソーシャルデスタンス・(社会的距離)

Social distanceing・ソーシャルデスタンシング・(人込みを避ける)

横文字は、ピンとこないな~。どれだけ横文字並べたら気がすむのよ。

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横文字のオンパレードが不安をあおる

フェーズ・ロックダウン、クラスター、オーバーシュート、そしてソーシャルデスタンス。

おそらく、専門家から政治家に伝わったんであろう、それらの横文字。

高学歴の人には、なんてことはない、普通につかっている横文字。

そして政治家は、何の疑問も躊躇もなく、それらの言葉をテレビ平然と専門家からの受け売りであろう言葉をそのままカメラの前で話し、国民に語りかける。

政治家や専門家、高学歴な人、英語が得意な人たちは、それらの言葉が庶民からかけ離れていることに、誰も気づいていない。

言葉は、行為の意味を一言で相手に伝え理解してもらうためにあるのに、意味が理解しにくい言葉ばかりが乱用される。

しかも、新型コロナウイルス感染症の拡大で、一人でも多くの人たちに、言葉の意味を理解してもらいたいこの時期に、わざわざ。わかりにくい言葉を連発する、専門家と政治家たち。

しかも自分たちにはなじんでいる言葉のせいか、まるで、古くから日本にあった、日本の老若男女の誰もが知っていてすぐさま通じる言葉を語るように普通に語る。

これらの政治家や専門家の映像を見るたび、私はうんざりする。

専門〇〇たちと、それをそのままうけ売りしかしない政治家たち。

この人たち、なんなの?って思っちゃう。ぜんぜん庶民目線じゃないのよ。

だから、若い人たちにも、言葉が伝わらないんじゃないの?

日本人には日本語で伝えてほしい

ここはどこですか?日本でしょう?

いくら英語が義務教育になって久しいとはいえ、横文字が苦手な人もまだまだたくさんいるのです。

たしかに、長い歴史の中で、外国語がだんだんと日本になじんで、ほとんど日本語になっているのもあります。

でも、今は非常時、ただでさえ皆が未知のウイルス感染症の恐怖で、不安になっているこの時期に、会見で政治家が、専門家の言葉をそのまま使って、わざわざ横文字を連発することはないでしょう?

たとえ、専門家に吹き込まれたとしても、なぜ、もっと誰もが理解しやすい日本語で国民に伝えようとしないのでしょうか?

ただ、会見時でも、報道番組でも、報道するときには必ず、次に、日本語で説明してくれるのがありがたいですが、それなら最初から、日本語だけで説明すればいいのにと思ったりします。

ここは日本なのに、私たちは日本人なのに、何かいつも説明するときには、外国の言葉が優先で、日本語はその次という姿勢が私には鼻につきます。

もともと日本にはそれに該当する言葉がなかったのかもしれませんが、ないなら作ればいいと思います。

外国の言葉が世界で普及していたとしても、意訳したっていいから、日本人になじむ言葉を生みだしてほしいです。

まあ、日本人はすぐ、外来語を受け入れるから、聞きなれない言葉でも時間とともに横文字も慣れてくるとは思いますが、

日本なのに、日本語で説明されないことに、私はいつもいら立ちを感じます。

初 “ソーシャル・デスタンシング”されました!

おとといの話です。

私は、100円ショップにマスクの材料を買いにいったのです。

何気なく並んだレジで、前に並んでいた女性が、さっとさらに前に出て、私から遠のいたのです。

その人がレジの前に進んだので、私は、さらに前に進むと、その人は、さらに前に出て、レジの前ではなく、レジのさらに向こう側に出て、レジ打ちを待っているのです。顔をこわばらせて。

そこで私はやっと気づきました。

「ああ、これがソーシャル・ディスタンス(感染予防のための人と人の距離を2メートル保つ)というものね」と。

気づいたけれど、何かとても不愉快な気持ちが残りました。

気付かなかったとはいえ、私がマナー違反したってわけ?って・・・。って。

狭い店内の、さらに狭いレジ空間で、「ソーシャル・ディスタンス」なんて言葉を思いだして、感染予防のために、きちんと距離を・2メートル空ける人がいったいどれだけいるのでしょうか?

だって、つい最近まで、そんなマナー存在していなかったのですから。

無意識にくっついてレジに並んでしまって、相手に不快な思いをさせてしまった無知で鈍感な私も悪いけれど、なんらか自分が「汚いモノ」で、「その汚い私から離れて自分を守るための行為」がその女性が、私から離れる行為だったとしたら、なんだかとても嫌な気持ちがしたのです。

お互いの感染予防のための距離なのだろうけど、いざ、相手が自分から離れて距離を取られてみると、なぜ、自分が汚いもの、汚染されたもの、自分がマナー違反なダメな人、と感じてしまい、嫌な気持ちになるのだろうと考えた時、

それはその行為につけられた「おなまえ」にあるのではないか?と感じました。

つまり、「ソーシャル・デスタンス」とか「社会的距離」って言葉とその言葉の意味が、つい最近、ニュースで最初に私の脳にはインプットされたんですが、その言葉じゃダメだってことです。

その言葉じゃ、今回みたいに、人に距離取られてみると、不快な気分になることもあるって実際の経験。

こらは、いけない、これはなんとかしなきゃって思いました。

レジに並ぶ時、無意識に前の人と間をあけず、いつものように近づいて並んでしまった私に対し、前の客が私からさらに前に出て離れる行為は、

実は、その人が、汚染されているかもしれない私から自分を守るために離れる行為であると同時に、

その人が感染しているかもしれない自分を、私にうつさないために、私から離れてくれた、と考えられたら、

私は嫌な気持ちはわかなかったと思うのに、どうしてそう思えなかったか?

それは、「ソーシャル・デスタンス」とか「社会的距離」という言葉には、「相手を思う気持ちが感じられないから」だと気づきました。

たとえ、単に「自分を守るためだけに人から離れる人」がいたとしても、その離れる行為を示す言葉に、「相手の命も、自分の命も守るため」って意味が込められていたら、お互いに、ギスギスした気分にはならないと思うのです。

命名!「思いやり間隔」

「ソーシャル・デスタンス」とか、「社会的距離」いった「お名前」では、その言葉によって、たとえ、人と人との間に距離を保てたとしても、何か両者に、ギスギスした気持ちが残ってしまいます。

実際に私は、「自分がまるで汚物のように感じ」不快な気持ちが残ってしまい、傷つきました。

だったらどういう言葉だったら、両者が気持ちよく距離を保てるのか?と考えました。

それで、人と人との間に一定の距離を保つことを「ソーシャル・デスタンス」ではなく、私は「思いやり間隔」と命名します。

この言葉だったら、相手が自分から離れても、「自分が汚いもの」には感じないです。

「ああ、私が気づかず近づいてしまったので、相手の人が、それに気づいて、自分と私を思いやって自ら私から離れて距離をとってくれたんだな」と思えます。

同じ行為でも、その行為につけられた名前で、ずいぶんと感じ方も変わると思うのです。

適当な日本語がなければ、いろいろと、造語すればいいのにと思います。

英語にはない、微妙な人の心を含んだ日本語で、言葉を作ればいいのです。

本日、私は、感染症予防のために、人と人とが一定の距離を保つ行為を、「ソーシャル・デスタンス」「ソーシャルデスタンシング」「社会的距離」なんて言い方ではなく、「思いやり間隔」って命名します。

これなら、人が自分から離れて距離をとっても、嫌な気持ちにならず、あったかい気持ちになれると思ったから。

「人と人との間の距離」って意味で「じんかんきょり(人間距離)」というのも考えたんですが、人間距離って読んじゃうからダメだなぁと。

明日、スーパーに行く時には、自分で命名した行為の名前、「思いやり間隔」意識しながら、レジに並びます。

これなら、しても、されても、いつも穏やかな気持ちになれそうです。

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自己紹介

lily

脳脊髄液減少症のサバイバーです。私が生きているうちに「原因不明」「異常なし」「精神的なもの」とされたり、何かすでに別の病名がついている人たちの中に、脳脊髄液減少症が隠れている可能性について、広く社会に伝えたいと思っています。

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

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