2020/07/04
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脳脊髄液減少症は誰にでも起こる怪我
脳脊髄液漏れを長く見逃され、呼吸困難や歩行障害、手足が動かないなどの重症化した患者の中には「難病」支援を望む人もいるようですが、私は、呼吸困難も歩行障害も手足の動きにくさもすべて体験しましたが、だからといって脳脊髄液漏れを見逃されこじらせた脳脊髄液減少症の症状が「難病」だとは思いません。
脳脊髄液減少症は今でもまだまだ医師にも認知度が低く、患者の訴えに応じて検査し治して回復させる重要性の認識も低く、患者の訴えは軽視され、それによって、患者が重症化することにより、そこからの回復の困難さは、実際に私は経験しています。
けれど、だからといって、脳脊髄液減少症のこじらせた治りにくい症状が「難病」とは私は思いません。
「髄液漏れ」は病気というより怪我だと思う
ころんで起こる髄液漏れは、難病ですか?
難病ではないでしょう?
野球や、サッカーやラグビーやドッチボールなど、スポーツでボールが首や体に当たったり、他の選手と激突したりして起こる髄液漏れによる脳脊髄液減少症の症状は、難病ですか?難病ではないと思うでしょう?スポーツで怪我したり、誰かからの暴力を受けてから、しばらくして体調不良の症状が出て、そこから実はその症状が髄液漏れだとわかるまでに時間がかかってしまって症状が悪化しても、それが難病ですか?
難病ではないでしょう?
スポーツのケガでの早期発見と早期治療が遅れて何年も髄液漏れが放置されてこじらせて、いろいろな症状が出てきて
そこからやっと髄液漏れに気づいて治療を受けてもなかなか治らないからといって、それが難病ですか?
難病ではないでしょう?
イジメでの暴力や、椅子引きで起こった髄液漏れは、難病ですか?難病ではないでしょう?
私は、ブラッドパッチしてもなかなか症状が治らないのは、早期発見早期治療が遅れたために、自律神経やらホルモン状態やらいろいろなところに支障が出て、全体的にバランスが崩れて、正常なところから遠く離れてしまっていたまま何年も放置されているために、なかなか症状が元に改善しないのと、
小さな漏れがまだ見逃されて、治療されないまま漏れ続けているために、そうした症状がまだ続いている例とあるのではないかと想像しています。
すべて、私自身の経験に基づく想像にすぎませんが・・・。
一度や二度のブラッドパッチ治療で症状が治らないからといって、「ブラッドパッチ治療」が効果がないとか、治療医を責めたり、症状に原因不明の病名を付けられることで納得し様としたり、治らないこじらせた脳脊髄液減少症を「難病」扱いすることやしてもらうことで納得しようとする前に、
現在の医学ではなかなか見つけにくい髄液漏れが今もあるから、症状が消えないのではないか?となぜ考え、根気よく漏れがないかを調べ続け治療する勇気がある医師や患者があまりいないのか?と私は思います。
脳脊髄液減少症は治ります。
ただ、症状と髄液漏れがつながること自体に気づく医師と患者が少なすぎる上、
たとえ気づけても、そこから先の診断治療と、再発時のさらなる診断治療が、あまりにもハードルが高すぎて、なかなか完治に至れないことが「難しい」怪我ではあります。
「病気」だとは思っていないのですが、私は一度こじらすと、あるいは、髄液漏れがあちこち複数あって、しかも漏れが少なく画像に映りにくく、さらに頭痛がなく、不定愁訴が主体の脳脊髄液漏れ患者は、漏れの場所を発見治療するのが「難しい」とは思いますが、「難病」なんかとは思いません。
NHKEテレで過去に「難病」番組で「脳脊髄液減少症」を取り上げたことは、遺憾に感じました。
まさしく誤解だと感じました。
脳脊髄液減少症患者さんは自分の状態を「難病」のようだと感じているから出演されたのでしょうが、それなら私自身も状態は症状はすごいし、それなのに普通の医師には相手にされないし、普通と比べてその完治までの困難さは一見「難病のようだ。」とは確かに思います。
けれど、決して、脳脊髄液減少症が、治療法も原因もわからずごくまれな人にしかかからない「難病」だとは全く思いませんし、一度も「難病」という言葉が自分にあてはめようとして考えたこともありません。
ただ、多くの医師に脳脊髄液減少症の患者の現実を知ってわかってもらい、支援してもらうことが、他の普通の病気やケガに比べて地域によっては「難病並み」に非常に困難だとは感じています。