2020/07/04

昨日は、あの、東日本大震災から5年目の3月11日でした。
もう5年もたってしまったと思うと同時に、いろいろあったこの5年を振り返り、感無量です。
震災から5年たった翌日の、今日。そして明日、2016年3月12日(土)と13日(日)第15回脳脊髄液減少症研究会が行われます。
15回というと、もう15年間、先生方が集まって、情報交換をされていたってことでしょうか?もしそうなら、今から15年前と言えば、2001年ですから、そのころはまだ、「脳脊髄液が衝撃で漏れる?そんなことあるはずがない。」ってのが医師の間で
常識だった時代でしょう。
そんな時代に脳脊髄液減少症に興味を持って、情報交換しようとして「研究会」に参加される医師の先生方はごくわずかだったことでしょう。
しかも、その後続く、医学界での、激しいいじめにもにた、脳脊髄液減少症バッシングに耐え、信念を曲げず、全国や世界から殺到する、めんどうでわがままな患者たちによる肉体的精神的極度の疲労もさぞかしあったでしょう。
それにも耐え、今年の、脳脊髄液漏出症の治療法であるブラッドパッチ治療の健康保険適用に至るまで、肉体的にも精神的にもまで持ってきてくださったと本当に感謝の念でいっぱいです。
しかし、その脳脊髄液減少症研究に取り組む医師たちを応援し、闘病の最中でも、脳脊髄液減少症の認知度UPと、治療法の健康保険適用に動き続け、国や行政やマスコミに訴え続けてくれた、患者さんたち、患者のご家族たちがいたのも事実です。
全体のごく一部の人たちの勇気ある尊い行動が、さらに多くの人たちを助けてきたのです。
震災の時ならずともめだたない日常の中にも、人が人を助けようとする尊い行動は存在するのです。
今後マスコミの方がたが脳脊髄液減少症を世間一般に伝えようとする時、ただ脳脊髄液減少症という病態の存在とその症状と、その治療法を伝えるだけでなく、脳脊髄液減少症をめぐり過去にどんなことがあったのか?を伝えてほしいと思います。
脳脊髄液減少症に早くから気づいて研究し、患者を救おうとしていた医師たちが、それを批判する医師たちから、
どんな仕打ちにあっていたのか?も、自分たちを助けようとしている医師が批判されているのを知った、一部の患者や家族たちが、どう動きはじめたのか?も、どんな行動をし続けたのか?も伝えてほしいのです。
さらに、脳脊髄液減少症と診断される前の患者たちは、医師にどう誤診されていたのか?も、周囲からどう、誤解されていたのか?も、症状に加えて、何がつらかったのか?や、脳脊髄液減少症とわかってからも、闘病中症状が悪化した時やどうしていたのか?も。
近くで診てくれる医師はいたのか?
脳脊髄液減少症と言う病名を出して、どういう反応をされたのか?
その辺のところを、もっと、詳しく当事者たちから取材し、脳脊髄液減少症をめぐって、今まで何があったのか?を正確に報道し伝えてほしいと私は願っています。