2020/07/04
朝日新聞「患者を生きる」の脳脊髄液減少症の記事を読んでの
私の感想や思いの続きです。
患者を生きる ①
患者を生きる ②
患者を生きる ③
患者を生きる ④
患者を生きる ⑤
まず、
今回の記事でのケースは、
①医師にもすぐわかるような異常が画像で映った。
②それにより早い段階から医師に患者として認められ適切に対応してもらえた。
③それによって早期に検査診断され、病名がついた。
④病名がついたことで、家族にも理解され暖かく支援された。
⑤早期発見早期治療で回復できた。
⑥加害者がいなかった。
という、
あまりにも幸運すぎるという意味でレアケースだと思いました。
これがすべての脳脊髄液減少症患者の現状だと
読者に思われては心外だと私は思いました。
次に、
加害者がいて脳脊髄液減少症になる場合と、
加害者がいないで、自分で発症した場合とでは、
患者が受ける苦しみが全く違ってくるという現実が、
まるで伝えられていないという点が残念だったということです。
脳脊髄液減少症の苦しみは、
その症状だけでなく、
家族の無理解、非協力、
医師の無理解、
社会の無理解、
地域の医療関係者の無理解と無支援、
地域の自治体の無関心、
地域の教育関係者の無関心、
損害保険会社の無理解、
裁判官の無理解など、
本来、適切に救われるべき被害者が、
助けてもらいたいとすがった人たちからさえ足蹴にされるようなことが
現実に起こっているのです。
その仕打ちを受け続けるのは、
多くは、自分で発症した人たちではなく、
自分には何の責任もないような、被害者としての脳脊髄液減少症患者だと
私は思うし、
その患者たちの今まで置かれてきた筆舌に尽くしがたい、困難と、悲しみと絶望と
経済的困難と、治療費の問題点など、
そういったことに一切触れないで、
「脳脊髄液減少症」のことを語ることなどできないと、
私は思うのです。
しかも、今回の朝日新聞「患者を生きる」の記事のように、
「くしゃみでも起こる。」という記事が出ると、
どうなるか?
普通の人たちは、想像もできないと思います。
私は自分の経験からもずっと以前から、
自分が脳脊髄液減少症だったと気づいた時点から、
「脳脊髄液漏れは交通事故で起きるし、お産のあとに症状が悪化するし、
人体に衝撃が加わることなら、日常生活の転倒や暴力などでも髄液漏れは起こり得る。」と思っていました。
しかし、私が自分が脳脊髄液減少症だと気づいてから何年もの間、
医学界で
「脳脊髄液漏れなんてめったに起こらない。起こったとしてもきわめてまれ」だという
否定的考えの医師が大半を占め、
脳脊髄液減少症の治療に取り組んでいる医師たちを
批判し続けていました。
裁判では、ことごとく、被害者の言い分が認められず、加害者側ばかりが勝訴していました。
そんな多くの被害者の立場で私は、
今回の朝日新聞「患者を生きる」を読むと、大きな問題点に気づきました。
くしゃみでも起こるということを記事にしていただけたことで、
脳脊髄液減少症が交通事故などではなく、転倒や転落、暴力など、
人体に激しい衝撃が加わることで漏れることもある、と、社会に気づかせる意味では、
画期的な記事だとは思いました。
けれど、
交通事故被害者の立場で読めば、
それは、損害保険会社側に、裁判の場で、反撃の材料を与える結果にもなりかねません。
交通事故ですぐさま症状が発症し、すぐ、脳脊髄液漏れだと診断されれば別ですが、
もし、
交通事故後、見た目軽症で示談してしまい、
その後じわじわとだるさ、光がまぶしい、音がうるさく感じるなど、奇妙なさまざまな症状が出てきて、
本人もそれが交通事故が原因だと全く気づけず、
医師をあちこちめぐりはじめます。
そして、
首が痛ければ、整形外科、
めまいが出れば、耳鼻科、
目がつらければ、眼科、
手足がしびれば、神経内科、
下痢や便秘が続けば、内科、
安静にしているのに突然胸が締め付けられるように苦しくなれば、循環器内科、
物忘れが激しくなれば、認知症を診る、神経内科や精神科
味覚障害がでれば、耳鼻咽喉科
その他、むせやすい嚥下障害、
人に会いたくなくなりやる気もなくなる、不眠、対人恐怖症のようなうつ病のような症状や、
強迫神経症のような、被害妄想のような病的な精神状態になれば、精神科、
治りたくて、元の自分にもどりたくて、
考えられる限りの科の医師に相談に行くでしょう。
しかし、どんな検査をしても異常は見つからず、
訴えの多さとくどさに、
医師は閉口しはじめ、
精神科に回そうとするでしょう。
精神科では、それなりの病名がつき、薬が処方されるでしょう。
そして、ますます、患者本人も、医師も、
それらの症状の大元に、脳脊髄液減少症が存在することに、
気づけなくなっていくのです。
ある日、患者自身が、脳脊髄液減少症の情報を得て、
自分の長年の苦しみはこれではないか?と気づいて、
検査診断を受けて髄液漏れがあったとわかった時、
すでに、発症から何年もたっていたとしましょう。
やっとあの時のあの事故のあとから症状がではじめたことに気づき、
「あの交通事故で脳脊髄液漏れを起こしたんだ。」とやっと被害者本人が気づいた時、
自体はそう簡単には運ばなくなっていきます。
今までの発症からの初診からからのカルテなど証拠を自分で集めなければなりません。
しかし、
すでに髄液漏れの症状によって、
行動力も思考力も、弁護士さんとのコミュニケーション力も、交渉力も
奪われていて、
家族の支援もなかなか受けられない状況にあると、
患者本人の力だけで、自力で、自分に起こったことを認めてもらい、
適切な補償を受けることさえ難しくなります。
そして、
意を決して、自分の理不尽さを自分でなんとかしたいと
力を振り絞って
やっと加害者を裁判で訴えても、
加害者側の弁護士や、
損害保険会社側の弁護士は、こう主張することでしょう。
「くしゃみでも髄液漏れは発症するといいいますから、
交通事故前、あるいは事故後に、
あなた自身が不注意で、転倒やくしゃみで、脳脊髄液漏れを起こしていて、
症状が出たのが、交通事故後だったのではないですか?
交通事故で発症したという証拠があなたにありますか?」と・・・。
症状が脳脊髄液減少症だったと気づくのが遅れたのは、
その被害者のせいではないのに、
医師にも気づかれなかったからなのに、
発見が遅れたせいで、
適切な補償を受ける機会さえ、奪われてしまう可能性もあると思います。
加害者側に、「交通事故ではなく、くしゃみでも発症する。」という記事内容が
今後、自分たちに都合がいいように利用されかねず、
それがさらに交通事故での脳脊髄液減少症患者である被害者を苦しめる原因になりはしないかと危惧します。
テレビや新聞などの脳脊髄液減少症報道に、
問題点を感じとれるのは、
私のように、さまざまな理不尽さを実際に経験した患者だけかもしれません。
同じ脳脊髄液減少症患者でも、理不尽さがない患者さんがいますが、
そういう人たちは、
最近のテレビ報道や、新聞報道を見ても、
何も違和感は感じないようです。
私がおかしいのでしょうか?
それとも、
私と同じように、最近の脳脊髄液減少症報道に違和感を感じとる人は
他にもいるのでしょうか?
今回の朝日新聞「患者を生きる」の記事は、
一見、身近なことで誰にでも起こりうるのが脳脊髄液減少症なんだよ、と伝えてくれたのと同時に、
それは、加害者側に、
言い逃れを与え、
それによって、交通事故被害者をさらに、理不尽な思いを招きかねない記事だと感じました。
くしゃみや転倒で、自分で髄液漏れを発症する人の数よりも、
圧倒的に、
交通事故や、スポーツ事故、暴力など、加害者がいて、被害者としての髄液漏れ発症の人数の方が、多いのではないかを
私は思います。
そうだとしたら、
被害者としての脳脊髄液減少症患者が、適切に救済されることにつながるような、
記事をまずは、徹底的に書いて、
社会に知らしめていただきたかったと思います。
とても残念です。
5回連載を読みましたが、
なんというか、
内容は「めでたし、めでたし」の記事なんですが、
それはあくまでも個人の事にすぎず、
あの記事によって、
全体の脳脊髄液減少症の問題を
社会に伝えてくれた記事のようにはとても思えませんでした。
被害者としての脳脊髄液減少症患者の私としては、
とても複雑な気持ちになる記事でした。
6月のTVの「ビビット」での放送内容にしても、
今回の朝日新聞「患者を生きる」にしても、
取材に応じてくださった患者さんとご家族の方々、
番組や記事にして、
脳脊髄液減少症について社会に伝えようとしてご尽力くださった方々には
心から感謝いたしますが、
その取材内容をまとめ伝える側が、
いつも、個人の患者の「幸運」を伝えることに終始しているように
私には感じられ、
今も気づけない潜在脳脊髄液減少症患者たちの気づきにつながる内容とは
とても言えない内容だと感じました。
過去の患者たちも置かれてきた現状も含めて、
脳脊髄液減少症の抱えてきた問題点を、伝えることなく、
脳脊髄液減少症の社会の理解などありえないと私は思っています。
それを、報道をする側がわかっていないままの伝えてしまっていることが多いと
私は感じます。
今回の記事もまた、
それが、とても残念に感じました。
ご意見・体験は氏名と連絡先を明記して朝日新聞へお寄せくださいと、
ここの記事内にメールアドレスが書いてありました。
たぶん、実名で伝えなければ、ダメなんでしょうね・・・。
でも、
それができるだけの気力体力、精神力がある、
脳脊髄液減少症患者がいったいどれだけいますかね・・・。
なにしろ、
私自身今よりもっと脳脊髄液減少症の症状が重かったころ、
精神症状で、対人恐怖症のような原因不明の人と接することでの恐怖心で、
実名を名乗ってまで自分の体験を伝えるだけの気力がありませんでしたから・・・・。
脳脊髄液減少症の症状は、なにも「頭痛」や画像に異常が写りやすいわかりやすい事例ばかりではないのです。
わかりにくい、精神の症状で、それによって、脳脊髄液減少症の苦しみを世間に訴える力さえ、
奪われている人たちがいる可能性があるのです。
訴える気力も、声を上げる気力も、
周囲の無理解と闘う気力も、すべて奪い去るのが
脳脊髄液減少症でもあるのですが
それを知る人は体験して人だけでしょうね・・・。