2020/07/04
朝日新聞「患者を生きる」の
脳脊髄液減少症の記事を4回まで読みました。
5回連載ですから、
明日で終わりでしょう。
今まで読んできて、
これはあまりにも幸運すぎるケースだと感じました。
よかったなぁと思うと同時に、
今回のこの連載では、私の知っている脳脊髄液減少症が抱えてきた問題点が、
何も社会に伝わらないと感じました。
私たちが闘ってきた
脳脊髄液減少症に無理解な医学界や無理解な社会での
患者の実態を報じるのは、今から数十年後の、未来のドキュメンタリーなどでしょうか?
昔の過ちの、ハンセン病や水俣病の真実や、優生保護法のもとに強制的な不妊手術をさせられた障がい者のことを
今になって報道するのを見るたび、
こうした過去の過ちは、
何十年も時がすぎてから、はじめて、真実が報じられはじめるのだなぁと感じています。
ですから、
きれいごとではすまされない、
脳脊髄液減少症のダークな部分がきちんと取材され、事実が報道されるのは、
今から数十年後の未来ではないのか?と思うのです。
ただ、今回の朝日新聞の記事を通して
伝えていただいた、と感じたこともあります。
それは、
・早期発見早期治療の大切さと、
(早期発見によって、二次被害が防げたこと。つまり、家族間の誤解による不和や、それによる家庭の崩壊や、病名がつかないのに具合がわるいことでの職場の解雇など、脳脊髄液減少症が見逃されることで巻き起こる、患者をさらに苦しめる二次被害が防げたなくなるということ。それは、患者を精神的にも追い詰めることがなくなり、患者の自殺も防げるであろうということ。)
・早期発見で完治も可能であること。
・くしゃみでも起こりうるような、誰にでもおこりうる、決して稀ではない、
ありふれた誰にでもおこりうる身近な疾患だということ。
この3点だと思います。
つい最近まで、髄液はそう簡単には漏れないとか、
交通事故での衝撃や転倒なんかでは漏れないと言い張っていた医師たちに対して、
くしゃみでも漏れるケースを提示することで、
くしゃみでも髄液漏れが起こるなら、
交通事故の被害者や、
いじめやけんかやDVや虐待での暴力で殴られたり、けられたりすれば、
髄液漏れだって起こりうるだろうということを知らしめたと思います。
今まで「脳脊髄液が漏れるケースは極めてまれ」なんて信じ込んでいた医師の常識を
覆す意味では、
今回の朝日新聞「患者を生きる。」の記事は、今までにない記事で、
それなりに意味があったと思います。
しかし、自分のくしゃみで発症し、しかもこんなにも早く治療で回復するような、
幸運なケースが
「患者を生きる」などとされてしまうと、
自分には原因はなにもなく、
交通事故で他人によって、髄液漏れを発症させられ、
病名もなにも、医療的支援のない時代を「何度も脳脊髄液減少症に殺されかけながらも生き抜いてきた人たち」は
「患者を生きる」どころの表現では示されないと感じました。
症状を誰にも信じてもらえず、
原因がわからず病名もつけてもらえないために、
周囲から白い目で見られ続け、
症状で起こっている高次脳機能障害も、怒りっぽいなどの性格変化も、
様々なことができなくなることも、
すべてだらしがないせいと低い評価を受け、
ののしられ、
いくら言われても、苦しみはどうにもならず。
自分でいくら努力しても回復せず、絶望してもなお、
生きなければならず、
やっと脳脊髄液減少症だと気づいても、
発症から何年もたっていては、なかなか回復もままならず、
しかも
健康保険はきかない時代、治療を自費で受け続ける理不尽さ。
そんな中を生き抜いてきた脳脊髄液減少症患者もいるのです。
自分で発症し、すぐさま診断がつき、
丁寧に治療をしてもらい、
点滴だけでも入院させてもらえ、
家族にも暖かく支えられ、
しかも完治するような、そういう患者がこれからも増えてほしいとは思いますが、
その陰で、
見逃されるとどうなるか?は
交通事故で発症したにも関わらず、
相手にも保険会社にもそれを認めてもらえず、
裁判官にまで信じてもらえず、
逆に訴えられたリ、
症状を家族にも理解されず、家庭崩壊したり、
仕事を失ったりした人の体験が
社会に伝えられなければなりません。
今もなお、
身近な医師にも脳脊髄液減少症いう病名を出しただけで、
白い目で見られたリ、
嘲笑われたり、
そういう理不尽な目にあってきた
脳脊髄液減少症患者の過去を、なきものにしては、
脳脊髄液減少症が抱えてきた問題点が、
何も社会に伝わらないと思います。
脳脊髄液減少症の表向きの部分だけでなく、
今までのこと、
影の部分も、
きちんと取材して報道してほしいものです。
やはり、
脳脊髄液減少症の問題点の本質を突くような記事を書けるのは、
毎日新聞、渡辺記者だけだと私は改めて感じました。