2020/07/04

横須賀で50代男性のゴミ屋敷が、行政による、行政代執行でゴミの撤去作業を行ったとのニュースを見ました。
おそらく、首都圏だけのニュースで、地方には放送されないニュースだと思いますが、報道されないだけで、全国のあちこちで同じようなことは起こっているものだと私は推測します。
この手のニュースを見るたび、その人の年齢が高齢者だと「認知症の可能性」を疑い、地域の社会福祉協議会や、その他の福祉関係者がかかわったり、ヘルパーや民生委員が少しずつでも粘り強く接触し、「支援が必要な人」との認識をもたれるのですが、50代だと、そうはいかないようです。
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ゴミ屋敷の行政による片づけ
以下は、「ゴゴスマ」という番組内容からです。
男性は自宅敷地内外にゴミを集め、注意されると「自分で片づける。」と言い張り、
横須賀市は2018年4月、「横須賀市不良な生活環境の解消及び発生の防止を図るための条例」を施行し、
5月24日、第一回 横須賀市生活環境保全審議会を開催したそうです。
2018年8月11日の東京新聞によると、7月23日に、市の職員が「条例の基づいて氏名を公表する」と伝えるも、男性に変化なしで、8月10日に男性の氏名と住所を公表したそうです。
そして、今日、2018年8月28日、行政代執行により市の職員や警察官ら20人以上が、男性が集めたゴミの撤去作業を行ったそうです。
代執行の費用は概算で60万円だそうです。
ここまで、聞いて、私は「ああ、ただ強制的に片づけても、その男性を孤立させ、誰もかかわらず、その人の抱えた問題点の支援がなにもなされないままなら、男性はまた同じことを繰り返し根本解決にはならないだろうな。」と感じました。
ゴミ屋敷問題の根本解決は「治療?」
「片づけてください。」と言われて片づけられるものなら、本人も楽でしょうが、それができないのでは?それができない事情がこの人の脳の中で起こっているのでは?となぜ気づけないのでしょうか?
気づけていても、現在の法律では行政はなすすべがないのではないでしょうか?
一連の報道を見ていて、自分の過去と重なりました。
脳脊髄液漏れという原因があるのに、それに対しては誰も助けてくれず、対症療法だけを受けてきたので、根本解決にならなかった私の人生と似ていると感じるからです。
他人は、その人の外見からはわからない、内部の、特に脳の異変には気づけないから、行動だけを注意したり説得したりします。
それは、生まれつきの「発達障害の人」が周囲の人から叱られたり、説教されたりしても、どうしてもできず、苦しんだ歴史とも似ていると思います。
家の内外や公共道路にまで「ゴミを集めて置いてしまう」状態は、あきらかに何らかの問題が、その人の中にあるはずです。
ゴミ屋敷の住人の、片づけられない、その根本原因が何なのか?潜在した脳の疾患なのか?それとも生まれつきの障害なのか?それとも、脳脊髄液減少症による高次脳機能障害で、正常な行動や社会生活がとれなくなっているのか?そこの視点が、この単なる対症療法的な行政代執行からは感じられません。
ただ、目の前のゴミを撤去することで、周辺住民の迷惑を解消するだけでなく、それと同時に、ゴミを集めて周囲に迷惑をかけてしまう人への「治療的アプローチ」もセットで行政ができることが法律に盛り込まれなければ根本解決には至れず、おそらく同じことを繰り返すと私は思います。
たとえば、現在では万引き常習者やDV加害者やストーカー加害者を、逮捕したり、説教したり、罰するだけでは、根本解決にならず、同じ犯罪を繰り返させてしまうことに気づかれはじめ、民間による治療のプログラムの重要性が理解されはじめました。
しかし、国や行政を挙げて、これらのプログラムが誰にでももれなく受けられる状況にはなっていないのではないでしょうか?
ゴミ屋敷問題も、行政代執行で「片づける」ことで周囲の迷惑を一時的に何とかする、だけではなく、その人の「片づけられない」根本原因にさまざまな医療福祉のスタッフがかかわり、治療につなげるような仕組みが必要だと私は感じます。
片づけられなくて一番困り、苦しんでいるのは、もしかしたら、本人かもしれないのですから。
本人には「病識」がなく、あるいは、他人に指摘されればされるほど、易怒性により「困っていない。」と言い張るかもしれません。
でも、ゴミ屋敷の住人の中には、他人にはそういう態度をとっていても、実はひそかに自分が一番どうしたら片づけられるのか、できなくて困っている人も絶対いると思うのです。
片づけられない人の中に、生まれつき、あるいは後天的に脳の機能障害をきたしている人が、私は必ずいると思っています。
その辺の支援なくして、ゴミ屋敷問題の解決はないと思います。
今回の例では長年「ごみ屋敷対策条例」の制定に取り組んできた横須賀市議がテレビに出ていましたが、確かに「条例」の制定は、周辺住民は救うものかもしれませんが、ゴミ屋敷の本人を救うものではなく、片手落ちだと思います。
明日、保健所の職員が片づけられたゴミ屋敷の住人の「メンタルケア」「カウンセリング」に訪れ、男性と接見するとのことですが、果たして、「脳の検査」とか「診断」「治療」につながるかどうかはわかりません。
私としては、自分の経験からも「メンタルケア」「カウンセリング」のレベルではなく、専門医の「治療」と福祉の連日の支援の必要性があると感じます。
横須賀市の市議会議員も、行政から相談された医師も保健師もカウンセラーも、一見見た目普通でただの、だらしがない困った人に見える人たちの中に、実は「脳脊髄液漏れ」で「片づけられない」状態になっている人たちがいる可能性など、おそらく想像もしていないことでしょう。
だから、単に「片づけられない人」に「説得する」とか、そういう問題ではない気がします。
「がん」の患者さんや、「心臓病」の患者さんに、いくら熱心に根気強く「片づけましょう」説得したところで、症状で「片づけられない」ように、できないことはできないと思います。
同じように、うまれつき片づけ脳が働きにくい「発達障害の人たち」にも、いくら「片づけなさい!」と説教したところで何も解決にはつながらないでしょう。
こうして、他の疾患や病名に置き換えてみると、理解できることも、「病名がついていない」人になると、同じ「片づけられない」という現象でもとたんに「支援の枠」からはずれ「迷惑人」となってしまうのです。
それが、見た目どこも悪くなさそうで、普通にしゃべり、何の病名もついていない人の場合は、いくら「片づけてください。」と説得したところで、「そのうちそのうち」で片づけられないで、「困った人、迷惑な人」で、行政代執行で片づけて終わってしまうのでしょう。
でも、それは根本解決にはならないのです。
そのことが、私はわが身のことのように想像できます。