2020/07/04

私は脳脊髄液減少症サバイバーです。
がんサバイバーは、よくマスコミに取り上げられていますが、脳脊髄液減少症サバイバーはまったく取り上げられません。
がんサバイバーはよくNHKで取り上げられます。
脳脊髄液減少症サバイバーはがんサバイバーとは大きな違いがあります。
私は世界中の医師が、脳脊髄液減少症の存在にまだ気づいていないころ発症し、症状に耐えて生き延びてきたからです。
いままで生き延びられたのなら、しなない病なんでしょう?と言われそうですが、そんなことはありません。
高次脳機能障害とか、突然危険なところで倒れるなどして何度か危険な目にもあいました。
そのことは、ここにいつ書けるかわかりませんし、書かないかもしれません。
特定の人だけが読めるような設定でここに書くかもしれないし、自分の親族にだけはわかってもらいたいから、死ぬ前に、
その当時の私の身に起こっていたことや、思いを自費で手記にまとめるかもしれません。
とにかく、今伝えたいことは、脳脊髄液減少症がさまざま症状によって、二次的に命が奪われない疾患であることだけは
この際言っておきます。
脳脊髄液減少症の存在に気づき始めた医師が2000年ごろ現れても、多くの医師が長い間、その存在を疑い、患者を救済しようとしませんでした。
そのせいで、研究はなかなか進まず、やっとできた診断基準もとても厳しいもので、多くの患者を救えるようなものではありませんでした。
脳脊髄液減少症は、健康診断や人間ドックの検査でもわかません。
がん検診のように、脳脊髄液減少症検診を自治体や企業が率先して声をかけ、行ってくれることもありません。
がんが、本人が自覚症状がないうちに、医師に「がん」を発見してもらえるようなことは脳脊髄液減少症にはありません。
むしろ、自覚症状があるのに、検査で異常がないからと帰されるのです。脳脊髄液減少症の検査をしていないのだから、いくら詳しい検査をしても、人間ドックを受けたとしても、何も引っかからないのは当たり前なのに。
脳脊髄液減少症は、がんと同じく、どんな年齢であっても、若くても起こるのに、社会の認知度と関心は低く、認知度は低いままです。
がん患者のように、病院が患者同士が集まる場を提供して、患者会の活動を支援してくれるようなこともありません。
がんのように、病院内の相談室で、いろいろな相談に乗ってくれるような、脳脊髄液減少症に詳しい社会福祉士さんもいません。がんのように、症状がつらいとき、健康保険適用で入院させて症状の緩和ケアを行ってくれるような病院が、
患者の身近にありません。
がんのように、地域の拠点病院が脳脊髄液減少症にはありません。
がんのように、早期発見早期治療に、国を挙げて取り組んでくれているわけではありません。
がんのように、精神科や内科、外科など多くの科の医師やリハビリ医、理学療法士、作業療法士が、チーム医療を提供してくれることが、脳脊髄液減少症患者にはほとんどありません。
がんのように、全国どこでもある程度最低限の相談ができる体制が、脳脊髄液減少症にはあるわけではありません。
がんのように、多くのマスコミが脳脊髄液減少症を取り上げて周知しているわけではありません。
がんのように、がん保険のような、脳脊髄液減少症患者の経済的負担を支えるような仕組みもありません。
むしろ、治療が健康保険適用になる前は、脳脊髄液減少症の検査も治療もすべて自費でした。
すなわち自費の治療に、高額療養費助成制度も、かけていた生命保険も全く役にたたないのです。
がんサバイバーと脳脊髄液減少症サバイバーにはそのサバイバーの意味に、大きな違いがあります。
生き延びるために、患者がおかれた環境が全く違うのです。
たとえ病名や深刻さが違っても、患者を取り巻く環境がどのくらい整備されているかどのくらい整備されていないか?は
とても大きな差となります。
患者が社会や家族や医師に支えられているのと、誰にも症状を理解されず、支えられず、怠け者、症状はあんたの気持ちのもちよう、気の病などと、言われ続けるのと、どちらが過酷なんでしょうか?
たとえ、病自体が患者の命を奪わないものであったとしても、症状を訴えても医師にも相手にもされず、
家族にも支えてもらえず、症状の深刻さをわかってもらえず、誰にも理解されず、地域の医師にもいやみを言われ続け、
症状と精神的苦痛と周囲の無理解に耐えかねて、絶望して、自ら命を絶ってしまう脳脊髄液減少症患者がいるのを、私は想像しています。
脳脊髄液減少症のわかりにくい過酷さを、私は少しずつでも伝えていきたいと思っています。