2020/07/04
私がお気に入りの雑誌、「からだにいいこと」2017年12月号が発売されました。
そこに、毎日気分よく過ごせる「ごきげん脳」の作り方という記事があります。
ごきげんに生きることが下手だと思う方は、ぜひ記事を参考にしてみてください。
私もその記事を読んでみましたが、ちょっと、私の考え方とは違うかも?と思う部分もありました。
そもそも、何も悪いことなどしていないのに、相手の不注意で、交通事故に巻き込まれ、こんな普通の怪我や病気のように普通の病院では診てももらえない、門前払いを受けるような、脳脊髄液減少症になってしまって、ごきげんに生きられるわけなんてないと思いがちですが、そうでもないのです。
たしかに、なんて私って不幸なんだろう?と嘆き悲しみたい時期もありました。
こんなことを言ってはなんですが、まだだれの目にも明らかな、、目に見える障害やケガの方が、周りの人たちや医師たちにやさしく支えてもらえたのではないか?きちんと正当な補償もしてもらえたのではないか?
いくら症状を訴えても信じてもらえず、そのことで誤解され、そういう誤解に何年もさらされて、人間不信やこんなに深い心の傷まで負わなくてもすんだのではないか?
今もなお、他の怪我後遺症と違って、地元では医療機関の無理解に苦しむことなどなかったのではないか?と考えることもあります。
もし、あの時、事故にあっていなかったら?
もし、もっとわかりやすい怪我だったら?
もし、もっと怪我の後遺症が正当に保障されていたら?
もし、もし、もし、はいつも考えます。
被害者である私には、公的な人たちは誰も味方してくれないのに、
加害者ばかりに損害保険会社やそのおかかえ弁護士2名、地方裁判所の裁判官、脳脊髄液減少症の存在を否定する当時大勢いた医師たちが、こぞって、加害者をかばい、被害者である私をいじめぬいたのですから、ごきげんになんて生きろ!と言われても、脳脊髄液減少症患者が難しいのは、私が一番よくわかっています。
けれど、そんな私でも、今ごきげんに生きています。
人はどんな苦しみがあったとしても、いつかまた、ごきげんに生きられるのだと今なら信じられます。
たしかに、“ごきげん”になんて生きられない。消えてしまいたいほど、苦しい時期もあります。
それが、精神的な苦しみであったり、身体的な苦しみであったり、いろいろです。
つい最近も、そういう時期も実際にありました。
けれど、苦しみもいつかやわらぐ時もくるのです。
いつだって、ごきげんに生きるチャンスはまためぐってくるのです。
同じことでも、同じことが自分に起こっていても、視点を変えると、ごきげんに生きられると思うのです。
脳脊髄液減少症になると、脳自体が具合いが悪くなるため、そもそもポジティブに考える思考さえ奪われてしまうことがあります。
だから、脳脊髄液減少症のいろいろな意味での過酷さを、脳脊髄液減少症の経験もない人から、いくら「前向きに生きろ」なんて言われても、前向きになんてとてもなれないし、ごきげん生きるなんてできっこない、と思うのです。
でも、そう思う自分さえ、自分がありのままに受け止めて、自分だけは自分に起こった症状が、気のせいでもなければ、自分が作り出した幻でもなければ、仮病でもなく、なまけでも、なくさぼりでもなく、大げさでもなく、本当につらいんだよって、わかっていればいいと思います。
それに、こうして、同じ患者なら、あなたに起こった苦しみが想像できるから、世界のどこかに同じ苦しみを経験して克服して今、ごきげんに生きている人がいるって、思えるだけでも、少し気持ちが楽になれると思うのです。
ごきげんに生きられるようになると、たとえどんな試練がきても、乗り越えられる自信もついてきます。
大丈夫、大丈夫。
世の中、理解のない悪い人ばかりじゃないから・・・。みんな、人生が思うようにすべてうまくいく人なんていないはずだし、苦労がない人なんていないんだから・・・。
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「からだにいいこと11月号」で、このブログが紹介されました(昨年の2016年11月号のこと)