2020/07/04

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起立性調節障害をも引き起こす脳脊髄液減少症
これはあくまで患者の私の経験から言うことですが、脳脊髄液が漏れて減って、脳脊髄液減少症になると、「起立性調節障害」と診断されたとしても、少しもおかしくないと思います。
なぜなら、血圧がうまく調節できなくなるからです。
私の場合ですが、あまりにも上の血圧が低く100に届かない時がありました。
しかし、家に血圧計がなく、血圧を測る習慣のない脳脊髄液減少症患者では、そのことにも気づいていないかもしれません。
脳脊髄液減少症と診断される前、朝、なかなか起き上がれなかったのです。
体がだるいのと、動かないのとで、つらくてつらくて起き上がれないのです。
なんとか起きて、家人を送り出すと、そのまま倒れこむように布団に入り眠り込んでいました。
当時、自分が脳脊髄液が漏れているなんて気づけませんでしたし、医師にも気づける時代ではありませんでした。
このことから、脳脊髄液減少症になると、「異常なし」「気のせい」「精神的なもの」と切り捨てられる人がいる一方で、
受診したその医師の専門分野によって、脳脊髄液減少症のさまざまな身体症状や自律神経の症状、神経症状、精神症状に、「病名」がつけられてしまうことも、ありえると私は思っています。
たとえば、脳脊髄液減少症のその人のさまざまな症状のうち、主訴が、たまたま「ある疾患の診断基準を満たしてしまう。」ことだって、脳脊髄液減少症ではありうると思うのです。
たとえば、内科医とかなら、自律神経失調症とか、起立性調節障害、
整形外科医なら、頚椎症性脊髄症とか、むち打ち症とか、神経内科医なら重症筋無力症とか、精神科医や心療内科医ならうつ病とか、統合失調症とか、心因反応とか、不安神経症とか、適応障害とか、交通事故後のPTSDとか、小児科医なら「起立性調節障害」とか・・・。
産婦人科医なら、PMSとか、月経困難症とか、
脳外科医なら、緊張性頭痛とか、群発頭痛とか、
いわゆる「天気痛」とか「気象病」とか、
眼科医なら「ドライアイ」とか「飛蚊症」とか
耳鼻科医なら、アレルギー性鼻炎とか、良性発作性頭位めまい症とか「原因不明の味覚障害」とか、
線維筋痛症の専門医なら、「線維筋痛症」
慢性疲労症候群を専門にしている医師なら「慢性疲労症候群・筋痛性脳脊髄炎」
泌尿器科医なら、UUI(切迫性尿失禁)とか、過活動膀胱とか、
循環器内科医ならPOTS(体位性頻脈症候群)とかです。
それらの病名がついてもおかしくない症状が脳脊髄液減少症で出るからです。
その一人の人間に起こっている症状ごとに、専門医が診て、たまたま何かの「診断基準」にまで当てはまってしまうような程度の症状があれば、実は大元は脳脊髄液減少症が原因で起こっている症状なのに、原因があって、結果としてのその症状に「病名」が、医師によってつけられてしまうこともあると私は思っています。
それは、すべて、私自身の体験した症状と、医師の「脳脊髄液減少症の見逃し」と「無関心」そしてそれによって起こった結果と、ブラッドパッチ後の経過からそう思います。
脳脊髄液減少症の治療や検査を繰り返す中え、症状が出たり消えたり、悪化したり改善したりを繰り返しながらも、治療を続けることで、気づけば少しずつ症状が消えていった経験があり、それによって、結果的に、あのいろいろな病名をつけられてもおかしくない症状は、全部、大元は同じ「脳脊髄液減少症」が原因だったのだ、と気づいたのです。
これらの経験から、たとえば、子供が朝起きられなくて学校へ行けなくて「不登校」とされているとか、若い人が、朝起きられなくて遅刻を繰り返し、「適応障害・社会不適応・ひきこもり」とされている人たちの中に、脳脊髄液減少症が見逃されている人たちがいると考えています。
先日、テレビでストレスを感じることで脳に炎症が起こることがわかってきたと言っているのを聞いて、以前、「慢性疲労症候群の患者の脳では炎症が起こっていた。」と言っているのを思い出しましたが、それなら、「脳脊髄液が漏れて減るということは、脳にとって、ものすごいストレスなはずで、そのストレスが原因で脳に炎症が起こっているのではないか?」とも感じます。
だとしたら、脳に炎症反応が写ったからといって、「筋痛性脳脊髄炎・慢性疲労症状群」が起こるとは限らず、もしかして、脳脊髄液減少症でも脳に炎症が起こり、それが、他の病名と誤解されて、脳脊髄液減少症自体は見逃されてしまっている危険性もあるのではないか?と感じます。
病名は本来、治療のスタートにつけられるべきものだと思いますが、症状につけられた病名としては間違っていないとしても、それが大元の「脳脊髄液減少症の一部である。」という考えを持たないで、まったく別の病気として診るのは、
患者の私としては、疑問を感じます。
たしかに、同じ人間に、全く別の原因で、別の疾患が重なることはあると思います。
しかし、脳脊髄液減少症の場合、例えば、脳脊髄液減少症を「架空の木」に例えると、
根っこも、幹も、葉っぱも花も実も、みんな「脳脊髄液減少症」なのに、根っこと、幹と、葉っぱと花と実を、それぞれの専門家が、それぞれの視点だけで、それぞれの特定の時期(患者が症状を訴えた時期)に特定の場所(患者が症状を特に訴える場所)についてだけ診て、それについて、当てはまる病名がなければ、「精神的なもの」「異常なし」とし、「診断基準に当てはまったり、その疾患の検査にひっかかる項目があれば、その病名」が付く可能性が高いと思うのです。
これらのことから、脳脊髄液減少症が原因での、自律神経の異常による症状で、「起立性調節障害」と診断される可能性は高いと思います。
脳脊髄液減少症になると、自律神経がうまく機能しないので、寝ている最中の急な動悸や、安静時の頻脈、日中のあまりの低血圧と、徐脈、呼吸困難、暑くても汗がでない、など、実にさまざまな症状がでるので、
起立性調節障害の検査をしても、「起立性調節障害」の診断基準に当てはまってしまうと思います。
もし、内科の先生が、脳脊髄液減少症が原因で、起立性調節障害状態になることを知らなければ、脳脊髄液減少症の診断も治療も遅れ、脳脊髄液減少症の症状がさらに重症化し、難治性になる危険があると思います。
木を見て森を見ず
ある森の中の一本の木が病気になって、その木ごとに症状を診て病名をつけて治療しようとしても、
その森全体で起こっている「大元の原因」にはなかなか気づけないかもしれません。
森全体で静かに起こっていた土壌汚染とか、近くの工場からの有毒物質が空気汚染していて次第に森全体を病ませていたとか、地球温暖化での影響とか、そういう「広い視点」での視野でなけば気づけないことってあると思います。
同じように人間でも、人体をあまりにも細分化した医療現場では、「症状」という個別の「木」ばかりに関心を持たれ、病名をつけられ、
「人体」という「森」で静かに潜んでいる「原因」に気づけない恐れがあると思うのです。
専門医はそれぞれお自分の専門分野の症状にしか関心を持たず、一人の人間(森)に起こっている症状(木)にばかり目がいきがちです。
そしてその自分が専門で得意分野の症状にだけ病名をつけ、それで患者と自分と家族を納得させてしまいがちではないでしょうか?
症状ごとに、病名がつけられてしまいうと、結果的に真犯人「脳脊髄液減少症」を見逃し、あるいは、かくまい、あるいは、逮捕(診断治療)が遅れてしまうと思うのです。
真犯人は泳がすべきではないと思います。
事件も初期捜査が遅れるとどんどん解決が遅れ時には迷宮化してしまいますが、脳脊髄液減少症も、早期発見早期治療が遅れると、どんどんと難治化していくと思います。
「症状」ごとに別の医師が関心を持って、診るのではなく、総合的にその「人」に起こっていることを診る医師も必要だと思います。
もちろん、整形外科医、神経内科医、精神科医、眼科医など、複数の診療科が脳脊髄液減少症のチーム医療としてかかわるのは大歓迎です。
しかし、症状ごとに、医師が病名をつけてそれぞれが、目薬出したり、痛み止め出したり、と他の医師と連携なく診療するのは、かえって脳脊髄液減少症をわかりにくくしてしまうと思います。
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